「ロシアで役者の仕事をするには」⑤
「ロシアで役者の仕事をするには」シリーズ⑤は、ロシアの撮影現場での日本人に対する待遇や、昨今の撮影事情について解説していきたいと思います。このシリーズ、これが最終回です。
ロシアの撮影現場には日本のように俳優さんにマネージャーさんや付き人が帯同するということはほぼありません。例えば、連続ドラマ「ゾルゲ」でゾルゲを演じたロシア人民芸術家のアレクサンドル・ドモガロフさんも現場にはひとりで来られてひとりで帰っていました。ドモガロフさんはロシア人なら誰もが知る大俳優さんです。私の経験したこの7年間の現場の中で、付き人やマネージャーを帯同させて現場に来ていた俳優さんは、アホータ・ナ・デイアボラの時の主演のセルゲイ・ベズルーコフさんだけです。かれは大きな劇団の芸術監督で超多忙を極めていますから、一緒にいた人は付き人というよりも原稿書きなどのアシスタントという感じで、役者の仕事だけならかれにはアシスタントは必要無いような感じでした。なので、ロシアの俳優さんは基本的にひとりで現場に来ます。これはシリーズ第1弾でも説明させて頂いたように、エージェントのシステムが日本のような芸能事務所的ではないことも一つの理由です。
それともうひとつは、現場で役者さんの世話をするスタッフが必ず居る、ということも大きな理由です。ロシア語でアシスタント・パ・アクチョーラムというのですが、役者のスケジュール連絡に始まり、衣装メイクの時間の段取り、楽屋から現場への呼び出し、コーヒーやお茶、食事のアテンド、行き帰りの車の段取りなど、至れり尽くせりでフオローをしてくれる役職のスタッフがきちんといるのです。日本なら助監督と付き人を合体させたような役割のスタッフです。だいたいは若い女性の場合がほとんどです。初日にいろいろコーヒーやお茶の好みを聞かれて、例えばコーヒは砂糖なしでミルクだけ、とか言えば頃合いを見てそれを持ってきてくれたり、夏の暑い時だったらペットボトルにレモンを入れたのを持ってきてくれたり、昼食前になればメニュー表を持ってきてどれがいいか聞きにきたりと、役者さんが現場で快適に過ごせるように、微に入り細に入りフオローしてくれます。しかも、だいたいは現場にアシスタント・パ・アクチョーラムはひとりです。凄いですよね。
現場の行き帰りに関しては基本的に制作サイドが車で送り迎えしてくれます。役の大小や俳優さんのランクによっては最寄りの駅までだったりもしますが、だいたいは早朝家の前まで迎えに来てくれて、帰りも家の前まで送ってくれます。これは本当に楽です。朝起きて指定された迎えの時間に家を出ればそこに車が待ってくれていて、そのまま乗ったら現場に到着し、アシスタント・パ・アクチョーラムが迎えてくれて、そのまま衣装メイクを済ませて楽屋に入ると好みのコーヒーが用意されているという、俳優さんにとって何のストレスもない環境がロシアの普通の現場です。
それと日本とまったく違う部分は、朝必ずその日のシーンの台本が印刷されて楽屋に用意されているということです。これにはびっくりしました。台詞なんかは覚えているのが当たり前ですし、現場に台本を持ち込まない主義の俳優さんだっているのが日本です。しかし、ロシアの現場は必ずこれがあります。私の場合、せっかくのその日の台本は家に持って帰ってコピー用紙になるだけなのですが、これがないとアシスタント・パ・アクチョーラムに印刷してくれと言ってるロシアの俳優さんもたまにいます。
日本から俳優さんに来ていただいた場合などは、これにプラスして通訳がスタンバイします(予算によっては無い場合もある)。なので、日本から来た俳優さん達は、現場での扱いの丁寧さやピリピリしない現場の雰囲気に、本当に心地よい時間を過ごすことが出来て芝居にも集中することが出来ます。スタジオ撮影の時はスタジオの楽屋ですが、ロケに出れば基本的に俳優さんは楽屋ワゴンが楽屋になります。これもロシアスタンダードです。こういう撮影の雰囲気は日本の俳優さんにぜひとも味わっていただきたい部分だといつも私は思っています。役者にとって良い環境で芝居することがどれだけ豊かで芸術的に精神が満たされるかという経験をしてもらいたいのです。
そして質問の多かったギャラの部分ですが、ロシアの俳優さんのギャランテイのシステムは「基本日払いという概念」です。ですからギャラの計算方法は「1日いくら」です。なので、契約書の段階でギャラに関して「1日いくら」で「撮影日数が何日間」みたいな形になります。この「1日いくら」の高い安いがすなわち俳優さんのランクです。主役になるほど1日の金額も高くなりますし、撮影日数も多くなります。なので必然的にギャラも多くなっていくのですね。
そして支払方法ですが、ここ1~2年は税務関係がどんどんロシアでも厳しくなってきて、銀行振込方式が主流です。しかし3年前くらいまではギャラ手渡しがほとんどでした。その日の撮影が終わるたびに毎回1日分を「手渡しでギャラをもらってサインする」というシステムでした。これも私には大いなるカルチャーショックでした。その日のギャラを撮影終わりで、現金で手渡しされるという状況に感動すら覚えました。最近の銀行振込システムでも、毎月何日間かあるそれぞれの制作会社の経理上の振込日に、必ずそこまでに撮影に行った日数分が振り込まれます。なんらかの事情で制作会社にお金がない場合に入金が遅れることはありますが、お金が普通に回っていれば基本的にはすぐに振り込まれます。
そして、日本には無いギャラのシステムとして「残業の概念」があります。基本的に入りの時間から12時間を超える拘束になると1時間10%の残業代がギャラに加算されます。2時間だと20%。2時間を超えるとギャラが2日分になります。スタッフにも残業代はあります。ただ、監督やチーフカメラマン、助監督など撮影の時間をコントロールできる立場の人には残業代はありません。むしろ契約によっては残業を出しすぎると罰金の対象になったりもします。
それから撮影隊が泊まりでロケに出たりしたら、スートチナヤという生活費が出ます。これも1日いくらで滞在日数分出ます。ゾルゲの撮影隊が上海に行った時は、スートチナヤが日本円で1日4000円相当でした。これは余談ですが、クリミア半島のロケなどの時には夜にいく場所も無いし、朝も早いのでスートチナヤを使う場面もなく、それはそれでお金が貯まっていったのですが、ゾルゲの時は日本人俳優さん達との再会が嬉しくて、ホテルの目の前の日本風居酒屋「桜木屋」で全部飲んで使っちゃいました。
日本からの俳優さんがモスクワなどロシアの現場に呼ばれる場合はギャラ以外に、飛行機代、宿泊費、滞在費(上記のスートチナヤ)、空港への送り迎え、通訳ギャラなどの予算がかかります。連続ドラマへの出演ともなると、何度か日本とモスクワを往復しなければならないので、ロシア在住の俳優さんに出演してもらうよりも予算が大幅に多くかかります。昨今のロシア経済危機の煽りもあって、中々それだけの予算を確保できる現場が少なくなってるのも現実です。ですから、日本から俳優さんに来ていただけるような現場というのは、必然的に予算も多くあって監督やロシアの俳優さんも超一流というような作品となります。ゾルゲの現場はまさにそのような現場でした。
3年前の突然のロシア経済危機以降、現場の数が減っているロシア。しかし、それによってロシア撮影界にプラスになってることもあると私は感じています。現場の数が減って予算も絞られる中、撮影のスピードも要求されるようになってきたので、よく動いてバリバリ働くスタッフ以外は生き残れなくなってきた、という側面です。ここ2年くらいで、現場のスタッフの動くスピードがかなり早くなってきたな、と私は強く感じています。よく働くスタッフはまた声がかかるので、常に忙しく働いていますし、仕事のないスタッフは全くひまという二極化がはっきりしてきました。日本よりもさらに狭いロシアの撮影業界ですから、働きぶりの評判はすぐに伝わりますし、制作会社のプロデユーサーも常に優秀なスタッフを確保したいですから、真面目でよく働くスタッフはすぐに目に止まり仕事が途切れることがありません。
旧態依然としたロシア風なのんびりした現場から、スピード感のあるロシアの現場へとどんどん時代が変わってるなとはっきり実感出来る昨今です。スタッフの年齢もどんどん若くなってきています。この移り変わりは見ていて本当に興味深いですし、ここで監督として彼らと一緒にどう仕事していくべきか、また役者としてどう個性を発揮していくかを日々考えられるのは本当に幸せな毎日だなと感じるロシアでの日々です。
世界に冠たる演劇大国ロシア。
その国の俳優さんと様々な立場でガチで仕事できる芸術的な素晴らしさを、機会があれば日本の俳優さんにもぜひとも味わってほしいと感じています。きっとその体験はその人にとって大いなる感動を巻き起こし、素晴らしき芸術的な人生の発展へと繋がっていくと信じています。
5回にわたり解説させていただいた「ロシアで役者の仕事をするには」シリーズ。たくさんの方に読んでいただき感謝しております。するどいツッコミとか個人的な質問とかいろいろいただきありがとうございました。それぞれの立場から賛否両論あると思いますが、ここに書かせて頂いた全ての事は、身銭を切って単身ロシアに身を投じた私が現場で感じた本当の事だけです。
これからまたさらにガンガンいきたいと思っています。
これから皆様と何かの縁を元に、世界のどこかで現場を共有できる日を楽しみにしております。
全5回最後まで読んでいただきありがとうございました。
ご興味ありましたらお気軽にいろいろ質問してくださいね。
それから、ロシアの映画界の事について何か質問とかありましたらお気軽にして下さいね!