作家犬と影武者の僕15 いぬころ病

「ぷう、もうやめよう! 寝ないと!」
「止めてくれるな。おれは寝るわけにはいかないんだ」

 高熱と喉に激痛が走るという『いぬころ病』に罹りながら締め切りを倒したぷうと僕の、激動の八月を語りたい。



 僕が飼っている白いフレンチブルドッグのぷうは、作家犬だ。
 犬が書いているとばれては困るので、僕は影武者として、編集者さんとの打ち合わせに参加したり、会合に出席したりしている。

 今年のお盆は大変だった。
 勝負作の初稿締め切りを一週間前に控えて、ぷうが、流行の疫病である『いぬころ病』に罹ってしまったのだ。
 かつて世界中にパンデミックを起こしたいぬころ病は、現在は薬が開発され、死亡率は格段に減っているという。
 しかし、高熱や激しい咽頭痛など、夏に罹ると地獄な症状なうえ、お盆ということは、ほとんどの動物病院が休みなのである。
 僕はおろおろして半泣きになりながら、町で一軒だけ盆休みをずらして開院している病院を見つけ、ぷうを担ぎ込んだ。

 幸い、ぷうの症状は入院治療の必要はなく、一般的な犬用鎮痛剤などを飲めば、徐々に回復していくということだった。
 ゆっくり休めば、予後も悪くなく綺麗に治るはずだと、僕は思っていたのに……ぷうの作家犬としての矜持が、あまりにも強すぎた。
「ぷう、大丈夫? イヌロキソプロフェン、効いてきた?」
「うむ。少し熱は下がった気がする。まだだるいが、喉の痛みもつばが飲めないほどではない。……というわけで、仕事をする」
「え!? 何言ってるの、寝ないとだめだよ!」
「締切に間に合わない」
「また熱が上がってきたらどうするの」
「薬を飲めばいいだろう。効果が切れたら喉が痛くなる。なんと分かりやすい目安なんだ。喉が痛くなってきたタイミングで薬を飲み続ければ、熱はないのと一緒だ」
「暴論すぎる!」
 いつもは賢いぷうだけれど、熱のせいなのか締め切りのせいなのか、どう考えても判断能力が死んでいた。
「夏が暑いのは当たり前だし、締め切り一週間前が修羅場で文化的生活がままならなくなるのも、いつものことだ。いぬころ病の有無と原稿は関係がない」
「もう何言ってるの! いいから寝て」
「よせ、布団を掛けるな。おれは仕事をする」

 そして冒頭のやりとりに戻るわけである。

 僕の説得も虚しく、ぷうは犬用鎮痛剤でドーピングしながら、お盆の間、ほぼスケジュールどおりの字数を執筆し続けていた。
 外へは出られないし、食事もエナジーちゅーるなどしか食べられず、一瞬で済むから、作業スピードの遅れが挽回できていた。
 そしてなにより『きょうは薬でごまかせたが、あしたは書けないかもしれない』――そんな生き急ぐ気持ちが、ぷうの集中力を高め、激しい体力の消耗と引き換えに、ついに勝負作の初稿が仕上がった。
 編集者さんに送ったのは、締め切り前日・お盆休み最終日の正午だった。

 メールを送信したあと、ぷうはパソコンの横でぐったりと倒れてしまった。
 いぬころ病の激しい初期症状はおさまっているはずだけど、かつては死に至る病として猛威を振るった世界的疫病を鎮痛薬ひとつでやり過ごして、無事なはずがない。
 原稿の終わりとともにくたっとしてしまったぷうは、後遺症の息切れがいつまでも終わらず、八月後半はずっとだるそうにしていた。

「ごめんね、ぷう。こんなにボロボロになるまで、止めてあげられなくて」
「いいんだ。君のせいじゃない。息切れは少し長引きそうだが、いい機会だし、リラックスできる呼吸法を会得してみたいものだ」
 そう言ってぷうは、浅い呼吸を繰り返しながら、パソコンのキーボードを肉球でぺちぺちと叩き、編集者さんからのアドバイスを熱心に読んで改稿していた。
 ついでに、犬にまつわる架空のあらすじを100個つくる企画も、8/31にしっかり完結した。

 夏のクライマックスにいぬころに罹り、大地震が起きるかもしれないなんていう物騒な注意報が出て犬用避難リュックサックの中身を整理したり、原稿を倒したり、病み上がりで辛いまま、後ろ倒しになっていたことを超特急でやりながら元々詰まっていた予定もこなしたり……。
 大変だったけど、君が生きてるだけでうれしいよ。
 ぷう、体に気をつけて、諸々を終えた秋になったら、たくさん遊ぼうね。

(了)

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