なぜ、彼女は毎晩リモコンを隠すのか
友人の中で、俺はラッキー野郎ということになっている。
理由は、彼女の性格がいいからだ。
明るくて、気が利いて、他人に優しくて、でもちょっとイタズラ好きのお茶目なところもある。
変な束縛もしないし、本当に俺のことをよく考えてくれているなという感じもするし。
特別美人というわけではないけれど、「お前にはもったいねえ」というのが、友人たちの共通認識のようだ。
そんな彼女と、つい先日、正式に婚約した。
「ただいまー」
同棲するマンションに帰ると、いつも通り、みのりはこたつに入ってニコニコしていた。
「おかえり」
お互い仕事をしているというのに、『わたしの方が帰るの早いんだから』と、当然のように飯を作ってくれている。
まあ、俺にはもったいない。おっしゃる通りだ。
作ってもらったのだから、食べ終えた食器くらいは自分で洗うことにしているのだが、みのりは必ず台所までくっついてきて、俺の様子をニヤニヤと眺める。
「なんだよ」
「えへへ。見てるだけ」
そう。こいつは、とんでもなく甘えんぼうなのだ。
ざっと手を拭き、リビングに戻る。
そして、ここからも毎日恒例。
なぜかみのりは、毎晩、テレビのリモコンを隠すのだ。
場所は、ソファとテレビ台の間の、絶妙な隙間。
ちょっと手を伸ばしたくらいで取れるところじゃないので、片腕をぐっと入れないと届かない。
「取れるー?」
「取れる取れる」
みのりは、しゃがみこむ俺の後ろで、うれしそうに見ている。
スマホのライトをつけ、リモコンの位置を確認してから、思い切り腕を伸ばして手探りで掴む。
「はー……取れた」
「やったー。取ってくれてありがと」
むぎゅっと抱きついてきて、髪に顔を埋める。
くっついて回ったり、物を隠したり、顔をすり寄せてきたり、犬みたいなやつだなと思う。
無事取ったら、こたつに足を突っ込んで、ふたりでテレビを見る。
平和なルーティーンだ。
なぜリモコンを隠すのか、一度だけ、本人に聞いたことがある。
しかしみのりは、『面白いからだよ』と言ってカラカラ笑っただけで、ちゃんとした理由を教えてくれなかった。
まあ本当に、深い意味なんてないのかも知れない。
イタズラをしてじゃれたいだけだとしたら……やっぱりラッキー野郎かな、俺は。
可愛いやつだな、と思う。
ある土曜の昼下がり。
ふたりでこたつに入って、だらだらとしていた。
俺がスマホを見終えて机の上に置くと、みのりは机にぺたんと伏せて、顔だけこっちを向けて、甘えたような表情でニターッと笑った。
「ねえ、洋ちゃん。別れよっか」
「えっ?」
「別れよ?」
あんまりにも普通に、いつも通りの笑顔。
「えっ、え? なんで?」
「だって洋ちゃん、浮気してる」
「は!? してないよ、何言ってんだよ」
「愛菜ちゃんって子でしょ?」
みのりは自分のスマホを取り出して、ひらひらと振って見せた。
「証拠がここに」
絶句する。
しかし、気を取り直して、訴えた。
「いや、浮気なんてしてないし。何、証拠って」
みのりは、自分のスマホを開いて、カメラロールを見せてきた。
動画のサムネイルがずらっと並ぶ。
どれも、俺の後ろ姿――リモコン探しの様子だ。
「何だこれ、撮ってたのかよ」
「うん。証拠掴むためには、これしかなくてさ。だって、人のスマホ盗み見るとか主義じゃないし、触らずに確認する方法って、これしかなかったから」
ムービーは、俺がソファの端の床にしゃがみ込むところから始まる。
しかし、俺の様子を撮るわけではない。
極限まで拡大して映されているのは、俺が左手に持つスマホ。
懐中電灯のライトをつけるときにロック画面が開くため、LINEの通知が一瞬だけ映り込んでいた。
そんな動画が2ヶ月分くらい。
通知には冒頭数行しか表示されていないから、情報量で言えば大したことはないが、これだけ長期間サンプルを取り続けていたら、繋ぎ合わせてまとめれば、証拠と呼ぶのに十分なものになるだろう。
「……悪かった。本当に、申し訳ないっ」
土下座をするが、みのりはくすくす笑っている。
「洋ちゃんは詰めが甘いよ。たまにちょっとご飯残すし? そういう日はたいてい、髪の毛からなんかいいにおいするし?」
絶望した。
甘えてくっついてきていると思っていたのは、俺の食事量から外で食べてきていないかをチェックしたり、女のにおいがしないか確認していたのだ。
「ほんとごめん。傷つけて」
「いや、たいして傷ついてもいないから大丈夫だよ。婚約破棄の慰謝料はちゃんとふたりからもらうつもりだし……まあ、愛菜ちゃんと、お幸せにね」
弾けるような笑顔だった。