なぜ、爪切りに花びらが詰まっていたのか
美代は常々、模範的で平凡で優しい母親でありたいと思っていた。
だから、郊外のマイホームに住み、庭に花を植え、5歳になるひとり娘の春奈がままごとをするのを眺めて、小さな幸せを感じている。
午前中の家事を終えてリビングへ行くと、テーブルの上に、使いっぱなしの爪切りが置いてあった。
春奈が興味本位で出したのだろう。
しまおうと手に取ると、何かが挟まっていることに気づいた。
カバー部分を外す。
すると中から、ちぎれた花びらが出てきた。
美代は思う。
春奈のいたずらであることには違いないが、見ていないことをとがめるのは信条に反する。
ならば、なぜ春奈が爪切りで花びらを切ったのかを考えよう、と。
まずは、何の花なのかを推測する。
ピンク色で、やや肉厚。おそらく、庭のチューリップだろう。
窓際に寄って花壇に目を向けると、1輪のチューリップが、1枚だけ花びらをむしられて歯抜けになっていた。
美代は再びテーブルに戻り、爪切りの中から出てきたものを観察する。
三角形のようなかけら。
切り口は、爪切りの形通りに丸く、花びらの輪郭はそのまま残っている。
なので、ランダムに切り刻んだわけではなく、慎重に周りを切ったのだと想像がついた。
それならやはり、叱るべきではないかも知れない。
美代は軽く微笑みつつ、推測を続ける。
なぜハサミではなく、爪切りだったのか。
爪はいつも美代が切ってやっており、春奈にとってはなじみのないものだ。
それに、ハサミの方が、幼稚園で使い慣れているはず。
いやむしろ、チューリップ自体は手でむしっているのだから、ただ切るだけならそのまま裂くのが自然だ。
……と考えると、切れれば何でも良かったわけではなく、爪切りでなければならない理由があったのだろう。
美代はこれを、『均等に丸みを帯びた形に切る必要があった』と結論づけた。
春奈は一体、チューリップを何にしたのだろう。
開け放った子供部屋の扉の向こうを、そっと盗み見る。
周りにたくさんの絵本を積んで、向かい合わせにぬいぐるみを並べている。
本屋ごっこだろうか。
春奈の様子をしばらく見ていると、ふと、きのうのことを思い出した。
寝る前に春奈が、『頭がよくなりたいから、分厚くて難しい本が欲しい』と言い出したのだ。
読めなくてもいいと言うので、国語辞書を与えたところ、大事そうに枕元に置いて寝ていた。
その辞書はいま、数冊の絵本を重ねられて、1番下に置いてある。
「ああ、なるほど」
美代は微笑んで、そっと、カレンダーに丸をつけた。
5月の第2日曜日。
春奈の好きなケーキを買ってあげようと思う。
「ママ! いつもありがとう!」
母の日の朝、満面の笑みを浮かべる春奈に手渡されたのは、押し花のしおりだった。
「カーネーションじゃつまんないから、チューリップにしたんだよ!」
「すごいね。ハートの形になってる」
チューリップの花びらは、上辺の真ん中がV字に切り取ってあり、爪切りのカーブのおかげで、ハート形になっていた。
約1ヶ月、いつも枕元に置いていた辞書に挟んで作ったのだそうだ。
美代は、やや面長なハートの花びらを、目を細めて眺める。
平凡こそ幸せである、と。