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「自由」というのが「不安定」の同義語の一種でしかないことを知った。
不安定に心細さを抱く人間は自由にも怯えるし、逆に、不安定を火遊びとしてその延長で自由を楽しめるような奴もいる。
あるいは、フリーフォールに手放しで乗れるか。
僕にはどうやら、自由を謳歌する適性はなかったようだ。
別に、自由を楽しめるかが人間性の優劣に関係するわけでもないし、不安定を回避するのが姑息な思考というわけでもない。
ただ、僕が芸術を享受するとき、それは決められた規則と制限された時間と他人に課されたタスクをこなした対価であってほしいと思う。
理由も無しに降ってきた暇なんて怖いよ。
空き時間のひとつひとつに、芸術に勤しむに足る根拠があり、それを理解することで、安心して好きな活動に打ち込める――そういう信じられるなにかがなければ、没頭できない。集中できない。
自由なんて、むずむずするもの。
宙ぶらりんの足元でなにが作れるのか、僕には全く想像のつかないのだった。
(了)