作家犬と影武者の僕 14友達のはなし
僕の飼い犬、白いフレンチブルドッグのぷうは、ミステリ作家だ。
犬が書いているとバレては困るので、僕はその影武者として、打ち合わせや各方面の連絡をしたりしている。
ぷうの友達のハリネズミが、急に死んでしまった。
つい先日、2月のあたまに、「だいたい4歳ハッピーバースデー」と言って祝ったばかりだった――彼は外国生まれで、誕生日は2月初旬というざっくりとした情報しかなかったのだ。
おとといの晩、僕とぷうは、友達のケージの前でおしゃべりをしていた。
そして、そろそろごはんどきだと思って、友達の名前を呼んだ。
珍しく、ハウスから出た壁際でこちらに背を向けて寝ていて、何度か呼んだけれど、一向に起きない。
過去に、すごい大声で何度も呼んでも起きなくて、まさかと思いながら触ったら激怒されて、ぷうの肉球に針がぶすっと刺さる……なんて笑い話の事件が何度もあったので、またそうであってほしいと思った。
でも、全然起きない。
嘘だ、と思いながら呼び続けて、ケージには手を入れず、目視で呼吸があるかをじっと見ていた。
触れる勇気が無かった。
呼んでいる間はまたあのドッキリの可能性もあるけれど、触れたら、答えが分かってしまうからだ。
僕たちは情けなくケージの外から名前を呼び続けて、でもついにあきらめて、僕が触った。
固く、冷たくなっていた。
寝転がった形の塊をひっくり返すようにこちらに向けると、僕らが知っている可愛い寝顔ではなかった。
なんの病気の兆しも弱った様子もなく、突然、友達が物体になっていたのだ。
いつもあまり感情を外に出さないぷうが、ぼろぼろと泣きながら、友達を冷やす準備をはじめた。
この部屋は、ハリの南国を保つため、全方位からケージを温める仕様になっていた。
最強のホットカーペットの上に寝かせたままではよくないので、プラスチック製の小物入れに保冷剤などを組み合わせて、ベッドを作った。
ぷうは吐き捨てるように、「くそ、こんなことで手際よくなりたくなかった」と言って泣いていた。
僕らは去年の3月、別のハリネズミの友達を喪っている。その数年前にも、友達を送り出した。
ペット葬儀の手配も慣れたもので、ぷうは「くそ、くそ」と言いながら、全てのやるべきことを、あっという間に終わらせた。
友達の様子を見るに、本当になんの前触れもなく、急に命が事切れたのだろうと思った。
目を見開き口も開いて舌も少し出ていて、とてもじゃないが幸せに天に召されたような顔には見えなかった。
すぐに気づいてやれなかったこと、まだまだ遊べると思っていたせいで、僕は彼との毎日を大事にできていなかったと思うことが、とても悲しかった。
うんちが少し出ていたから、きっと直前までちゃんと、排泄機能もばっちり動いていたはずだ。
実際僕らは、亡くなる数時間前の夕方に、彼がごぞごそと寝返りを打つ音を聞いている。
ハリネズミの4歳というのは結構な長生きだから、もしかしたらこれは、抗えない寿命だったのかもしれない。
けれどやっぱり僕は、いずれくると分かりながらも覚悟を怠り、彼との時間を大事にできなかった自分が悪いと思う。
葬儀は翌日の夜の時で、ほぼ丸一日一緒に居られる時間があった。
僕は、いままでの後悔を挽回するかのようにに、彼との思い出を作ることに躍起になっていた。
何度も写真を撮り、抱っこしてみたり爪を切ってみたり。
他方ぷうはというと、もちろんなにか思うことはありそうだったが、あまり語らず黙って、顔や頬や腹や、手足や尻を撫でていた。
ゆっくりゆっくり、感触を確かめるように撫でていた。
いつもは触ったら絶対に怒られるところも、肉球で器用になぞりながら、友達の姿かたちを目に焼き付けているようだった。
そうこうしているうちに、いつの間にか、友達の顔が幸せそうな表情に変わっていた。
死んだ生きものがそんなふうになるはずがないのだけれど、実際、写真を見比べると、最初にひっくり返して置いた塊と、一日撫で続けた顔は、全く違った。
ぷうの撫で方がよくて、まぶたが半分くらい閉じてくれたし、口角も若干の微笑みに見えるような、安らかな表情になった。
ぷうの肉球が、いつもどおりの可愛い彼に戻してくれた。
葬儀から帰って早速、ふとしたことで彼の不在を感じた。
定位置のポジションに座っても床が冷たくて、カーペットを切っているのを忘れていたとか。
暗闇の中で暖房をつけようとしたら、いつもはケージ側に向いているそれがこちらに向いているので、ボタンの位置が左右反転だったとか。
寝る前に夜ごはんをセットしなくていいとか――
掃き出し窓をカラカラと開けると、快晴だった。
「ぷう、見て。梅が咲いてる」
「ああ。春の訪れを感じるな」
……と言いながら、ぷうは大きくくしゃみをした。
花粉の季節である。
ということは、これから少しずつ、この町もぼかぽかと気持ちいい日に近づいてゆくのだろう。
同じ動物霊園の合祀墓にはいった友達は、太陽に少し近い空の上で、他の友達ふたりとも合流しているだろうか。
雲の上で並んで寝転び、ひなたぼっこをしながらうとうとするのは、さぞ気持ちがいいだろうと思う。
僕らがハリネズミの友達をつくるのは彼で最後と、元々決めていたから、僕もぷうも、今後の人生(または犬生)で、ハリネズミをあんなふうに至近距離で見たり撫でたりすることは、もう無いだろう。
珍しくぷうは、経験を糧に何かを書こうとしたりはせず、日の当たるソファの上で、丸くなっている。
僕は、少しだけ開いた友達の目を思い出していた。
開いてくれていたから、黒い瞳が透けていることを、いつまでもいつまでも、じっと見つめていられた。
(了)