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染ヶ丘団地(名著奇変-はるまひ廃墟探訪1)

 団地は民家に入りますか?
 ……と、満面の笑みで聞かれた。おやつのバナナのノリで廃墟を定義しようとするのはやめてほしい。

「最高にロマンなんだよ、団地の廃墟は!」
 そう熱弁をふるうのは、幼馴染みの秋野真尋――黒髪団子ピアスバチバチ野郎だ。
 廃墟でたむろしているヤンキー一味と言ったほうがしっくりくる見た目だが、残念ながら病的廃墟マニアで、由緒正しき我が校の写真部を、実質廃墟部にしてしまった。
 部員はみな去り、カメラすら持っていない僕とふたりきりである。平日を剣道の練習に充てたいという理由だけで入った。廃墟撮影に連れ回されるのも、足腰の鍛錬かなにかだと思うことにしている。
 ただし『民家は禁止』というルールは設けて。
「団地なんて民家の塊でしょ。住宅の集合で、集合住宅。ダメ。却下」
「部屋に入んなきゃいいだろ? 周り見るだけだからさ~、お願いお願い、春親ちゃ~ん」
「武士道に反する」
「ふーん? いいんだな? オレを監視下に置いておかなくて。春親が居ないと好き勝手しちゃうかもしれないんだぞ。幼馴染みが不法侵入で捕まってもいいのか?」
「なんで不法侵入することが前提なんだよ……」
 話に付き合うのも馬鹿らしくなり、ため息をつつ右手を差し出した。
 真尋特製の『資料』が手渡される――毎回雑すぎるA4ペライチなのだが。
【神秘! 都会の限界集落・染ヶ丘団地】
 簡潔すぎる数行の説明と、出処不明のネット情報のコピペ。
 10秒で読んで突き返そうとしたが、真尋は両手を大きく挙げて受け取ろうとしない。そしてニマニマしたまま、聞いてもいない解説を始める。
「この団地、東京駅通ってる××線の沿線で、全然田舎とかじゃねえの。なのに、高齢化と人口流出が止まんなくなって、3年くらい前に廃墟化した」
「ええ……? 都会でそんなことある?」
「スーパー激レア。けど、現象としては全然あり得る。ここは最寄り駅からバスで30分以上かかるうえに、周りの坂のアップダウンが激しいんで、足腰弱ったジジババからすると、陸の孤島なわけ」
 真尋の説明によると、そこは高度経済成長期に開発された団地で、現在の築年数は60年以上だという。
 全5棟、新築とともに約350の家族世帯が入り、団地の中に商店も作られていたため、駅まで遠くてもそこで完結できていた。
 しかし、子供世代が独立し住人が高齢化してくにつれ、団地は活気を失っていく。
 客が減り、店が徐々に廃業し始め、買い物困難になる。高齢者夫婦では暮らしてゆけず、子供世帯か老人ホームへ……ということが続いてゆき、ついに廃墟に至ったのだという。
「本当に全員いないの? 団地って普通、管理してるのは県とかじゃない?」
「おー、いいとこ気づくじゃん」
 しまった、マニアに火をつける不用意な発言をしてしまった……と後悔する間もなく、真尋はつらつらと語る。
「実は、所有者問題が染ヶ丘の一番の闇で、この一帯は××電鉄の主導で開発されたあと、所有者がガンガン変わってるんだわ。多分、入居者が減ってくたびに売って売ってを繰り返したんだろうな……っつうのが、登記簿を見ると分かってくる。見るか?」
「いや、いい。この資料で十分分かった」
 ペライチを突き返し、長いため息をつく。
 こうなったら終わりだ。今週末は、団地ツアーに決定してしまった。



「おー、染ヶ丘! 名前ぴったしだな。西日に染まった団地ほど美しいものは無え」
 真尋はファインダーから一切目を離さないまま、シャッターを切り続けている。
 僕は画角に入らないよう軽く距離を取りながら、耐用年数はとっくに超えていそうな外壁をざりざりと撫でた。
 ひび割れに沿って、地上から天へ走る稲妻のように、苔が伝っている。
 幾度となく折れ曲がるブロッコリーの線を、夕日が染めていて――きっとこんな、寂しい光景を想って名づけたわけじゃないだろうが。
「なあ、店は民家に入りますか?」
「知らないよもう。好きに撮ればいいんじゃないの」
 陸の孤島と表現した真尋は正しかった。贖罪のためだけに走らせ続けているであろう××電鉄バスは、1日に3本しかここに至らない。僕らの他に乗客はいなかった。
 まだ日が落ちていないにもかかわらず、既に終車の時刻を迎えている。要するに、もう誰も来ないのだ。
 窓だったはずの大きな四角い穴に、真尋が身を乗り出す。
「珍しいなー。こんな思いっきし建物ん中ガラ空きなのに、缶もタバコも花火も落ちてねえ」
「無意味なたむろに対して、タイパがかかりすぎるすぎるからじゃないの。駅徒歩1時間かけてタバコ吸いに来るヤンキーはいないでしょ」
 僕らがバスの車窓から見た道中は、崖の連続だった。
「あー、この棚のえぐれ具合とか最高だわ。ぐりんぐりんのパーマかけた母親とガキが菓子買いに来てたかと思うと、愛しさの塊。ウチの商品も置いてくれてたかな」
「多分あったんじゃない」
 この幼馴染みの設定盛りすぎなところは、ピアスバチバチ廃墟マニアに加えて、大手菓子メーカーの御曹司という点にもある。
 秋野製菓の超ロングセラー『はなまるポテト』も、かつてはここにずらりと並んでいただろうか? 放課後のおやつを楽しみに下校した子供たちは、ここで友情を育み、やがて巣立っていったのか。
「なあ、共用廊下は民家に……」
「いいよ。上がろう。エレベーター無しの7階建ては、ちょっとそそる」
 ポコロ、ポコロ、と、ふたり分の足音が内階段に響く。その音は、遮るもののない夕焼けの空へ吸い込まれていくようだった。
 ほぼファインダーを覗きっぱなしの真尋を介助するように、一段ずつ踏みしめて上がっていく。
 等間隔にずらっと扉が並ぶ長い廊下は、なかなか見応えがあった。
 ドア、ドア、メーターボックス、ドア、ドア、メーターボックス……。その均一さが、大量生産とともに成長した昭和の象徴のように感じられたのだ。
 最上階にたどり着く。丘の頂から見下ろす景色は、なかなかの壮観だった。
 眼下には見渡す限り、ほぼすき間無く小さな家々やマンションがぎっしりと敷き詰められている。
 その様は確かに都会そのものであり、いま自分たちがいるこの高台だけが、ズズズと盛り上がって陸から離されてしまったのではないかとか――西日のせいでポエティックになっている自覚はある。
「はるちかぁ、脚立たてたぁい。やって~」
「……軟弱者め」
 クライマックスを迎える前に明らかにバテている真尋を見て、ふと、遊園地にはしゃぎすぎて行きの車で体力を使い果たした小1の夏を思い出した。
 あのころと何も変わっていないな。僕も真尋も。
 何度もやらされて不本意ながら手慣れてしまった組み立てを、さっさとこなす。
「動画?」
「いや、長時間露光で日没撮りたくて。どーする? ここでダラダラしゃべっててもいいし、探検してもいいけど」
「真尋の帰りの体力を考えると、温存しておいたほうがいいような」
「帰りはタクるから、体力のことは考えなくていい。お前の好きなようにして」
「金持ちめ。じゃあ遠慮なく、屋上に上がりたい」

 屋上に繋がる鉄扉の鍵は絶妙に壊れていて、なんともおあつらえ向きだと思った。
 錆びたはしごをのぼるたび、真尋のネックレスやらブレスレットやらがジャラジャラ当たって、めくれたペンキを細かく剥がしていく。
「あーあ。廃墟保存原理主義はどうしたの」
「たまには爪痕残すのもよくねえ? 染ヶ丘団地の屋上で夕暮れを見るのは、人類でオレらが最後だよ」
 この敷地に入る前、そっと開けたフェンスに掲げられた看板には、あすから解体工事が始まるのだと書いてあった。
 巨大な球体、貯水槽を囲むフェンスにもたれかかり、ひと息つく。
「真尋的には、廃墟が取り壊されるのって、やっぱり悲しいの? ずっと残っててほしい?」
「んー、難しい質問だな。そりゃ、ずっと残ってて経年劣化を楽しみ続けられるとかだったら、最高だと思うぜ? でも、廃墟がそこにあるってことは、誰かを傷つけたり命を奪うこともある」
「……僕らみたいに侵入してきた奴が怪我するとか?」
「それはそう。ってのと、もっともっと長い目で見てみると、このデカすぎる建造物がある広大な敷地が、なににも活かされずにずっと放置されてるのは良くない。さっさと壊して新しいマンション建てりゃ、ほっつき歩いてた男と女が結婚してガキができたり、いまこの瞬間にどっかの道端で震えてる家無しの奴が住まいを手に入れられたりとかさ。するかもしんねーじゃん? 廃墟が正当に壊されることで、命が生まれたり助かったりするわけ」
 存外真面目な話を聞かされて、なんだかしんみりしてしまった。
 ふたり並んで座る。夕陽がとろとろと落ちていくのを眺めながら、60余年の歴史をの幕引きを見届けるのが僕らでいいのか、少しだけ不安になった。
 団地の最期の日なら、かつての住人たちが横断幕でも作ってさよならを告げていたっていいのに。あるいは、廃墟マニアが大挙を成してやってくるか。
「本当にきょうで終わりなの?」
「建物はマジできょうで終わり。でも、住んでたひとにとっては、とっくに終わってたのかもしんねーし。いまここの土地持ってんのは××会系暴力団の関係会社って噂もあるしなー」
「は!?」
 僕は飛び起き、真尋の胸ぐらを掴んだ。
「え、僕たちいま、ヤクザの建物にいるの? お前はバカなのか? さっさと降りるぞ!」
「なんだよ〜登記簿見たくないって言ったのは春親だぞ」
「ヤクザ絡みなんて聞いてない! はー、タバコやら空き缶やらが落ちてない理由も分かった。中途半端な不良がタムロできる場所じゃなかったんだ」
 僕は怒りながらはしごを二段飛ばしで降り、6階廊下に置きっぱなしの三脚の回収に向かった。
 真尋はニヤニヤしながら、僕のうしろをのんびりついてくる。そして壁の上で腕組みをし、ちょっとだけ身を乗り出しながら言った。
「春親ぁ。一緒に来てくれてありがとな。すっげーいい思い出になった。これからも廃墟めぐりは続けると思うけどけど、きょうのことは一生忘れないと思う」
 しみじみ言われて、怒りがしぼんでいくのを感じた。
 ため息をひとつつき、見上げた視界に広がっていたのは、燃えるようなオレンジと紫色が混ざり合う、神秘的な空模様だった。
 きょうという日を惜しむかのように、暮れなずむ空に、長い雲が流れてゆっくりと流れていく。
 僕が見入っている間に、真尋は武器みたいな広角レンズで中庭の公園を撮ったり、家の前に放置された三輪車を撮ったり、下に降りて自治会用の小さな小屋を撮ったり――最期の日を見届ける任を負うことになった僕らがやれることは、記録することだった。

 すっかり日が暮れた。真尋は手慣れた様子でタクシー会社に電話をした。
 車に乗って去り際、シートベルトをつける直前に、真尋はくるりと座席の上で回転し、背部に手を掛け小さく手を振った。
「じゃあなー。新しい誰かの家になれよー」
「取り壊し後、クリーンな会社に売却されることを信じたいね」
 車が動き出す。面白がったらしい運転手が、染ヶ丘団地の歴史を語り始めて、マニアはうれしそうにしていた。

(了)

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