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旧繰川高等学校(名著奇変-はるまひ廃墟探訪2)

 我が校伝統の写真部が実質廃墟部になってしまったのは、幼馴染みの圧倒的スポンサー力のせいであった。
 大手菓子メーカー・秋野製菓の御曹司であるこのピアスバチバチ野郎は、遠出の撮影のたびに、息子の活動に寛容すぎる偉大な父から『部費の足しにしなさい』と言って十万円を支給されていた。
 真尋はピュアなので、にっこにこの笑顔で『部長、この金好きに使ってください!』と言って大金を渡し、恐縮した部員たちは秋野製菓の圧倒的財力の前で何も言えなくなり、これまた無邪気に『先輩、この廃墟行きたいっす!』と提案する一年生の意見が無視できなくなり……部員がひとり、またひとりと辞め……。
 いつのまにか、僕とふたりの実質廃墟部になってしまった。
 なぜ、写真に全く興味がない僕が、唯一の平部員をやらねばならないのか。大変不本意だが、幼馴染みの友情とやらにほだされてしまっているのだから、仕方ない節はある。

「はるちかぁ。すんげ~いいとこあんだよ」
「嫌な予感しかしないんだけど」
「マジマジ、まじですげえいいよ。お前も楽しいと思うし。ほら」
 毎度の雑なペライチ資料の上部には、あまりにも太すぎるデカフォントでこう書いてある。
【学び舎に歴史あり! 旧繰川高等学校】
「くりかわ……? 聞いたことないな。どこらへん?」
「秩父寄りの山のとこ」
 首都圏……。
 日帰りで行けるから絶妙に断りにくいうえに、僕の好みを熟知した幼馴染みは、とんでもないエサをぶら下げてくる。
「繰川高校は、戦前は旧制中学だったのが学制改革で高校になったっつー、歴史のある学校でさ。一番生徒数が多かった1970年代は、剣道部と弓道部がツートップの強豪校で、いまも敷地内に道場が残ってるらしい」
「道場……」
「な、興味あるだろ?」
 自分でも自覚しているが、僕は剣道バカだ。道場と聞くと、無条件に体がうずうずしてしまう。
「剣道弓道、どっちも相当強かったらしい。けど、平成の市町村大合併と少子高齢化で入学者が激減して、他校と合併するには山間部過ぎて取り残されて、廃墟へ……っていう」
「ふうん。学び舎に歴史あり、ていうのはたしかにそうかも」
「だろー? 団塊世代のおっさんたちがどんなふうに青春してたのか、見てみたい!」
 と言って指定してきた日は、来週の火曜日。
 幼馴染みは、僕の剣道のスケジュールまで熟知している――師範である祖父が健康診断で、但馬道場は休みなのだ。



「おー! 絶妙にボロい! いい!」
 真尋は興奮しながら、役所でもらってきた入校許可証の名札を首にかけた。
「ちょっと、撮ってくんねえ?」
「真尋を? 記念写真は撮らない主義じゃないの?」
「いや~、令和男子が旧制中学の名残の前で撮るのは趣深いだろ」
 と言いながら、重要文化財として遺された門をぺしぺしと叩く。
 制服で来いという指定は、役所の許可を取るためだと考えていたが、どうやらそうではなかったらしい。
「ギャルピースをするな、それは無理がある」
「令和詰め込んでこ」
 オートフォーカスに設定されたカメラを受け取る――これは真尋の引っ越しバイトの結晶なので、なんとなく僕も大切に思っている。
「はい、はなまるぽーてと」
 テレビCMでおなじみのフレーズを言ってやると、首を傾け『お』の口にした表情が、圧倒的にガラの悪いヤンキーのギャルピになってしまった。
 しかし真尋は満足したようで、ディスプレイを覗き込みニヤニヤしてから、さっさと歩き出した。
「ここ、けっこーすぐ撮影許可下りるんで、廃墟マニアの入門として良い場所なんだよな。都内の路地裏撮影とかに慣れてきた奴が、さらなるノスタルジーを求めて来る。そして沼る」
「来る前に軽く調べたけど、ミュージックビデオとか映画の撮影にも使われてるんでしょ?」
「観光資源として活用されてるってことだな。まあ、それを廃墟と呼ぶのかは議論の種になったりもするわけだけど」
 校舎は意外にも、がっしりとしたコンクリート造だった。
 マンモス校だったのだろう。四階建て、はるか向こうまで延びた長い校舎の最端は、門からは見えない。
 広大なグラウンドにはあまり雑草が生えておらず、定期的に手入れがされていることがうかがえた。
「春親、そっちじゃない。こっちこっち」
 ちょいちょいと手招きされるままについていくと、巨大校舎の裏に、崩れかけの木造校舎があった。
 完全に日陰になっており、きのう降った雨のせいで、雑草だらけの地面がぬかるんでいる。
「この旧校舎がマニアのお目当てその1な。こっちはガチで崩れかけなんで、立ち入り禁止なんだわ」
 真尋が指差した先には、色褪せた三角コーンが点々と置いてあり、昇降口には錆びたチェーンが掛けられている。
 立ち入りを禁じて設置したその瞬間もきっと、この学校の歴史の一部だったはずだ。
「こっちは昭和30年代まで使ってた校舎で、旧制中学から数えると三代目らしい」
「外から撮るのはいいの?」
「うん。足元は気をつけたほうがいいけど。周りに、本校舎の整備用の工具とか置いてあるみてーだから」
 制服のスラックスが汚れないよう、裾をひざ下まで丸め上げる。謎の服装指定がローファーではなくスニーカーだったのは、この状態を想定していたからのようだ。
 まずはぐるりと一週してみる。
 あちこち木が剥がれていて、中の土壁があらわになっていたり、それも削れて穴が空いていて、中が覗けたり。
 一階の窓ガラスは全て外されていたが、二階は割れたガラスがそのまま枠に残されているので、上階を整備する前に封鎖に至ったのだと思われる。
 立ったりしゃがんだりが忙しい真尋を誘導しながら、ひととおり見終える。
「さてさて。んじゃ、はるちかちゃんお待ちかねの道場。行ってみますか」
 敷地のさらに奥へ進んでいく。
 プールと体育館は、本校舎と同じく閉校まで使われていたようで、古さはあるものの、まだ使えそうな様子だった。
 撮影を止めない真尋に口頭で案内されながらたどり着いたのは、平屋建ての古めかしい木造の建物だった。
「これっすわ。剣道部弓道部用の道場」
「これはすごいな……うちの道場より年季入ってる」
 僕の家は古い屋敷を何度も改築して現存している形なので、渡り廊下で繋がった祖父の道場も、相当古い。
 しかしこの建物はうちとは比べものにならないほど――威風堂々という言葉が似合うような存在感があった。
「廃墟って呼んでしまうにはちょっともったいない感じがするね。直せばまだまだ使えそうな」
「すげーよな。これは昭和20年代、戦後の学制改革で高校になった直後に建てられて、そっから廃校まで改築改築って繰り返して使ってたらしい。ほら」
 と言って真尋が撫でたのは、窓枠にクロスするように取り付けられた金属の棒だった。
「阪神大震災後の建築基準法の見直しで義務づけられた、筋交い。なんとかこの道場を使い続けたいっつう、当時のひとたちの努力が垣間見れるだろ?」
 真尋曰く、一般的な木造家屋の耐用年数は60年ほどで、戦後間もない建築技術で建てられたものが70年以上現存しているのは、奇蹟に近いという。
 借りてきた鍵を回して室内に入ると、その一歩目が、ギシリと音を立てた。
 沈む板張りの床の感触で、血が沸き立つ感じがする。この床に思い切り踏み込んで打つ面は、さぞ重いだろう。
 体重をかけ、前傾姿勢で踏み込んでみると、ドンという音が道場内に響いた。
「おお~いいね~。建物の使い方が分かってる奴と一緒に来ると、ただ見て回るのとは違う臨場感があるな」
 中央に向かって歩を進めるたび、床に等しく積もっていた砂ぼこりが舞い上がり、光の粒子になってキラキラと落ちていく。
 真尋はシャッターを切り続けた。その瞬間をひとときたりとも逃したくないというように。
「そこ、床。危ない」
「だいじょぶ、見えてる見えてる」
 へらへら笑いながら、たゆんだ天井から落ちてきたであろう折れた木材をひょいとまたぐ。
 建物の広さは、試合が行われる十メートル四方の領域プラス、その周りで数人が素振りの練習ができる程度で、狭い部類に入ると思う。
 どの道場にもたいてい神棚があるものだが、ご多分に漏れず、ここにも立派な神棚が鎮座していた。
 ただし、中身は空っぽで、扉は半分外れている。それでも、武道の神様を尊敬してやまない僕は、まっすぐ正面に立って、深々と礼をした。
 真尋はニヤニヤしながらブレザーを脱ぎ、床に這いつくばって僕の足元にレンズを向け、シャッターを切っている。
 そして、のんびり語り始めた。
「……部活ってさ、金がもらえるわけでもねーし、なんなら休みも潰れてただただ疲れる活動のはずなのに、みんなやるのって不思議じゃん? 春親みたいに、その道になんか見出してる奴ばっかりとは限んないのに、なんかみんなやってる。不思議だと思わねえ?」
「ええ? どちらかというと、真尋も僕と同じスタンスでしょ。廃墟撮影に対しては本気というか」
「んー、まあそうかもだけど。でも、俺の趣味なんて特になんも実用性はないわけで、金と時間の無駄には違いねーんだよ」
 サッカー部も、野球部も、軽音部も。本気でプロになりたいと思っているひとはわずかなのに、お金をかけ休みをつぎ込み活動に励む――たしかに言われてみれば、少し不思議な話ではあった。
 真尋はのっそりと起き上がり、入口から見て右奥のドアを開けた。
「要するに。戦争が終わって、貧困の時代も乗り越えて、人々がやっと、自分の人生を取り戻せた。んで、自由を得た青少年たちは、こぞって部活をやった。誰のためでもない、自分のために。旧繰川高校からは、そーいう熱意の名残を感じるんだよな」
 真尋に手招きされてドアから外へ出ると、道場から見て逆L字になるように、弓道の練習場があった。
 床面積は剣道のスペースより少し狭いが、的を射る方向の壁が開け放たれているので、閉塞感はない。
「的、年季入ってるなあ」
 僕は思わずつぶやきながら、三つ並んだ的を撫でた。真尋もやってきて、ぽんぽんと中央を叩く。
「この穴をグッサグサ空けていった奴らにも、当然人生があって、いまごろオッサンオバサンになってる」
「幸せな中高年になっていてほしいものだね」
 この学校のあちこちに見られる『守りたい』という意志の残存物。
 耐震化も、持ち出された神棚の中身も、立ち入り禁止用のチェーンも、その日誰かが、遺すために決めたものだ。

 夕刻になり、まもなく役場に許可証を返しに行かなければならない。
 珍しいことに、真尋は文化財の門の横に落ちていたレンガの欠片を拾った――廃墟保存原理主義者の幼馴染みは、不用意に建物の一部を拾ったりしないのだ。
「持って帰りたいの?」
「……いや、別に」
 真尋はつぶやいて、レンガを元の場所に戻す。
「ちと念じただけ。行政のクソみたいな思いつきの条例とかで、潰されませんように。南無南無」
 適当に祈った真尋は、さっさと歩き出した。
 何万人もの人々の青春を見守り、社会へ羽ばたかせたはずの学び舎。
 たった半日過ごしただけの僕らのことも、見送ってくれていると思ってもいいだろうか。

(了)

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