シティポップの歌詞にはなれない
ベランダに出て、iQOSにタバコを挿した。
きょうも平和だ。爆撃もされないし、家族や恋人を危険な地に連れ去られることもない。
二月末の夜風は適度に冷たく、湯上がりの体温を下げていく。
頬の火照りを失いながら、いつもどおりの陳腐な夜景のなかに、わたしが溶けていくのを感じた。
手の中のデバイスが震える。白いLEDの粒がふたつ灯った。
唇の端で咥えて思い切り吸い込み、肺をいっぱいに膨らませる。
タバコの煙と肺の中にあった健康な空気が、マーブル模様に混じっていくイメージを思い浮かべる。
限界まで吸い込んだ息を止める。
貧乏性だから、ひと吸いで得られるニコチンを1ミリも残さず体に入れたい。
手すりに体重を預け、マンションの前の道路を見下ろすと、制服姿の男の子が、全力疾走で自転車を漕いでいた。
こんな遅くまで何をしていたのかな、少年よ。
勢いよく煙を吐き出しながらポケットを探り、スマホを取り出した。
深夜二時二分。ディスプレイにかかる白い霧の量を見て、わたしが目一杯ひと口目を味わえたのかを確認する。
大丈夫。ちゃんと人体の極限まで吸えたみたいだ。息を吐き切るまで、ずっと白かった。
早くも髪が冷えてきている。
この疫病の世相で熱を出すのはよろしくないし、職場で人権は失いたくないけど、そもそもわたしは、このタバコを吸い終える14パフ分しか、ここにいるつもりはない。
足元に転がるプランターを軽く蹴って、ベランダの面積を少しだけ広げる。
初カレができたことに張り切って、プチトマトを育てていた。
カサカサの土を容れるだけのものになってしまった君は、廃れた気持ちを持て余すわたしを、嗤ってすらくれないだろうな。
シティポップの歌詞にはなれない。着目すべきエモさもない。
ふた口目を吸う。
ここからは、特にありがたがることもなく、ニコチンを欲する本能と、上げたり下げたりする腕の運動の習慣に身を委ねるだけだ。
東京の夜景に地平線は存在しないから、遠くの国に思いを馳せるには、でこぼこした黒いビル群の間を見つめるしかない。
先月のいまごろはたしか、島国が丸ごと飲み込まれるような噴火が起きて、日本にも少しだけ津波が来た。
先週は、スーパー猫の日とか言って、みんな身の回りのネココンテンツ探しに躍起になっていた――猫を愛していた。日本列島が、愛に包まれた。
わたしは平和に煙を吸ったり吐いたりできるのに、どうして遠くの国の市民たちは、何かを壊されたり命を脅かされたりしているんだろう。
運だと片付けるにはあんまりだし、わたしは運に守られるほど徳を積んで生きてきたわけでも、ないはずだけどな。
少し湿り始めた吸い口を食む。
自分が何回吸ったのかは、数えないようにしている。
そんなのは、土曜日の朝に日曜の夜が来るのを憂いて気が滅入るのと同じくらい、ナンセンスだ。
薄ぼんやりとニュースの画像や動画を頭の中で繋ぎ合わせながら、惰性で咥えると、案の定デバイスが震えた。
明滅するLEDの灯りが、この思案のタイムアップを告げている。
まもなく消えますよ。吸わなくてよろしいのですか?
ぴこぴこと光って尋ねてくるのに応えるわけではないけれど、貧乏性のわたしは、最後のひと吸いを逃すまいと、素早く吸い込む。
ストローで飲むくらい、思い切り吸う。
吐く。煙はほとんど出ない。光がすっと消え力付きたところを、もう一度吸う。
わたしは、シケモクの文化をしっかり守る。
すぽっとタバコを抜き取り、まだ熱々のそれを握りしめた。
世界中のひとが、こんな感じの、しょーもないことで生きてることを実感してくれたらいいのに。
そんな平和が訪れることを願うようなたいそれた人生を、わたしは送れているわけではないけれど。
(了)