なぜ、僕はジャングルジムにネクタイを結んだのか
山崎奨太は、大野美波のことがずっと好きだった。
いつもクラスの中心にいて、明るくて、優しい。
みんなに好かれる人気者で、日陰者の奨太には釣り合わないのも知っている。
だが、遠くから見ている奨太だからこそ分かっていることもある。
これが適切な表現かは分からないが、美波は……危ういのだ。
目を離したら、好奇心のままにどこかへ消えてしまいそうな、危うさをはらんでいる。
不思議な子だと思う。
だから奨太は目が離せないまま、夢中になってしまった。
以前奨太は、美波が女子の友達と話しているのを聞いた。
その話題は、美波が誰かに告白されたことで、しかし美波は人好きのする笑顔でこう言っていた。
――誰も考えないような突飛な方法で、驚かすように言ってくれる人なら、いいなって思う。
勝機のない奨太は、それを真に受けることにした。
ある日奨太は、美波の机に手紙を入れた。
一言、『放課後、三角公園に行ってください』とだけ書いて。
そして、少しドキドキしながら一日の授業をこなし、学校が終わるとすぐに、三角公園に向かった。
三角公園は、学校からすぐそばの団地の一角にあり、ジャングルジム、滑り台、砂場という、大変シンプルな構成だ。
狭く、鬼ごっこもできない。
団地自体も高齢化が進んでいるし、六階建ての建物に挟まれたそこは、午後になると完全に日陰になるので、子供が来ることは滅多にない。
奨太は、ジャングルジムに登った。
いつぶりだろうか。
背が伸びた視界で上がると、思った以上に高さがあって、バランスを取るのが難しい。
頂上まで来ると、自分のネクタイをしゅるりとほどいた。
鉄の棒に、ネクタイを垂らす。
慎重に、かつ、確実に、自分の首元にするのと同じように、ネクタイ結びでしっかりと締める。
そして奨太はカバンから裁ちばさみを取り出し、祈るような気持ちで、垂れた部分を切り落とした。
*
大野美波は、放課後、三角公園に向かっていた。
サッカー部のマネージャーをしている彼女は、帰宅が五時半近くになる。
十月なのでまだ日は落ちないが、急ぐに越したことはないだろう。
足早に向かう。
朝、登校してすぐに、自分の机の中に手紙が入っているのに気づいた。
正直、またか、と思った。
しかし開いてみると、それは、一風変わったものだった。
――三角公園に『行って』ください。
待ち合わせるつもりなら、『来て』くださいになるだろう。
不思議な文面の手紙に、美波は、少し心を躍らせた。
公園に着き、辺りをキョロキョロと見回したが、やはり誰も居ない。
少ない遊具に目をやると、ジャングルジムの一番上に、何かが結びつけられているのが見えた。
おみくじのように、何かの布切れが結びつけられている。
吸い寄せられるように近づき、制服のスカート姿であることもいとわず、ジャングルジムに登った。
きれいに結ばれた、ネクタイ。学校指定のものだ。
ただし、両端とも、五センチほどを残して大胆に切り落としてある。
少し迷ってからするりとほどき、観察してみると、裏側の縫い目から、糸が飛び出していた。
かなり雑な、ぐし縫いだ。
一度開いてから、再び縫い合わせたのだろう。
玉結びされていないそれは、端を引っ張ると、いとも簡単に抜けた。
三つ折りの布を開く。
すると、細い黒マジックでこう書かれていた。
――好きです。付き合ってください。
少しにじんだ文字で一行。
その下は、空白になっている。
美波は、少し笑ったあと、深く息を吸い込んだ。
間もなく日の入りだ。
美しい黄金色の空を、こんなに高いところから見たのなんて、いつぶりだろう。
*
翌朝、奨太が登校すると、美波がすすっと寄ってきた。
そして、何も言わずに、くいくいと半袖シャツの袖を引っ張る。
導かれるままに廊下の陰まで来ると、美波が、見慣れたそれを手渡してきた。
「これ、ありがとう」
「うん」
自分で仕掛けたくせに、辛うじて出たのがそれだった。
緊張で、口の中はからからに渇いている。
受け取った短いネクタイを開くと、奨太の書いた文の下に、赤いマジックで、『YES』と書かれていた。
弾かれたように顔を上げる。
美波は、ちょっと小首をかしげて笑った。
「山崎くんは、ロマンチストだし、人に優しいんだね」
メッセージに気づいてくれた……のだろうか。
「あえてジャングルジムのてっぺんなのは、大人に取られないようにでしょ?」
「うん」
「あえてネクタイ結びなのは、子供にはほどけないけど、わたしにはほどきやすいように、でしょ?」
「そう」
「端を切り落として短くしたのは、子供がぶら下がって遊ばないようにでしょ?」
黙ってこくりとうなずく。
「朝からそわそわしちゃった。ノーネクタイで登校する男子が、誰なのか。YESって書いちゃったけど、変な人だったら塗りつぶすつもりだった」
いたずらっぽく笑い、きょろっとした目を合わせてくる。
奨太は、おずおずと口を開いた。
「あの、好きなので、付き合ってくれますか」
「うん。いいよ」
ありとあらゆる喜びや胸の高鳴りなどを超えて奨太が思ったのは、ただひとつ。
『この子は、夕焼けを見ただろうか』だった。