立派な墓

お題:親友 制限時間:1時間

 親友が死んだ。
 嵐で増水した川を見に行って、風にあおられ、濁流に落ちたらしい。
 目撃したウーバーの配達員は、「あっという間に飲まれてしまい、助けられなかった」と言って、肩を落としていた。
 見ず知らずの他人が死ぬところなんて見てしまって、さぞ胸糞悪かったろうと思ったけれど、彼は本当に悔しそうだったから、なんとも不思議だった。
 俺の人生の最重要項目だった親友の命が、見ず知らずの人間に惜しまれている。
 そして、橋の欄干のそばに立つ俺の足元には、いくつもの花束が手向けられている。
 ニュースを見た近所の人が置いていったのだろうか。
 優しい人がいるもんだ。死んだ人間に花なんか手向けたって、花束代の五百円を失うだけなのに。
 虚しい。どうして俺じゃなかったんだ、最期を見たのが。
 なんで俺のいないところで勝手に死んだんだ、あいつは。
 一緒に歳食って、ささやかな年金でちまちま酒を飲んで暮らして、それで奴の最期を看取るのは俺のはずだった。

 親友と出会ったのは、三年前の五月。この橋の下で会った。
 俺は大学院生で、社会学の研究をしていた。
 その日はフィールドワーク中で、話を聞いてみると、彼はほんの少し体調を崩していた。
 よくよく聞くと、腎臓系が悪い気がする。
 人工透析か何かが必要なんじゃないかと思ったので、俺は素直にそう勧めた。
 そしてめちゃくちゃ叱られた。
『勉強ばっかりの奴はろくに考えもせず、正解を押し付けようとしてくる』
 彼は顔を真っ赤にして、さらにまくし立てた。
『帰ってくれ、俺は見せ物でもないし、お勉強の教材でもない。静かに暮らしたい』
 その日は素直に引き下がって、研究日誌に、ありのままを書いた。
 下宿でひとり、黙々と牛丼を食べながら、言われたことを反芻すると、自分の愚かさに気づいて、泣けてきた。
 俺は社会を良くしたくて、自分で実際に足を運んで、知って、当事者の人たちの役に立ちたかった。
 でもその過程に、生身の人間を『お勉強の教材』にしなきゃいけないという事実があることを知って、愕然とした。
 ……そして俺はその日の晩、教授や研究メンバーにも誰にも告げず、ひとりでこの橋の下に向かった。
 ビニールシートの家で暮らす、前歯のないホームレスのおじさん。西野。これが俺の親友の名前だ。

 手向けられた花束を見て、思わず、蹴散らしたくなった。
 死んだあとにこんなものを寄越されたって、西野には一銭の得にもならない。
 その五百円で、生きている西野に夕食でもおごるとか、それが怖いならなんか団体に寄付するとか、すればよかっただろう。
 ウーバーの配達員だって、美少女が橋の上から覗き込んでいたら強く引き止めていただろうけれど、ビニールシートを畳もうと必死になっている西野のことは、遠巻きに見ていたんだろうな。
 あいつもあいつだ。嵐の予報が出た時点で、家なんてさっさとあきらめて、川から離れればよかったのに。
 ……と思う一方で、西野が最後まで家にこだわったことは、ちゃんと理解もしている。
 ホームレスの彼にとって、あの家は雨風を凌ぐための何かではなくて、ちゃんと、西野家だった。
 俺は西野の家で、ランタンのあかりを頼りに一晩中麻雀をして、めちゃくちゃ楽しかった。

 近隣住民もウーバーも西野本人もバカだけど、何より一番バカだったのは、俺だ。
 天気予報を見ずに、外出してしまった。
 嵐になると知っていたら、外出なんて取りやめて、うちの下宿に引っ張って行ったのに。
 俺は橋の下に降り、西野家だった場所に一升瓶を置いた。
「ごめんな、西野。ごめん」
 鞄から取り出した封筒をちぎり、中身の書類を取り出す。
 西野茂雄の郷里・秋田県まで取りに行った住民票。それから、年金受給の申込書。生活保護の申請書類。
 西野のためにソーシャルワーカーになって、ようやく西野の住民票のありかが分かって、何年もかかったけど、あと一歩で、『ささやかな年金でちまちま酒を飲んで暮らせる』平和が手に入るところだった。
 嵐が来ると分かっていたら、こんなもの、取りに行かなかった。
 秋田はいいところだった。西野本人と一緒に行きたかった。

 一升瓶の蓋を開け、どぼどぼと川に流す。
 こんな俺の奇行を、通行人は見て見ぬふりをして通り過ぎていく。
 社会を良くしたいなんて大それた夢はもう持てそうにないし、親友の遺志を継いでどうとかも全く思わないけれど――

 来月から、この川は護岸工事が行われるのだという。増水対策だ。
 西野の家があったここは、盛土と頑丈なコンクリートで固められるのだそうだ。
 そんな立派な墓になってよかったね、なんて、笑って言えたらよかったのにな。
 俺は、その辺にあった石で地面を掘り、書類をちぎって埋めた。
 絶対に、西野の死を、お勉強の教材や人生の教訓にはしたくなかった。

(了)

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