なぜ、ビニールプールに洋書が浸けてあるのか
この田舎町に小さな古書店を開いて、3年。
住人の方々がみんな、よそ者の僕を温かく迎え入れてくれて、なんとかやれている。
残暑の厳しい、9月のある日。
平日の午前中は暇なので、のんびりと本の手入れをしていたら、珍しいお客さんがやってきた。
中学3年生の美奈ちゃんだ。
聞けば、洋書が欲しいのだという。
受験勉強の一環だろうか。
どんなジャンルのものがいいかと尋ねると、内容は何でもいいが、おしゃれなものがいいと言う。
読むのではなく、別のことに使うのだろうとピンときた僕は、インテリアに良さそうな美しい装丁の、ハードカバーの本を勧めた。
500ページ近い、まるで魔法辞典のような。
美奈ちゃんは、満足そうに帰っていった。
昼過ぎ、買取のお客さんの家へ自転車を走らせていると、美奈ちゃんの家の前を通った。
ビニールプールが置いてある。
美奈ちゃんには歳の離れた妹がいて、たしか、幼稚園の年長だったはず。
名前は、愛ちゃん。
よく可愛がり、一緒に遊んだりおつかいにいく姿を見ているので、微笑ましいなと思っている。
通り過ぎざまにビニールプールの中を覗いたら、驚いてしまった。
先ほど買って行った洋書が、真ん中に沈めてあるのだ。
落ちてしまったのかなと思ったけど、真ん中にきっちり置いて、重石までしてあるので、あえて浸けているのだろう。
てっきり飾るものだと思っていた僕は、思わず自転車を停めて、見入ってしまった。
なぜ、本をビニールプールに?
首をひねっていると、後ろから元気なあいさつが聞こえた。
振り返ると、美奈ちゃんだ。
暑い暑いと言いながら自転車を停め、大きなビニール袋を前カゴから取り出す。
すると愛ちゃんが家から出てきて、中身を見せて欲しいとせがんだ。
美奈ちゃんは、「ここでー?」と苦笑いしながら、乞われるままに買ってきたものを取り出す。
大量の千代紙、細い手芸用ワイヤー、緑色のビニールテープ。
何だろうなと思いながら、何気なく電柱を見たら、なぜ美奈ちゃんが洋書を水に浸けているのかが分かった。
幼稚園のバザーのお知らせ。
本当に、いいお姉ちゃんだ。
10月の日曜日。
僕は、愛ちゃんの幼稚園に出張に来ていた。
バザーで、絵本の読み聞かせをするためである。
スタートまで少し時間があったので園舎内を見ていると、お花屋さんの模擬店が出ていた。
少し心を高鳴らせつつ、部屋に入る。
背の低い机を並べた店頭には、千代紙製の花束が、所狭しと並んでいた。
ワイヤーに緑のビニールテープを巻き付けた茎に、色とりどりの花がくっつけてある。
そしてそれを包んでいるのが、僕の店にあった洋書だ。
ページを1枚ずつ切ったのだろう。
一度濡らして乾燥させた紙は、くしゃくしゃで趣のある風合いになっているし、大きさがみんな同じだから、園児たちはラッピングしやすかっただろうなと思う。
子供の目線までしゃがんで、ニコニコ顔の愛ちゃんに声をかけた。
「すみません。黄色い花束をください」
「あっ、ほんやさんだ! はい、どうぞ!」
こんなに優しい気持ちになれるなんて……やはり、古書を売るこの仕事を選んだのは、良い選択だった。
心の底から「ありがとう」と言って、目を細めた。