全世界の五分間を、ただひとり君の命に注ぎたかった
1. 路上 15:18
交通事故の直後。男は恋人の血まみれの手を握り、絶望に打ちひしがれている。周囲の騒音が遠くかすれてゆく中で、男の前に懐中時計が音を立てて落ちてくる。拾い上げ裏面を見ると「時間を巻きもどせる。ただし、全世界の記憶が戻した分だけ失われる」と書いてある。男は泣きながら、時計の針を5分だけ戻すことを決意する。5分あれば彼女を失うことはなく、たった5分なら、世界にさしたる支障はない。
2. マンション 15:13
男は同棲しているマンションのリビングにいる。時間は15:13。隣で恋人が服を着替え、出かける準備をしている。事故の直前に戻ったのだと分かり、少し安堵する。
安堵するのと同時に、冷静な自分がいることも自覚している。「時を巻き戻しても同じだった」なんてありきたりなバッドエンドは迎えたくない。これから5分間、彼女が事故に遭わないようにさえすればいい。
3. エントランス 15:14
二人はマンションを出て、エントランスホールへ降りる。帰ってきたマンション住人の女性とすれ違い、軽く挨拶を交わす。事故前と同じ光景だ。焦った様子で階段を駆け上がってゆく女性を横目で見送りながら、しっかり5分戻ったことを確信する。
彼女が腕を絡めてきて、歩き出す。
4. 公園前 15:15
男は事故前と全く違う行動をしたいと考える。このあと彼女は飲み物を買いたいと言うはずだ。事故前はコンビニに向かったが、近くの公園の自販機でお茶を買うことにする。
公園の前では、小学生たちがボール遊びをしている。買ったお茶を手渡し、時刻を確認する。あと3分稼げれば彼女は無事だ。
5. ルートを迂回する 15:16
きょうのデートは彼女が行き先を決めたので、駅に向かうことは変えられない。事故が起こった道ではなく、大きく迂回する道を選ぶ。
彼女はどうしたのと言うが、男は気分だと言ってごまかす。どうせ彼女はこの5分間のことを思い出せない。おそらく自分も思い出さない。
コンビニの前では、高校生の男女が楽しげに話している。自分と彼女もあんなころがあったと学生時代を回顧しながら、この優しい回顧の気持ちを絶対に失いたくないと思う。あと少し、無事に切り抜ければ。
6. 別の交差点に着く 15:17
男は駅の反対口を目指すため、事故に遭った場所からふたつ離れた交差点で信号待ちをする。彼女がスマホを取り出す。ロック画面に映った時刻は15:17。あと1分で事故の時間だが、どれだけ走っても1分であの事故現場には行けない。未来は変わったのだと安堵したとき、通りの向こうで大きな衝突音を聞く。
7. 事故を見る 15:18
あのとき彼女を轢いた白いワンボックスカーが、電柱にめり込んで大破している。
8. 事故現場に向かう 15:19
立ち去ろうとする男の手を引き、彼女は事故現場へ向かおうとする。彼女の正義感の強さを忘れていた。
事故に遭ったのは、公園でボール遊びをしていた小学生のひとりだった。運転手は、なぜ自分がここにいるのか、どうして事故に遭ってしまったのかを理解できていない。周りも皆5分間の記憶を失っており、目撃者がいない。到着した警察官すら、記憶がなく戸惑っている。思い出せず苦しむ人々を見て絶望する。彼女も思い出せないと言って泣き出す。
自分だけが覚えているらしい。
9. 15:19の世界
マンションの住人女性「その女が誰なのかを説明してって言ってるの!」
*「本当に思い出せないんだ!」
男子高校生「ごめん、もう一回言って? なんか、ぼーっとしてたのかな。なんて言ったの?」
女子高校生「……思い出せない。でもたぶん、すごく大事なことを言ったし、もう二度と言えない」
*「ワンワン!」
*「どうしたんだいそんなに吠えて」
*「ワンワン!」
Woman「Joshua just talked!」
Man「Awesome! What did he say first? Dad? Mom?」
Woman「.......」
*「――」
*「――――」
*「――――――」
10年後の同日 15:18
結婚したマンションのリビング。黙祷する彼女。あの子供の死の記憶から逃れられないまま、ふたりは生きてゆく。
(了)