なぜ、弟は部屋にいながら盗み食いができたのか
買ってきたケーキの箱にでかでかと、マジックで名前を書く。
『のぞみ用! 食うべからず!!』
冷蔵庫に入れてパタンと扉を閉めると、後ろに気配がした。
ふいっと振り返る。案の定、弟のひかるが立っていた。
「何買ってきたの?」
「あんたには関係ないでしょ。汗水垂らしてバイトした自分へのごほうびなんだから、絶対食べないでよね」
「だから、俺一回も食べたことないって」
「うそ! 絶対食べてるでしょ! このホラ吹き中学生っ」
フンとそっぽを向き、リビングから廊下へ出て左側の自室へ向かう。
ひかるも真後ろにくっついてきて、うっとうしい。
こいつは、3ヶ月連続、わたしのケーキを盗み食いしている。
しかし本人はしらばっくれ続けていて、絶対犯人なのに、証拠が掴めないせいでお母さんに怒ってもらえない。
「俺、食ってないよ。部屋から出てないもん。お母さんじゃないの?」
「あーうざうざ」
部屋のドアを開ける。ひかるも、隣のドアを開ける。
顔も見たくなくて、荒っぽくドアを閉めた。
毎月バイトの給料日、自分用に買ってきたケーキを冷蔵庫に入れて部屋で宿題をし、夕飯のタイミングで出てくると、ケーキはもうない。
そしてゴミ箱を見ると、箱と、ケーキの下のアルミホイルと、丹念にクリームが舐めとられたビニールが捨ててある。
絶対ひかる。
わたしが部屋に入ってから、お母さんが仕事から帰ってくる30分のあいだに食べているに決まっている。
なのに、ひかるにはいつもアリバイがある。
いや、アリバイと言うには情けない感じなんだけど……ひかるは超オタクで、年中部屋でずーっとゲームをしていて、たとえそれがケーキの日であっても、夕飯とお風呂以外はずっと部屋にいる。
友達とボイスチャットでもしているのだろう。
壁が薄いので余裕で話し声が聞こえてきてうっとうしいことこの上ないんだけど、悲しいかな、それがアリバイになってしまっていて、ダメ。
もしかしたらお母さんの可能性もあるけど、絶対権力のお母さんにあらぬ容疑などかけた日には家から叩き出されるので、言えない。
証拠もなく人を非難するのはめちゃくちゃ怒られるので、最有力容疑者の弟を問い詰められず、泣き寝入りの昨今。
リビングで見張っていられればいいんだけど、お母さんが帰るまでに宿題を終わらせていないと怒られるし、リビングの机は汚れるから勉強禁止なので、30分間部屋から出るのが不可能なのだ。
いや、でも、絶対今日こそ。
部屋に入ってしばらくすると、うるさい弟の声が聞こえてきた。
くぐもってはいるものの、叫んでるなとか笑ってるなとかは分かる。
ただ、わたしはこれを録音じゃないかと疑っていて、きょうはその証拠を取るべく、秘策を用意している。
スマホを机に立てかけ、壁に向かう自分の姿がカメラに入るようにする。
壁を叩いて、ひかるの声が変わらず会話を続けていたら、録音決定だ。
作戦は、壁を叩いて苦情を言った反応を撮り、部屋になだれこんで空っぽの部屋を撮り、そしてリビングでむしゃむしゃケーキを食らうひかるの間抜けな姿をおさめるという算段。
自分がしっかり画角に入ったことを確認して、ドンと壁を叩いた。
「うっさい!」
文句を言った瞬間、まさかの、声が止まった。
「あれ??」
そして5秒後、またしゃべり出す。しかも、声のボリュームを少し抑えて。
まだ部屋にいたか。
仕方がないので、宿題をやりつつ、抜き打ちで何度か壁ドンして、様子が変なタイミングで部屋凸する作戦に切り替える。
また声量が大きくなってきた。
興奮すると叫び出すとか小学生かよ、と腹が立ってくる。
「うるさい! 静かにして」
ひかるの声が止まる。そして。
「ごめん、気をつける」
20分経ち、何度目かのドンをやったところで、コンコンとドアをノックされた。
そして、ドア越しに声をかけられる。
「姉ちゃん、さっきからドンドンうるさいんだけど。こっちも一応気遣ってるんだからあんまやんないで」
「はあ……?」
のそっと立ち上がり、ドアを開ける。ひかるはいない。
ノックもせずにひかるの部屋を開けたら、机に戻ろうとするところだったらしい。
「急に開けないでよ」
「はー? 何よ、自分のこと棚に上げてっ」
ダッシュでリビングへ行き、冷蔵庫を開けたら、ケーキは無くなっていた。
「ひかるー! 食べたでしょ!」
再びひかるの部屋のドアを開けたら、困惑した顔でこちらを見ていた。
「だから、食べてないって。もう、お母さんに言うよ?」
「は……ふっ、ふざけんなぁっ!」
叫んだ瞬間、玄関ドアが開いて、お母さんと目が合った。
そして、めちゃくちゃ怒られた。
事情を話して、夕飯後に、3人で話し合いの場を設けてくれることになった。
それまでに、なんとしてでもひかるのアリバイを崩さないと。
いや、声自体は絶対に録音しかありえないんだけど、ちゃんとわたしの苦情に合わせて小声になったりしゃべるのをやめたりするから謎だ。
部屋にスマホを放置して録音を流しているとして、リビングでケーキを食べていたら、止められない。
それに、普通に謝ってきた。
スマホを離れた部屋から操作し、ちゃんとこちらの声にも対応する方法。
いや、もしかして、発想が逆か? スマホを操作じゃなくて……。
「ああ」
バカだ、こんな簡単なことに、3ヶ月も気づかなかったなんて。
わたしはぱっと起き上がり、ひかるのこざかしいアリバイづくりを再現をすべく、準備にとりかかった。
「だから、俺はずっと部屋にいたんだって。多分姉ちゃん、夕飯前に食べたの怒られたくなくて俺に罪なすりつけてんだと思う」
夕食後の家族会議。
ひかるがちょっとむくれながら言うと、母は、じっとにらんだ。
「憶測でもの言わないの」
「姉ちゃんだって憶測じゃん。俺食ってないのに」
「だって、わたしとひかるしか家にいないのに、ひかるしかありえないじゃん」
「ちょっと黙りなさい、ふたりとも殴るわよ」
しつけと言うより、恐怖政治だ。
立ち上がりかけていた腰を下ろし、いすに座り直す。
「ひかるはずっと部屋にいたんでしょ?」
「うん。ゲームしてて、なんかやたら姉ちゃんがうるさいって壁ドンドンしてきて。俺ちゃんと言われる度に謝ってたし、小声にしたり一応気を付けてた」
「それは本当なの?」
「うん。ずっとひかるの部屋から声はしてた。こっちの呼びかけにも答えてた。でもそれ、録音だと思う」
お母さんは、首をひねった。
「ええ? だってひかる、ちゃんと答えてたんでしょ?」
「答えた答えた」
わたしはすっと、廊下をを指差した。
「ふたりとも、ひかるの部屋にいて。わたしここにいるから、壁ドンしたりしゃべりかけたり、ご自由にどうぞ」
ふたりがひかるの部屋に入ったところで、わたしは、Bluetoothに接続した。
これは、ひかるの部屋側の壁ギリギリに設置した、Bluetoothスピーカーに繋がっている。
そして、リビングのいすに座ったまま、ボイスメモにあらかじめ録音しておいた『友達と電話でしゃべってる風音声』を再生する。
じっと待っていたら、壁をドンと叩く音がした。
一旦止め、ボリュームを下げる。
そして再び再生すると、スピーカーから流れるわたしの声も小さくなった。
しばらく流していると、お母さんは再び壁を叩き、大声で呼びかけた。
「部屋にいるの?」
ボイスメモを止め、さっとマイクアプリに切り替える。
「リビングにいるよ。来て」
ひかるの部屋のドアが開いた。
鬼の形相の母に首根っこを掴まれた、顔面蒼白のひかる。
やばい、超ウケる。
わたしの実験は『憶測ではない』と判定され、お母さんによるひかるのスマホチェックが行われた。
そして案の定、ボイスメモから『友達とゲームしてる風』の音声が出てきた。
「ごめんなさいでしたすいませんでした!!」
机にひれ伏すひかるのつむじをデコピンする。
お母さんはゲンコツをくらわせたあと、ケーキ3ヶ月分+迷惑料をお年玉から返すよう命じた。
「バカだなー。欲しいなら普通に、ちょっとくださいって言えばいいのに」
「絶対くれないじゃん」
「盗み食いとか変なことしなければ、普通にあげるよ」
ほんと、バカな弟だ。受験間近だと言うのにこんな調子で……。
こんなにバカなんじゃ、自力でどうにもならなそうだし、次のバイトの給料で、学業のお守りでも買ってあげようかなと思う。