帰りたい場所があり、待っている人がいる。
一世紀を生き抜いた一人の男性が病院からホームに帰ってきた。
消化管疾患で入院となったが、経過中に誤嚥性肺炎を合併。点滴・酸素・抗菌薬を投与するも、病状は改善しない。これ以上、治療してもよくならないなら、最期は奥さんの待つ住み慣れた場所で。家族と病院チームの決断で、搬送中の急変の可能性すら懸念される状況での退院となった。
入院中は全く食事や水分が摂れず、言葉も全く出なくなってしまっているという。もう、酸素も点滴も吸引もしない。そんな看取りを前提とした覚悟の帰宅だった。
退院同日。
ご本人にお会いし、そしてご家族と最期の方針を確認するために、ホームを訪問した。
彼は自分のベッドに横になっていた。
ベッドサイドの椅子に腰かける奥さんと見つめ合い、心なしか微笑んでいるようにも見えた。
僕は腰を落とし、顔を覗き込み「おかえりなさい」と声をかけた。すると彼はこっちを見て「ありがとう」と絞り出すような声で、それでもしっかりと答えてくれた。
俺は死にに帰ってきたわけじゃない。
彼の目はそう言っていた。
「お疲れですよね。具合はどうですか?」
「大丈夫です。」
「きっと、おなかが空いていますよね」
「はい。食べたいです。」
「もう入院させたりしませんから。しっかり元気になりましょうね。」
彼は強く頷いて、少し涙を流した。
退院時の看護サマリーには「認知力低下のために本人理解できず」と記載されていた。おそらく、話してもわからない、という判断が病棟で共有され、本人には納得のいく病状説明がないまま、3週間の入院治療が行われたのだ。
心が痛んだ。
消化管疾患をコントロールし、物言わぬ患者を相手に、しっかりと肺炎治療に取り組んでくれた病院の治療チームには感謝の念しかない。
しかし、言葉を発しないのも、1つの意思表示なのだ、ということは知っておいてほしかった。
それは、話を聞こうとしない、話がわからないと一方的に決めつける専門職に対する無言の抗議なのだ。
彼は自身の命をかけた3週間のハンガーストライキで、ついに退院を勝ち取った。そして自分の思いが伝わるところで、最期までありたい自分を貫き通すのだろう。
ホームで実施した食事のコンディショニングのための口腔ケアでは、スポンジブラシに吸い付き、一生懸命水分を吸い取ろうとしていた。もちろんムセはない。その後、ホームの看護師より、ゼリー食を問題なく摂取できたと報告を受けた。
この人はきっと回復する。
帰りたい場所があり、待っている人がいる。
生活こそが生命力の源。
だからこそ、在宅医療の存在意義があるのだ。
僕はそう思う。