デジタル・シティズンシップの可能性と 教育学の再考
2021年度日本教育学会第80回大会自由研究発表(2021年8月27日)
はじめに
本日は「デジタル・シティズンシップの可能性と 教育学の再考」について発表を行います。この発表は『教育学研究』第44巻2号に掲載された同名の論文に基づくものです。この論文はデジタル・シティズンシップとメディアリテラシーの概念を取り上げ、教育学におけるこれらの概念の位置付けを検討するものです。最初に論文の概要と趣旨を解説し、次に「メディアリテラシー」と「デジタル・シティズンシップ」概念の意義、そして最後に成果と残された課題についてまとめます。
まず、本論文の背景について説明します。2020年12月13日にJEARN、すなわちiEARN日本支部と教育工学会SIG-08、すなわち教育工学会のメディア・リテラシー、メディア教育研究グループ主催のワークショップで、両者の依頼を受けてデジタル・シティズンシップとメディアリテラシーの関係について報告を行いました。
教育工学会SIG-08からの事前要望として、
第一に、メディア・リテラシー教育がシティズンシップの形成に果たす役割や期待される成果、第二に、政治的事象など現実社会の諸課題と向き合う上で、どのようなメディアの特性をどのように理解するための教育が必要とされるのかという二つの質問を受けておりました。この時のワークショップについては、「JEARNによる2020年度国際協働学習iEARNレポート」に成果報告が掲載されています。この時の発表は、デジタル・シティズンシップとメディアリテラシーの関係を主に報告したものですが、これをベースにして、教育学研究の特集「新しい教育学の模索と挑戦」向けにまとめたものが本論文になります。
メディアリテラシーとデジタル・シティズンシップの概念
日本ではメディアリテラシーといえば、教育工学の概念だと思われがちですが、それは日本の特殊な事情によるもので、世界的に見ればカルチュラルスタディーズやメディアスタディーズを土台にした教育学の概念です。概念が形成された当初からシティズンシップが含まれていました。メディアリテラシーとはメディア・メッセージの批判的な読み解きと創造であり、メディアリテラシーの批判的思考はシティズンシップに不可欠なものだと考えられていました。
一方、デジタル・シティズンシップは国際教育テクノロジー学会すなわちISTEが2007年に発表した情報基準の一つに加えたことから、世界的に知られるようになりました。つまり、こちらは教育工学の概念といっていいと思います。当時のデジタル・シティズンシップ概念にはデジタルリテラシーが含まれていましたが、メディアリテラシーは含まれていませんでした。現在、メディアリテラシーとデジタル・シティズンシップには強い結びつきがありますが、そのきっかけを作ったのは2016年のアメリカ大統領選です。
当時、ソーシャルメディアには大量のいわゆる「フェイクニュース」が拡散し、それが大統領選挙に影響をもたらした可能性があると言われています。これ以降、アメリカの教育現場では偽情報を見分ける能力の育成が強く指摘されるようになり、研究と実践が進みました。
もっとも以前は、メディアリテラシーとデジタル・シティズンシップ研究の両者の関係は必ずしも良好とは言えませんでした。ISTEによるデジタル・シティズンシップの定義は「ICT利用の適切かつ責任ある行動規範」というものでしたが、メディアリテラシー研究で著名なバッキンガムは「批判的なものはもちろんのこと、政治的、市民的、もしくは集団的な要素さえ排除している。それは単にトラブルを遠ざけ、行儀良くし、よく躾けられた従順な子どもでいろということ」と批判をしていました。
メディアリテラシーについて
メディアリテラシーとシティズンシップの関係を簡単に説明します。メディアリテラシーを理解する上で欠かせないのは1982年のユネスコのグリュンバルト宣言です。その中には次のように述べられています。
「発達過程におけるコミュニケーションとメディアの役割や社会への市民の積極的な参加のための道具としてのメディアの機能を過小評価すべきではない。政治および教育制度は、市民がコミュニケーション現象に対する批判的理解を促進する義務を認識する必要がある。
メディア教育を責任あるシティズンシップを育てるための一つの準備として議論することが難しいとしても、近い将来、衛星放送や双方向のケーブルテレビ、データ放送システム、ビデオカセットやディスクなどのコミュニケーション技術の発展とともに、これらの発展から生じるメディア消費における選択の度合いが増えてくると、その議論は避けられなくなるだろう。」
メディアリテラシーの基礎理論を作ったのはイギリスのレイ・マスターマンです。主著は1985年に出版された『Teaching the media』ですが、彼は次のように書いています。「すべての市民が権力を持ち、合理的な意思決定をし、効果的な変化の担い手となり、メディアと積極的な関わりを持つためには、メディアリテラシーの普及が不可欠である。メディア教育がもっとも重要な役割を果たすことができるのは「民主主義のための教育」という広い意味でのメディア教育である。」彼は当時の構造主義やポスト構造主義、そしてカルチュラルスタディーズ、批判的教育学の影響を受けながらこの本を書きました。
この本を読んだカナダのトロント市の教育者たちは大きな影響を受け、1989年にはオンタリオ州の教育省がメディアリテラシー・リソースガイドを出版します。そこには次のように書かれています。「民主主義社会で自由な市民としての役割を果たすためには、市民は自ら情報に基づいた選択を行い、自身を意識しない目的のために利用されることのないように学習できるよう、批判的自律性を発達させる必要がある。」カナダ・オンタリオ州で発展したメディアリテラシー運動はアメリカへと拡大します。
全米メディアリテラシー教育学会は2007年にアメリカ・メディアリテラシー同盟から名称を変更するのですが、そのときにメディアリテラシー教育中核原理を発表します。そこには「メディアリテラシー教育は、民主主義社会に不可欠な、情報に通じ、深く考え、積極的に関わっていく社会への参加者を育てる」と書かれています。これらはメディアリテラシーの発展史の一部にすぎませんが、最初から現在まで一貫してシティズンシップの概念に貫かれていることがわかります。
デジタル・シティズンシップについて
では、次に欧州評議会のデジタル・シティズンシップ教育ハンドブックを紹介します。このハンドブックは2019年に出版されました。ISTEよりも後発であり、教育工学ではなく、初めから民主主義を志向する教育政策として構想されています。その特徴は、デジタル・シティズンシップの土台に民主主義文化のためのコンピテンシーがあることです。
ハンドブックの出版と同時に欧州評議会は加盟各国に「デジタル・シティズンシップ教育の開発と推進に関する加盟国への閣僚委員会勧告」を発表しています。そこには、次のように書かれています。「民主主義文化のための技術的・機能的なスキルとコンピテンシーを習得する手段を市民に与えることで市民をエンパワーすることは、市民の保護と安全に劣らず重要であり、デジタル環境と新たなテクノロジーから生じる課題とリスクに取り組むだけでなく、それらがもたらす機会から利益を得ることを可能にすることを強調する。」そして、この文に引き続いてジェンダーの問題、とりわけSTEM分野における女性の教育機会の拡大の重要性が述べられています。
欧州評議会は2020年にトレーナーズパックを出版します。そこには次のように書かれています。「デジタル・シティズンシップとは、デジタル技術を利用して社会に積極的に関与し、参加する能力です。それは、対面式の討論、ボランティア活動、新聞への投書、公職への立候補、行進やデモなど、デジタル以外の民主主義的なシティズンシップと共存し、相互に影響し合う関係にあります。デジタル・シティズンシップは、コンテンツの作成や公開、交流、学習、調査、ゲームなど、あらゆる種類のデジタル関連活動で表現することができます。社会的・政治的な目的を持って行われたり、社会的・政治的な影響を与えるようなデジタル活動は、シティズンシップ活動となります。」
このように、欧州評議会の考えるデジタル・シティズンシップは、シティズンシップ教育と表裏一体であり、簡単に言えばデジタル技術を用いて社会に参加する活動がデジタル・シティズンシップ活動ということになります。今日、デジタル技術を用いることは当たり前のことなので、デジタル時代のシティズンシップがデジタル・シティズンシップだと考えていいでしょう。
欧州評議会のデジタル・シティズンシップの10の領域は、アクセスとインクルージョン、学習と創造性、メディア情報リテラシー、倫理と共感、健康と福祉、eプレゼンスとコミュニケーション、積極的参加、権利と責任、プライバシーと責任、消費者アウェアネスです。この中でもメディア情報リテラシーはユネスコの概念がそのまま用いられています。
デジタル・シティズンシップの10領域
1.アクセスとインクルージョン
2.学習と創造性
3.メディア情報リテラシー
4.倫理と共感
5.健康と福祉
6.eプレゼンスとコミュニケーション
7.積極的参加
8.権利と責任
9.プライバシーと責任
10.消費者アウェアネス
ISTEのリブルが書いた「学校におけるデジタル・シティズンシップ」第3版は2015年に出版されました。ISTEの「デジタル・シティズンシップ・ハンドブック」は、欧州評議会と同じく2019年に出版されました。
こちらはISTEのデジタル・シティズンシップの9要素は、欧州評議会の10領域と比べると礼儀正しい行動規範やネット上の安全が含まれている点が大きな違いです。5つめのデジタルフルーエンシーは、2015年版ではデジタルリテラシーだったものです。ここにはメディアリテラシーとオンライン情報評価能力が含まれることになりました。
デジタル・シティズンシップの9つの要素
1.デジタル・アクセス 平等なテクノロジーへのアクセス
2.デジタル・コマース ネットでの安全な売買
3.デジタル・コミュニケーション&コラボレーション
情報をネット上で適切かつ安全に共有・協働
4.デジタル・エチケット 礼儀正しい行動規範によるテクノロジーの利用
5.デジタル・フルーエンシー
デジタルリテラシー+メディア・リテラシーと情報リテラシー
7.デジタル健康と福祉 デジタル世界における身体的心理的な健康
8.デジタル法 ネットで見つけたテクノロジーやコンテンツの合法的な利用
9.デジタル権利と責任 インターネットの自由と責任
10.デジタル・セキリュリティ ネット上の安全
メディアリテラシーとデジタル・シティズンシップの統合
メディアリテラシーとデジタル・シティズンシップが教育運動・教育政策として統合された象徴的な出来事は、2017年4月にアメリカのワシントン州で成立したデジタル・シティズンシップ教育法です。メディアリテラシーとセットになっているため、メディアリテラシー教育法といってもいいと思います。この法律では、メディアリテラシーを「メディア・メッセージに関わる批判的思考を可能にするスキル」、デジタルシティズンを「メディア創造の主要な方法であるデジタルツールを効果的かつ深く考えて活用するリテラシー・スキルを持った市民」と定義しています。
アメリカ全土でメディアリテラシー教育法制定運動を行っているNPOメディアリテラシー・ナウのマクネイル代表は2016年6月に書かれたブログ記事の中で次のように書いています。「私たちは「デジタル・シティズンシップ」という用語が政治家の間で共感を持って捉えられる一方で、密接に関係する「メディアリテラシー」という用語が明らかに身近ではないものになりつつあることを見てきた。」そして次のようにも述べています。
「メディアリテラシーとデジタル・シティズンシップは教育政策においてどのような場合でもともに議論されるべきである。」つまり、デジタル・シティズンシップに比べるとメディアリテラシーは政治家には受けが良くなかったということです。批判的思考を重視するメディアリテラシーは為政者にとって必ずしも良いものだと考えられないのはどこの国でも同じです。しかし、こうした状況は11月の大統領選以降、大きく変わります。
フェイクニュース問題の台頭
すでにお話ししましたが、大統領選中、ソーシャルメディアに大量のいわゆる「フェイクニュース」が拡散し、社会的な問題となります。また、2016年11月22日はスタンフォード大学歴史教育グループが6000人の中学生から大学生までの生徒学生を対象としたオンライン情報評価能力調査の結果を公表します。その結果、彼らは著しくオンライン情報評価能力に劣っていることが判明しました。
その状況にもっとも早く反応したのは図書館による情報リテラシー教育運動です。従来図書用だった情報評価チェックリストであるCRAAPテストをオンライン対応に改良し、全米の学校で情報リテラシー教育を開始しました。一方、2008年に設立されたジャーナリストを中心としたニュースリテラシープロジェクトの活動が注目され、多額の資金を得て活動を拡大しました。さらにスタンフォード大学歴史教育グループはファクトチェッカーの手法を取り入れたラテラルリーディングと呼ばれる教育方法を開発し、学校への導入を進めます。
イギリスでも議会に超党派のグループが批判的デジタルリテラシーを土台とした報告書を提出するなど、世界的にオンライン情報評価能力に関する教育政策や運動が加速化していきます。一方、メディアリテラシー研究者は、情報リテラシーやニュースリテラシーの手法を取り組むフランクベーカーのような研究者の動きがある一方で、バッキンガムのように情報の評価を中心とした考え方を批判する動きもあります。
そして著名なメディアリテラシー研究者のルネホッブスはプロパガンダやアルゴリズムリテラシーへ着目します。このような潮流全体を見ると、多様で多元的なリテラシーを統合したユネスコのメディア情報リテラシーの意義がますます高まることになったと思います。
世界的な情報教育政策の観点から考えてみます。2007年にiPhoneが発売され、スマホに人気が集まりますが、ちょうど同じ年にNAMLEのメディアリテラシー教育中核原理が公表され、ISTEの情報教育基準にデジタル・シティズンシップが登場します。そして翌年、ユネスコはメディア情報リテラシープログラムを開始します。そして同じ年にニュースリテラシー・プロジェクトが設立されます。
2014年にのちに欧州評議会のデジタル・シティズンシップ教育を提案することになる「民主主義のためのコンピテンシー」委員会が設立されます。そして米大統領選でトランプが当選した2016年にユネスコはデジタル・シティズンシップ・ポリシーレビューを出版します。2019年にISTEおよび欧州評議会がデジタル・シティズンシップ教育ハンドブックを出版し、OECDは「21世紀の子どもの教育」、ユニセフは「子どものためのデジタルリテラシー」を出版するとともにデジタル・シティズンシップ教育を政策の一部として打ち出します。
つまり、2007年ごろから世界的な保護主義からエンパワーメント主義への転換が始まり、2016年ごろからフェイクニュース問題の登場によって、世界的なデジタル・シティズンシップ教育運動は加速化しました。2020年にはハーバード大学が「デジタル・シティズンシップ・プラス」の報告書を公表します。
COVID-19パンデミックの影響
もう一つ、デジタル・シティズンシップ教育を加速化させた原因が新型コロナウイルス感染症パンデミックです。アメリカの7割の公立学校にデジタル・シティズンシップ教育のカリキュラムと教材を提供しているNPOのコモンセンスは、「教師も生徒も、コロナウイルスとその影響を理解するために、ニュースやソーシャルメディアをチェックする時間が増えています。今、生徒たちには、ニュース&メディア・リテラシー、いじめを認識して対応する能力、自分たちのメディア習慣が自分たちにどのような影響を与えるかを理解することなど、重要なデジタル・シチズンシップのスキルが、これまで以上に必要とされています」と述べています。とりわけ新型コロナウイルス感染症やワクチンに関する偽情報・誤情報や陰謀論が世界中に大きな影響をもたらしていることはご存知の通りです。
バコールズらは論文「グローバル・パンデミック下のデジタル・シティズンシップ:デジタルリテラシーを超えて」の中で次のように書いています。「批判的デジタル市民リテラシーは、より一般的な民主主義的市民活動と同様に、市民活動についての学習から、対面、オンライン、そしてその間のあらゆる空間での民主主義的なコミュニティへの参加と関与へと移行することを必要とする。教育は「不平等の上に築かれ、永続させる機能不全の市民生活を受け入れるために若者を訓練する」ことをやめ、学校が「若者が自分たちのリテラシーを用いて、自由な市民の未来を夢見てデザインする」ことを支援するデジタル・シチズンシップの視点に向かって進まなければならない。」つまり、パンデミック下でますますソーシャルメディアの需要が高まったことを背景に、若者たちが積極的に社会に参加するための参加型デジタル・シティズンシップ実践が求められると指摘しています。
そのための鍵となる問いは以下の4つです。一つはオンライン情報源の正確性、視点、妥当性の評価、二つめは、自分とは異なった信念や経験を持つ人々と敬意を持って関わることのできるオンラインの場を発展させること、三つめはソーシャルグッドのためにどのようにテクノロジーを用いるのか、四つめは他の活動や社会的交流とのバランスをどのようにとるかという問題です。そして根源的な問いとして、「オンライン上で誰の声が欠けているのかを認識し、テクノロジーへのアクセスと公平性を促進するためにはどうすればよいか」という問いがあげられこています。
デジタル・シティズンシップ・プラス
次にバーバード大学パークマン・クレイン・センターが昨年発表した報告書「デジタル・シティズンシップ・プラス」について紹介します。この報告書では、デジタル・シティズンシップという概念について、次の二つの点で重要であると指摘されています。1つめは、シティズンシップに「デジタル」を加えることで、若者のエンパワーメントと可視性を育むために若者が持つ役割と主体性をより強く示すコンセプトになると考えているからです。
2つめは、柔軟でオープンな概念であると考えられるため、法的な投票年齢に達していなくても、若者がこの概念に関与することをより確かなものにしていること、そしてデジタルリテラシーやニューメディア・リテラシーなどの他の概念と比較して、デジタル・シティズンシップは、一般的に、より包括的な概念であると考えられると指摘しています。そして、「デジタル・シティズンシップ・プラス」を、「急速に進化するデジタル社会において、青少年が学問的、社会的、倫理的、政治的、経済的に十分参加するために必要なスキル」と定義しています。
つまり、彼らが考える新たなデジタル・シティズンシップはシティズンシップの一部ではなく、逆に拡大するものだと言えます。そしてデジタル・シティズンシップは、デジタル時代の多様なスキルを接続する包括的な概念であること、学問や国境を超えた議論の喚起、若者を社会変革のエイジェントとして認識すること、そしてデジタル技術に支配されるのではなく、デジタル技術による主体性の形成を追求することが提起されています。
GIGAスクール構想とデジタル・シティズンシップ
これまでデジタル・シティズンシップとメディアリテラシーをめぐる海外の議論を紹介してきましたが、日本の教育研究では、こうした議論は研究の場でも政策の場でもほとんど論じられることはありませんでした。しかし、GIGAスクール構想の実施に伴って、各地の教育委員会や、教職員組合、学校ではデジタル・シティズンシップ教育への注目が急速に集まっています。昨年の4月には中教審の議論でも取り上げられました。
新型コロナウイルス感染症パンデミック下でGIGAスクール構想が端末の自宅持ち帰りへと方針を変更したことが大きな契機になっていることは間違いないでしょう。一昨日も神奈川県内の小学校でデジタル・シティズンシップ教育に関する教職員研修を行いましたが、端末の活用をする上で必要な教育がこれまでやられてこなかったことが最大の問題だと認識されているようです。リスク喚起が中心の情報モラル教育では対応できないことは広く共有されています。
昨年12月に出版された『デジタル・シティズンシップ教育 コンピュータ1人1台時代の善き使い手をめざす学び』(大月書店)は、このようなニーズに叶ったものだと思います。上の図は大雑把にデジタル・シティズンシップ教育政策・運動をめぐる日本の状況を描いたものですが、左側に文科省・中教審によるSociety5.0を土台とした経済界主導の教育政策があります。それはGIGAスクール構想や個別最適化の教育、STEM教育、情報モラル教育という形で進められています。他方で、右側には反デジタル教育の考え方があります。
例えば、GIGAスクール構想はIT企業の利益のために進められているものである、自然との共生やリアルな共感こそが必要である、ICTは子どもの学力を向上させない、ICTを使わせればネット依存になるのではないかといった意見はさまざまなところで聞かれます。WHOが「ゲーム障害」を国際疾病として認定したことも一つのきっかけになっていると思います。政策として見れば、デジタル教育推進と反デジタル教育論という二項対立になっていると思われます。しかし問題はこうした議論がグローバルな環境の中で行われているわけではないということです。デジタル・シティズンシップ教育はもともと国際的な環境の中で研究され、議論されて、成果を積み重ねてきたため、こうした疑問に対する議論や答えはすでにあります。研究という観点から見れば、まずそのような先行研究の成果を共有するべきでしょう。
デジタル・シティズンシップと教育学研究
上の図は学問領域からデジタル・シティズンシップ教育の環境を描いたものですが、シティズンシップ教育という観点では教育学と接点があるものの、それ以外の部分についてはほとんど接点がありません。情報モラル教育は内容から言えば教育学に属してもいいはずですが、実際には教育工学の一部だとみなされています。
メディアリテラシーはより複雑です。これまで見てきたように、本来は教育学の領域に属しているにもかかわらず、教育工学の領域に属しているとみなされています。そのため、日本のメディアリテラシー教育の議論には、シティズンシップの視点が欠けています。最大の問題は、世界中で大きな問題になっている偽情報や陰謀論に関する議論がどちらの領域でも十分にされていないことです。ただし、NIEには教育工学とは異なるメディアリテラシーの視点があるため、偽情報問題への関心があります。今後の期待ができると思います。
2019年11月9日に法政大学で開催したシンポジウム「デジタル時代のシティズンシップ教育」は、シティズンシップ教育フォーラムが共催しました。また、文科省の小栗さんは高校の新教科「公共」にデジタル・シティズンシップ教育の要素が含まれていることを報告されています。私と一緒に問題提起をされた小玉重夫会員は文科省主権者教育推進会議のメンバーです。このシンポジウムには教育工学からジャーナリストまでさまざまな領域の方々が参加されました。たまたま参加した大月書店の編集者がこのシンポジウムを聞いて出版の話を私に持ってきたことで、昨年12月の本の出版に至りました。
文科省主権者教育推進会議は「今後の主権者教育の推進に向けて」最終報告を3月31日に発表しています。その中には「情報を収集・解釈する力や、情報の妥当性や信頼性を踏まえて公正に判断する力などのメディアリテラシーの育成を学校のみならず家庭においても図ることが重要」と書かれています。まさに先ほど研究領域の間隙に落ちてしまった問題がここにはあります。
最後にまとめたいと思います。第一に、教育工学のデジタル・シティズンシップ概念と教育学のメディアリテラシー概念は統合され、世界的な教育運動・政策の理念となりました。第二に、メディアリテラシーにおけるシティズンシップの重要な要素は批判的思考です。この点を抜きにしてデジタル・シティズンシップも議論できません。第三に、世界中で問題となっている偽情報・陰謀論問題はデジタル・シティズンシップ教育政策の推進力となっているということです。そして最後に、デジタル・シティズンシップやメディア・リテラシーに対して、学問領域を超えた議論と対話が必要だと思います。
補足
この発表の中にはないのですが、冒頭のSIG-08の質問への回答をまとめておきます。
(1)メディアリテラシー教育がシティズンシップの形成に果たす役割や期待される成果
もともとメディアリテラシーの概念にはシティズンシップの概念が含まれています。批判的思考はシティズンシップの基礎です。そしてソーシャルメディア時代のメディアリテラシー理論には市民社会への参加能力が含まれており、デジタル・シティズンシップと関係することになります。
(2)政治的事象など現実社会の諸課題と向き合う上で、どのようなメディアの特性をどのように理解するための教育が必要とされるのか
現実の社会の諸課題は同時にメディアの中にも存在します。メッセージの内容と形式は一体であり、ソーシャルメディア時代には動画や音楽、アルゴリズムなど多様なフォーマットのメッセージが存在します。重要なことは、さまざまな質問を学習者に投げかけて、それらメディアメッセージの意味を問い、社会的文脈の中で読み解くことです。例えば、そのメッセージはどのような表現技術によって私たちにどのような印象を与えているのだろうか、自分とは異なる多様なオーディエンスはメッセージをどのように読み解くだろうか、そのメッセージにはどのような価値観や視点があるだろうか、あるいは排除されているだろうかといった質問です。メディアの特性を理解することは手段であって目的ではありません。
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