デジタルリテラシーとは何か
この記事は2020年10月17日に開催された日本教育メディア学会第27大会での発表原稿です。
はじめに
今日、私がお話ししたいことは、デジタルリテラシーとは何か、その定義についてです。最近、デジタルリテラシーという用語が世界的に注目を浴びています。しかし、日本ではこれまでデジタルリテラシーの定義や理論については、十分な議論がされているとは言えませんでした。そこで、今回はその入り口にあたる議論を紹介したいと思います。
なお、この話の元になっている論文は「デジタル・リテラシーとは何か 批判的デジタル・リテラシーからデジタル・メディア・リテラシーへ」(『生涯学習とキャリアデザイン』第18巻1号)です。参考文献の書誌情報はこの論文にあります。こちらも合わせてお読みください。
デジタルリテラシーの基本概念
最初に、デジタルリテラシーの基本概念を解説しましょう。1996年、グッドソンとマンガンの論文には、「ソフトウェアの効果的操作や基本的な情報検索のための最低限のスキル」と書かれています。実はこの定義はバッキンガムが引用したものなのですが、彼はこの定義を批判しています。それについては後ほど説明します。また、アメリカの連邦通信委員会は2010年にブロードバンド計画を発表しました。その中でデジタルリテラシーを「家庭にブロードバンドを導入・活用するために必要な基礎的能力」と定義しています。これは実にシンプルな定義です。
一方、国際教育テクノロジー学会のリブルは、デジタル・シティズンシップの9つの要素の1つとして、デジタルリテラシーをあげ、「学習へのテクノロジー活用」と定義しました。この定義は2019年になると「デジタル資料を収集し、評価し、引用する方法」が加わりました。ただし、デジタル・シティズンシップの要素としては、デジタルリテラシーではなく、デジタル・フルーエンシーという用語を使っています。
次に アメリカでもっとも知られている定義を紹介します。それはアメリカの図書館協会が2013年に作った定義です。それによると「ICTを用いてデジタル情報を発見、理解、評価、創造、伝達する能力であり、認知および技術的スキルの双方を必要とする」と書かれています。これらはいずれも基礎的な定義ですが、よく見れば、活用スキルからデジタル情報の読み書きへと重点が変化していることがわかります。
公共図書館とデジタル・インクルージョン
次にアメリカのデジタル・インクルージョンの概念を説明します。さきほど、FCCが作った全米ブロードバンド計画の話をしました。このFCCの計画に基づいて、博物館図書館サービス振興機構は2012年に「デジタル・コミュニティの構築:行動のためのフレームワーク」と呼ばれる報告書を公表しました。この報告書には次のことが書いてあります。
1つ目は、すべての人が高度なICTの利点を理解していること。
2つ目は、すべての人が高速インターネット接続機器やオンライン・コンテンツに公平かつ手頃な価格でアクセスできること。
3つ目は、すべての人がこれらの技術を利用して、教育的、経済的、社会的な機会を利用することができることです。
これがアメリカのデジタル・インクルージョンの概念です。
そしてビザーは「アメリカの図書館と司書は全国のデジタルリテラシーとデジタル・インクルージョンの取り組みの最前線にいる」と書いています。アメリカのデジタルリテラシーの概念は、このように子どもも大人も含むデジタル・インクルージョンの概念と密接に結びついていると言えます。日本ではこうした発想がほとんどなく、このような議論が日本の図書館界ではほとんどされていないのは残念です。また、「GIGAスクール構想」も本来はより広くデジタル・インクルージョンと社会政策の観点から論じられるべきだと思います。
批判的デジタルリテラシーの潮流
次に批判的デジタルリテラシーの潮流を紹介します。批判的デジタルリテラシーは特に最近「フェイクニュース」と呼ばれるオンラインの偽情報の流通により、注目を浴びるようになりました。イギリスの超党派議員団「フェイクニュースと批判的リテラシー」教育委員会はナショナル・リテラシー・トラストの協力を得て 2018年に「フェイクニュースと批判的リテラシー」というタイトルの報告書を発表しています。
この報告書には、次のようなことが書かれています。まず、ニュースが本物か偽物か見きわめるための批判的リテラシーを持っているイギリスの子ども・若者はわずか2パーセントにすぎず、彼らの半数は見きわめられないことに不安を感じていること、そして次に教師の3分の2が「フェイクニュース」が、子ども・若者たちの不安を高め、自尊心を傷つけ、世界観をゆがめてしまい、彼らに有害な影響をもたらしていると感じていることです。
そして報告書は次のような5つの提言をしています。
第一に、デジタルの世界をナビゲートし、オンラインで見つけた情報に疑問を抱くために必要な批判的リテラシー・スキルを身につけること。
第二に、信頼できるメディア企業からの正確なニュースにアクセスする権利があり、それらを議論し、文脈に沿って説明する機会があること。
第三に、実際のデジタル環境で批判的リテラシー・スキルを実践する機会が与えられること。
第四に、ニュースがどのように作られているかを理解し、批判的思考力とフェイクニュースを見きわめる能力を養うこと。
そして最後に、家で読んだニュースについて、仲間と話すことができるように励まされ、支援されることです。
このように、この報告書に書かれている批判的リテラシーとは、実際には批判的デジタルリテラシーのことだと言ってよいと思います。今日、デジタルリテラシーについて語られるとき、必ずと言ってよいほど、「フェイクニュース」、すなわちオンラインの偽情報の問題と深く関わっています。
5つのフレームワーク
この報告書には、ヒンリヒセンとクームスの論文が紹介されています。彼女らは批判的デジタルリテラシーの5つのフレームワークを紹介しています。このフレームワークはルークとフリーボディの「4リソースモデル」を改良したものです。ルークらは批判的リテラシーを論じたのですが、ヒンリヒセンらは批判的デジタルリテラシーとして論じています。
この5つのフレームワークの中には次のものがあります。
デコーディング、 これはデジタル・メディアの読み解きです。
意味の創造、これはテキスト構築への主体的参加です。
分析、これは批判的、美的、倫理的な視点を持って考察することです。
使用、デジタルツールの適切かつ効果的な使用です。
人格、自己のオンライン人格を意図的に管理することです。
デジタル・シティズンシップの概念で言えば、デジタル・アイデンティティの問題だと言えるでしょう。そして彼女らは、技術的決定論と社会的決定論を乗り越える視点として、批判的視点が重要であると指摘しています。
さて、彼女らのいう批判的デジタルリテラシーにおける「批判的」とはどういう意味でしょうか。彼女らは2つの「批判的」の意味を説明しています。まず内的な意味での批判的です。これは「テクノロジー内容や使用法、制作物に対する分析や判断の能力」のことを言います。
外的な意味での「批判的」とは、テクノロジーの発展、影響、社会的な関係性に関わっており、誰によってどのようにどのような目的で構築されているのかといった社会的文脈と関連しています。そして彼女らは、記号論分析やディスコース分析などのテクスト分析を重視します。
彼女らはバッキンガムらのメディア・リテラシー理論から影響を受けていると述べています。メディア・リテラシーにおける批判的思考が、メディア・テクストの表現の仕方への注目と同時に、その社会的文脈への視点にあることを思い起こすと、内的な意味の「批判的」と外的な意味の「批判的」と二つに分けたことが分かるのではないかと思います。
批判的デジタルリテラシーの再構築
次に批判的デジタルリテラシーの再構築を提起したパングラジオの理論を紹介します。彼女は批判的デジタルリテラシーとデジタル・デザイン・リテラシーとの統合を提案しました。そのために乗り越えるべき3つの課題があると書いています。
1、個人的な感情を疎外することなく、「デジタル」に付随するイデオロギー的な懸念を批判すること、
2、社会的・教育的不平等という社会的な問題を個人の実践に結びつけること、
3、技術的習熟が求められるという状況下でも批判的気質を育成すること、
以上の3つです。
そしてこれらの問題を乗り越えるためには3つの方法が必要だと書いています。
第一に、デジタル・ネットワークから批判的距離を取り戻すこと、
第二に、デジタル・ネットワークの可視化です。
そして第三は、批判的振り返りです。
パングラジオの主張は、デジタルリテラシーの創造的な側面をより一層拡大しようとする方向性と、他方で批判的思考をさらに重視しようとする方向性をはっきりと示し、その統合をめざしたものだと言えるでしょう。
バッキンガムの指摘
次にバッキンガムの指摘を紹介したいと思います。メディア・リテラシー研究で有名なバッキンガムですが、彼はデジタルリテラシーについて書いた論文で次のように書いています。
まず、オンライン情報にバイアスは避けることができず、情報は必然的にイデオロギーによって表現されること、
デジタルリテラシーはコンピュータや情報機器、オンライン検索の仕方といった機能的な問題をはるかに超えた概念であること、
「メディア・リテラシーの原則をデジタル・テクストへと拡張する」こと、
「現代のコミュニケーションのあらゆる形態で必要とされるスキルやコンピテンシー、すなわち多元的リテラシーに取り組む必要」があるということです。
ここで重要なのは多元的リテラシーという考え方です。つまり、デジタルリテラシーだけではなく、他のメディア・リテラシーなどのリテラシーとの関連や接合を考える必要があることを意味します。
デジタル・メディア・リテラシー
次にデジタル・メディア・リテラシーについて説明をします。2009年、アメリカの「民主主義におけるコミュニティの情報ニーズに関するナイト委員会」が、「コミュニティーの情報化:デジタル時代における民主主義の維持」と題する報告書を発表しました。この中の1つの提案がデジタルリテラシーとメディア・リテラシーの統合でした。そして翌年2010年にルネ・ホッブスが、「デジタル・メディア・リテラシー アクションプラン」と題された白書を発表します。
ここでいう、デジタル・メディア・リテラシーとはデジタルメディアのリテラシーではなく、デジタルリテラシーとメディア・リテラシーを統合したものです。英語ではdigitalとmediaの間にandがあることに注意してください。そしてホッブスはデジタル・メディア・リテラシーには5つの課題があると彼女は書いています。
1番目は、メディアやテクノロジーにアクセスすることとその活用を混同してしまう、道具的な発想を変えること、
2番目は、メディアとデジタル技術に関するリスクへの対応、
3番目は、リテラシー概念の拡大、
4番目は、メッセージの信頼性と質を評価する能力の強化、
そして5番目はニュースとジャーナリズムを幼稚園から高校までの教育に用いることです。
さらに、ホッブスは、デジタル・メディア・リテラシーのAACRAフレームワークを提案します。これは、アクセス、分析と評価、創造、振り返り、行動、この5つの要素をサイクルさせることです。このサイクルがデジタル・メディア・リテラシーの学習過程になるわけです。分析と評価とは「メッセージを理解し、批判的思考によってメッセージの質、真実性、信頼性、視点を分析し、メッセージの潜在的な影響や結果を考察」することです。
また、サイクルの中に「行動」が含まれていることに注目してください。NAMLEのメディア・リテラシーの定義にも行動が含まれています。このフレームワークはメディア・リテラシーの要素を色濃く持っていると言えます。
最近のホッブスはデジタル・メディア・リテラシーを単に「デジタルリテラシー」と表現することがあります。彼女は2017年には「Create to Learn – Introduction to Digital Literacy」という本を出版しています。また、毎年、ロードアイランド大学でサマー・インステチュート・イン・デジタルリテラシーと呼ばれる夏季研修を行っていますが、その内容は「デジタル・メディア・リテラシー」なのです。
バッキンガムは「メディア・リテラシーの原則をデジタル・テクストへと拡張する」といいましたが、ホッブスのデジタル・メディア・リテラシーはデジタルリテラシーとメディア・リテラシーの統合を主張しており、よりいっそう明快と言えると思います。
デジタル・インクルージョンを目的としたデジタルリテラシーの潮流と批判的思考を基礎に置く批判的デジタルリテラシーやデジタル・メディア・リテラシーの潮流は、双方ともに重要です。そしてバッキンガムが批判したように、単なるテクノロジーの活用スキルとしてのデジタルリテラシー概念は乗り越えられなければなりません。
OECDとデジタルリテラシー
さて最後に、この元論文では触れていないことをお話したいと思います。それはOECDの動向です。OECDは2019年に「OECD Future of Education and Skills 2030」という報告書を発表しました。デジタルリテラシーについては、次のように書いてあります。
1つ目は、デジタルリテラシーとデータリテラシーは、今日の教育にとって、すでに中核的な基盤であること。
2つ目は、多様なオンライン・メディアからデジタル・テクストや情報源を読み、解釈し、意味づけをし、コミュニケーションする能力が必要であること。
そして3つ目として、簡単に生成され、アクセスされ、公開される情報を批判的に評価し、判別する能力が必要だと書かれています。
つまり、ここからわかることは、昨年結果が発表されたPISA2018の「読解力」の本質は、私がここで紹介した「批判的デジタルリテラシー」そのものだということです。
OECDは2019年にPISA2018の分析結果を報告しています。(詳細はこちら)そこには次のように書かれています。「過去には、生徒は慎重に編纂された政府公認の教科書で、疑問へのはっきりとした答えを見つけることができた。そして、それらの答えが真実であると信頼することができた。今日では、何十万もの質問に対する答えをオンラインで見つけることができ、何が真実で何が偽りで、何が正しくて何が間違っているのかを見極めるのは生徒次第なのである。」
そして続けてこのように書いています。「読み解きは、もはや情報を抽出することが主な目的ではなく、知識を構築し、批判的に考え、根拠のある判断を下すことが目的である。これとは対照的に、今回のPISAの調査結果によると、情報の内容や出所に関する暗黙の合図に基づいて、事実と意見を区別することができた生徒は、OECD加盟国では10人に1人以下であった。」これは何を意味しているのでしょうか。
OECDは、ICTが学校に普及している国でも批判的デジタルリテラシーが低く、問題だと言っているのです。日本は一部の結果がOECDの平均以下だということが問題になりました。そしてその原因は学校にICTが整備されていないからだという意見がありました。しかし、それはいささか的外れの見解だといえるでしょう。
学校にICTやCBTを整備しても問題は解決しません。重要なことは、単なるICTの整備ではなく、ここに書いてあるように、情報の内容や出所に関する暗黙の合図、つまり意識しなければ見えない情報に基づいて、事実と意見を区別することができたり、さらにはオンラインの情報の評価ができたりすることです。そしてそれらの情報から自分の考えを論理的に導き出す必要があります。つまり私たちが考えなければならないのは学校へのICTの整備とともに、批判的デジタルリテラシーを子どもたちに身につけさせることです。
その他のデジタルリテラシー論
OECD以外にも、ユニセフもデジタルリテラシーという用語を重要視しており、独自の定義をしています。ユニセフによると、デジタルリテラシーとは「グローバル化するデジタルの世界で、年齢や地域の文化や文脈に応じた適切な方法により、安全かつ権限を与えられた子どもたちが活躍し、成長するための知識、スキル、態度」です。グローバルとローカルな視点が含まれていることが特徴だと言えるでしょう。
また、スタンフォード大学歴史教育グループは、Lateral Reading、すなわち横読みと呼ばれるファクトチェックの手法を取り入れたWebサイトの読み解きを提起しています。(詳細はこちら)彼らによると横読みとは「ブラウザのタブを開いてさまざまなリソースをチェックして記事や投稿の社会的評価を調べる方法」であり、これもデジタルリテラシーだと言えます。
今日、デジタルリテラシーは、ポスト・トゥルースと呼ばれる時代の到来とともに、その土台としての批判的思考がよりいっそう重視されるようになったと言っていいでしょう。日本でもネット上に毎日のようにデマや偽情報が飛び交っている現実を直視すると、デジタルリテラシー教育の重要性がますます高まっていると思います。
そして、最後に確認しておきたいのは、デジタルリテラシーはデジタルの世界だけのリテラシーではないということです。リテラシーをデジタルの世界に拡大したものです。つまり、アナログな世界のリテラシーを含んでいることを理解しておく必要があります。
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