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海賊王と麗人海軍~海洋恋愛浪漫譚~ 序章(1/8)

【あらすじ】
海軍所属のアレクサンドラは、海賊団の集まる島国に諜報員として一人で潜入することになった。残虐非道だと噂されている海賊王・ロバートを討つという危険な任務だ。
 彼女を引きとめたのは、兄の親友であるエドワードだった。伯爵領の後継者で、容姿端麗な海軍のエリート。
 彼に求婚され、軍を辞めるよう迫られるが、アレクサンドラの意志は固かった。エドワードはアレクサンドラを守るため、海賊島に同行する。
 海賊島に到着後、二人はターゲットのロバートと対面する。しかし噂とかけ離れた人物で、海賊島の経済や治安を立て直した功労者だった。
 アレクサンドラは人としてロバートに惹かれていき、任務とのはざまで悩み――

    * * * *

序章 仮面舞踏会

 髑髏と目が合った。
 厳密には、「眼帯をした髑髏」の仮面をかぶった何者かに。

 十四歳のアレクサンドラ・ヴァローズは、島国のオルレニア王国に来ていた。
 十七歳の若き王太子の婚礼を祝して、大規模な仮面舞踏会が催されている。各国の要人が祝いにかけつけているため、ドミール帝国からは海軍大佐であるアレクサンドラの父が要人の護衛のために参加した。
 軍人に憧れて父の背中を追っているアレクサンドラは、父に無理を言って一週間の船旅に同行していた。
 仮面舞踏会といえば、誰がどんな格好で紛れているのかわからず、事件に発展することもあり得る。父の仕事が山場を迎えるこの場所では、アレクサンドラは足手まといだ。そこで別行動をし、最低限の目元を隠すマスクをして物見遊山を決めこんでいた。仮装はせずに、サテンの赤いドレスを着ている。
壁際に盛られた料理の山の数々と、それを照らす何千何万もの蝋燭。ワインを運ぶ給仕たちに、楽士たちの演奏にのって踊る仮面をつけた紳士淑女。白塗りの道化が滑稽なパフォーマンスをし、妖精が可憐に舞う。
「王太子様が仮面舞踏会好きと聞いているけど、私の国より賑やかなパーティーね」
 物珍しげに見て回っていたアレクサンドラは、視線を感じて足を止めた。
「……っ!」
 その人物を見てギョッとする。
 足先まで隠す黒いローブを着て、頭蓋骨のような不気味なマスクを首まですっぽりと被っている。人外の扮装をする者は多いが、祝いの席で髑髏を被るような者はほかにいない。
 その窪んだ暗い眼窩が、こちらをじっと見ている。
 同年代の女子の中では長身のアレクサンドラだが、髑髏の方がもう少し背が高い。その身体つきは細身で、同じ年くらいの男の子だと思われた。
「なぜ踊らないの?」
 髑髏がしゃべった。
 予想していたよりも声は高く、透明感があった。
「女性パートを踊らないといけないから」
 だからダンスに誘われても断っていた。
「君は女の子だから当然だろ」
 髑髏は不思議そうに小首をかしげた。耳にたこができそうなその言葉に、アレクサンドラはやれやれと首を振った。
「女性はドレスを着て淑やかにしなきゃいけないって、誰が決めたんだろうね」
 アレクサンドラは男女の扱いの違いが不満だった。
 彼女はストレートで美しいブルネットの髪を背中まで伸ばし、意志の強そうな大きなダークグリーンの瞳が印象的な美少女だ。少女だとわかるのは髪型や服装からで、相貌だけ見れば中性的だった。
 現に、父や兄たちと剣の稽古をするときには男女の差がない乗馬服を着て、髪も首の後ろで結うので、よく男の子と間違われた。
「君はよく裏庭で剣の稽古をしていたよね。男の子だと思っていたから、ドレスを着ているのを見て驚いたんだ」
「見られてたんだ」
 アレクサンドラは少しばつが悪くなる。
 男のような格好は人には見られないようにと家族に注意されている。他国に来てまで剣の稽古かと父に呆れられてもいた。
 しかも一応マスクをしているというのに、同一人物だとあっさり見抜かれてしまった。
「私は軍人になりたいんだ。特に、父のように海軍に入りたい。だから強くならなきゃいけない」
「なぜ海軍なの?」
「海が好きだから」
 アレクサンドラがまだ物心ついたばかりのころ、父親が軍艦に乗せてくれた。一瞬で、見渡す限り海に囲まれたその景色の虜になった。
 しかしその後、女性が軍人になる厳しさを思い知ることになる。女性に生まれた自分を恨みもしたが、悔やんでいるだけでは物事は進まない。
 だからアレクサンドラは、軍人になるために努力することに決めたのだ。
「女だけ海に出られないなんておかしい。私は平等に扱ってほしいだけ」
 ドレスはその逆恨みで好きではないのだった。
「君っておもしろいね」
「変わり者だって、よくいわれるよ」
 アレクサンドラは肩をすくめた。
「じゃあ、来て」
 髑髏は黒い手袋をはめた手でアレクサンドラの手首を掴み、大股で歩きだした。手袋越しの手は骨ばっていて大きい。
「えっ、ちょっと」
 アレクサンドラは突然のことに驚いて手を振りほどこうと抵抗してみたが、意外にも髑髏の力は強かった。慣れないヒールでバランスを崩しそうになる。せめて転ばないよう、アレクサンドラはドレスの裾を持ち上げた。
「あなたは誰? どこに行くの?」
 そういえば、お互い自己紹介をしていなかった。
「ドレスが嫌なら無理に着なくてもいいよ。今日は仮装できるパーティーなんだから」
「……確かに」
 なぜ私は、言われるがままにドレスを着ていたのだろう。
 賑やかなホールから離れ、中庭の見えるアーチ型の回廊を過ぎ、蝋燭が少ない薄暗い廊下に出た。随分と歩いた。どこまで連れていかれるのだろうか。
 初対面の不気味な髑髏に連れられているというのに、アレクサンドラは不思議と怖くはなかった。
「さ、入って」
「ここは?」
 広く豪華な部屋だった。
いくつも並ぶ大きな窓から自然光を取り込んで、マントルピースや天蓋ベッドの柱の繊細な細工が浮き上がって見える。
 秋の爽やかな風に揺れるレースのカーテンも、毛足の長い絨毯も、シンプルながら立体的な白い壁紙も全て高級品のようだ。辛うじて貴族の末席に名を連ねるアレクサンドラの家の調度品とは雲泥の差だった。
「あなた、誰?」
 改めて尋ねたが、髑髏はまたも答えない代わりにドアの脇の紐を引いた。遠くでかすかに鈴が鳴る音が聞こえ、それから複数の足音が近づいてきた。
「フランシス様、お呼びですか?」
「あら、綺麗なお嬢様をお連れになって、どうなさいましたの?」
 あっという間にアレクサンドラは、二人の侍女に囲まれた。従者はパーティーに参加しないので仮装をしていない。
「さっきの服を、彼女に着せてほしい」
「あれは、殿方用のお召し物ですわ」
「それにサイズも、フランシス様に合わせてあります」
「上手く調整して」
「かしこまりました、凛々しいお顔立ちですから、きっとお嬢様にもお似合いですわ」
「あの……」
 髑髏と侍女たちが話を進めてしまい、アレクサンドラは口を挟めない。
「ではさっそく」
「参りましょう」
「えっ」
 アレクサンドラは侍女たちに両腕を掴まれ、別室に引きずられた。友好国の王太子主催のパーティーだからと一番上等のドレスを着ていたのだが、あっさりと脱がされ、窮屈だったコルセットも解かれてしまった。
 恥ずかしがる間もなく代わりに着せられたのは、白いローブにダブレット、そしてマントだった。
「余った肩には、詰め物をしておきましょう。袖の長さも調整しないと」
「このお召し物なら、ブロンドのかつらが似合いますわ」
「お顔が隠れるのはもったいないので、透けるレースのマスクを片側だけ」
 そして最後に白い羽を背負わされて鏡の前に立たされた。
 アレクサンドラは天使のような少年紳士なった。
「よく似合ってるよ。せっかくのパーティーだ、これで一緒に踊ろう」
 アレクサンドラが元の部屋に戻ると、髑髏が声を弾ませた。
「踊るって、ここで?」
「そう。ラウンドダンスなら、男女関係ない踊りもあるからね」
「なるほど」
 アレクサンドラは目から鱗が落ちる思いだった。ドレスを着て女性パートを踊るだけがダンスではない。ものは考えようだ。
その時、黄色いなにかが、アレクサンドラの視界の端を横切った。
「……カナリア? 室内で飼っているんだね」
 シャンデリアにとまったカナリアは返事をするようにピューイと鳴いた。
「そうだよ、狭い籠に入れていちゃ可哀想だから」
髑髏が手を伸ばすと、黄色いカナリアは黒い手袋をしている指先にとまった。
「飼っているのは、その一羽だけ?」
「カナリアはね。猛禽類とか色々いるよ。鳥を躾けるのは得意なんだ。時間もたっぷりある」
 アレクサンドラは部屋を見回して「窮屈だと思うけど」と呟いた。髑髏の耳に届いたようで、視線を向けてきた。
「窮屈?」
「籠の中も、この部屋も、囚われていることには変わりがないって思っただけだよ」
「そんなことないよ。ほら見て」
 髑髏はカーテンを開けた。
「窓が開いていても出ていくことはない。ここなら安全だし、餌もあるってわかるからさ。カナリアは賢いんだ」
「気を悪くしたなら謝るよ、ごめん」
 表情は見えないが髑髏の声が尖ったので、アレクサンドラはすぐに引き下がった。
「私がカナリアなら、外に出るだろうと思っただけ」
「外は危険だよ」
「でも、自由だ」
 アレクサンドラは大海原を思い浮かべた。
「外は不安で先が見えないかもしれないけど、新しい発見や驚きや出会いがあるに違いない。その場にとどまっていたら安全かもしれないけど、緩慢で変化がないかもしれない。どちらがいいかはその人次第だろうけど、私は広い世界を見て回りたい」
アレクサンドラは開いている窓の枠に手をかけて外を見た。視界いっぱいに庭が広がっている。手入れがされた花壇には何百種類もの花が咲き誇り、風が甘い香りを運んでくる。
 アレクサンドラは振り返って髑髏に微笑んだ。かぶせられた金の髪が風に揺れ、視界の端がキラキラと輝いた。
 庭園の両側には離宮、舗装された遥か彼方の門の外には、貴族たちの屋敷が立ち並んでいた。それを越えると繁華街があり、やがて海が見えるはずだ。それは、ここからでは見えない景色だ。
――外に出ないと見えないものだ。
「自由……か」
 髑髏はアレクサンドラに並んでしばらく外を眺めていたが、ふいにアレクサンドラの手を取った。
「ねえ君、名前は?」
「……」
 アレクサンドラは呆れた。こちらが何度もした問いかけには答えず、先に名を聞こうとはどういう了見だ。
 ただし、こちらとしては、侍女が髑髏を「フランシス」と呼んだことで名を知った。アレクサンドラも名乗ることに抵抗はない。しかし、口を開く前に別の声がした。
「フランシス様、王太子殿下がお呼びです」
 ドアがノックされ、外から廷臣らしき男の声が聞こえてくる。
「えっ、殿下が?」
 アレクサンドラは思わずのけぞった。この国の王太子は一人だ。本日の主役である新郎に違いない。この豪華な部屋といい、髑髏は王族に近しい者なのだろう。
 髑髏は迷惑そうな様子で肩をすくめた。
「なんて間が悪いんだ。……すぐ行くって伝えておいて!」
 小さくぼやいた後、髑髏はドアの向こうに返事をした。
「ねえ、名前を教えてよ」
 髑髏は急かした。
「私はアレクサンドラ。あなたは一体……」
「じゃあアレクサンドラ、後で踊ろう! 彼女を会場まで案内してあげて、Cルートで」
「かしこまりました」
 髑髏は侍女に命じて、仮装のまま部屋を飛び出して行った。
「王太子様に呼ばれるなんて、何者なんだろう」
 髑髏に会ってから振り回されっぱなしだった。髪をかき上げようとして思いとどまる。触るとかつらが取れてしまいそうだ。
「いや、取れていいのか。ドレスに着替え……」
「いいえ、フランシス様がお戻りになるまで、このままで。さあこちらに」
 着替えようとすると侍女に阻まれた。天使の姿のまま、アレクサンドラは会場に案内される。
「来た時と道が違う気がするんだけど」
「ええ。少々宮殿が入り組んでいて、いくつか通路があるんです」
 わざと複雑に歩いているようだとアレクサンドラは気づいた。あの部屋の場所を特定されたくないようだ。
「フランシスって、どんな人なの?」
 十代二十代の王族は、王太子一人のはずだ。
ここオルレニア王国の王位は、多くの国と同じように世襲制である。若い王位継承者は王太子一人しかおらず、だからこそ王太子の婚礼を盛大に行っていた。
「フランシス様から直接お聞きください。さあ、到着いたしました」
 侍女は会場の前で頭を下げ、去ってしまった。
「まいったな」
 ブロンドの巻き毛を一房掴み、アレクサンドラは苦笑する。
フロアに入ると案の定、それまでと違って注目を集めてしまっていた。着せられた服の仕立てが一目でわかるほど良すぎるし、仰々しい白い羽まで背負っているのだ。元のドレスに着替えたいところだが、さっきの部屋の場所がわからない。
そこに、驚き交じりの低い声が飛んできた。
「アレックスか、なんだその格好は。どこにいたんだ、探していたんだぞ」
 兄の親友で軍人のエドワード・デヴローが駆けつけてきた。エドワードは警備の任があるため軍服姿だ。十七歳とまだ若いが、既に未来の海軍の幹部候補と囁かれているエリートだ。長身で鍛えられた身体と鋭い眼光で貫禄があり、端正な相貌だからこそ人を寄せ付けない空気をまとっている。
「ごめんエド。髑髏の格好をした人に、これを着せられていた」
「髑髏?」
 意味がわからないとでもいうように、エドワードは眉を寄せた。しかしアレクサンドラは上手く説明する自信がない。
 それよりも、アレクサンドラは辺りのざわめきが気になっていた。長身で容姿の整ったエドワードが淑女たちの関心を集めるのはいつものことなのだが、どうやら、そればかりではないようだ。
「なんだか熱い視線を感じる」
「そうだな。見ろ、ご令嬢たちを」
 改めて周囲を見ると、扇子で仰ぎながらハンカチを口元に添え、若い女性たちが集まってきていた。
「これって、もしかして」
「おまえは完全に男だと思われているな。ダンスに誘われたくて、ウズウズしているようだ」
 開いた口が塞がらなかった。
「踊ってくるか?」
「冗談はやめて」
 エドワードは喉の奥で笑い、制帽を傾けて青い瞳を悪戯っぽく煌めかせた。
「一通りの儀礼は終わったようだ。帰るぞ。ドレスを取って来い」
「もう終わり?」
 あの髑髏の正体を知りたい気もしたが、時間切れならば仕方がない。
「ドレスはいいんだ。行こう、エド」
 今後、あのドレスを着る機会はないだろうとアレクサンドラは思った。
 女だからと、無理をしてドレスを着なくてもいいのだ。

 その後、アレクサンドラがいくら調べても、フランシスが何者なのかわからなかった。

【以下、続きのリンク】(完結しています)

一章 旅立ち

二章 ロバート海賊団

三章 無血の海賊王

四章 竜骨の下で

五章 閉ざされた扉

六章 ロバートの過去

終章 別れと始まり



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