『七彩の七宝』終章「それから」(6/6)
本日最後の客を笑顔で見送って、彩七はドアサインを「営業中」から「本日は閉店しました」にひっくり返した。時刻は午後七時だ。店にはまだ来客予定があるので、ドアの鍵は開けたままにする。
歩道には飲みに行くのか帰るのか、人波が絶えない。上野駅から徒歩五分という好立地に彩七は店を構えていた。
「よし、今日も頑張った!」
彩七は両手を天井に向けて伸びをする。腰近くまであるストレートの黒髪が光沢を放って揺れた。
大学を卒業し、七宝焼の店をオープンして半年経った。店は思っていた以上に順調だった。
とはいえ、店は委託販売のようなものなので、商品が売れても委託料を少しだけもらって、売り上げは各窯元に振り込む。ネット販売はプラットフォーム化しているので料金の管理はしなくてすむが、配送やサイトのメンテナンスは彩七が行っている。
彩七の主な収入源は、自分の作品の売り上げと、土日に開催している七宝焼の体験教室だ。ありがたいことに二か月先まで予約でいっぱいになっている。
労力に対して収入は多いわけではないが、彩七の毎日は充実していた。美しい七宝作品に囲まれ、それを求める客と対話できるのだ。こんなに楽しいことはない。
店舗の敷地面積は十八坪。ライティングも凝っているので、作品の魅力が最大限に引き出される展示になっていた。
彩七が想定していた以上に店舗が広く、内装のデザイン性が高くなったのは、プロジェクトの資金以外に地元の組合が大幅にバックアップしたからだ。
そのおかげもあるのか、メディアの露出は定期的にあり、商品の新陳代謝が止まらない好循環だ。
まだ半年なこともあり、どれだけ地元に貢献できているのかわからないが、これをきっかけに窯元を訪れる人が増えることを願うばかりだ。
「よう、お疲れ」
しなびた声に目を向けると、ドアからスーツ姿の秀一が店に入ってきた。ノーネクタイでワイシャツは第二ボタンまで外していた。
ボリュームのある髪をきっちりとサイドに流しているが、一筋額に流れる前髪に疲労感が漂っている。元の造形がいいので、彩七には色気が増しているように見えて頬を染めた。
「秀一こそお疲れ」
「疲れたと言いたくないけど疲れた。マジで同期の十倍働かされてるんだけど。労基に訴えたら勝てると思う?」
秀一がよよとしなだれかかるので、彩七は支えながらよしよしと慰める。いつものことなので慣れたものだ。
「今日は早かったね」
「たまには俺だって定時で上がるよ」
秀一は店内を見回して、いくつか棚の隙間を見つける。
「順調そうだな」
「おかげさまで。今日はなんと、ショーウィンドウの神谷さんの作品に買い手がついたよ」
「とうとう出たか」
店の中でも断トツの高額商品で、道行く誰もがため息をつきながら眺めるような高嶺の花として存在し続けていたが、作品は主を決めたようだ。
「神谷さん、早く人間国宝にならないかな。そうしたら人間国宝の一番弟子だって自慢できるのに」
「なにが一番弟子だ。ご両親が泣くぞ」
他愛ない会話をしながら、彩七は店を閉める準備を整えた。気分が弾む。今日は久しぶりのデートだ。
「上野に超絶人気店があるんだ。そこに予約を入れてあるから」
秀一の目がメラメラとしている。秀一が人気店に予約を取るときは、楽しむためではなく、敵情視察だ。過重労働だなんだと文句をいうくせに、結局プライベートも仕事から抜け出せないでいる。そんな秀一を彩七は微笑ましく思っていた。
「クローズ作業終わった?」
「うん」
「じゃあ、行きますか」
騎士が姫にするように、秀一は彩七に恭しく手を差し伸べた。彩七もそれに対応して手を重ねる。自分でも順応力が上がったと思うが、こういう芝居がかった仕草はいまだに照れくさい。
秀一の開けた胸元に銀チェーンが見えた。
今でも彩七が作ったペンダントは秀一が、秀一が作ったペンダントは彩七の胸元にある。
彩七の視界はクリアだ。
大学の卒業と共に、思い切ってカラーレンズメガネも卒業した。
彩七は新しい視界の中で、七彩の七宝を守り、そして追い続ける。
了