営業担当者推し本『闇の先へ 絶望を乗り越える行動科学』試し読み
旬報社から7月に出る新刊『闇の先へ 絶望を乗り越える行動科学』は、いま営業担当者が一番推したい「推し本」。ごく一部ではありますが、営業担当が読んで面白かったおすすめのページを公開いたします。
7月8日から全6回更新いたします!
【内容紹介】
私はいかにして絶望の淵から生還したのか。
順風満帆な人生が一夜にして暗転悲嘆の中をさまよう私を救ってくれたのは、自らの研究テーマである行動科学だった。
大学教員の著者はコロナ禍で家族に起きた悲劇により、人生の危機に直面する。絶望から抜け出そうともがき、あらゆる方法を試みるが、いずれも効果を得られず、大学も休職することに。
不慮の事故、愛する人との死別など、誰もが経験せざるを得ない人生の危機を乗り越えるにはどうしたらよいのか。
悲嘆の当事者であり、行動科学の研究者である著者にしか書けないリアリティが、読者を「闇の先へ」と導く。
▼序章・014頁より
弱くて不合理な私
私は大学で経営学分野の教育や研究をしています。専門領域は行動意思決定論という学問です。行動意思決定論とは、人間の不合理な選択や行動を実験などで検証する研究領域です(行動経済学や実験心理学に近い領域)。行動意思決定論は海外では主要な学問領域として認知されているものの、日本ではマイナーな領域ですので、私は国内では比較的珍しいタイプの研究者だ
と自認しています。さらに、私は家族の身に突然起きた出来事によって深い悲嘆状態†¹となって、仕事を半年以上休職するという稀な経験(死ぬほどつらい経験)をしました(詳細は1章で述べます)。世界広しといえど、行動意思決定論の研究者の中で、長期間休職するほどの深い悲嘆を経験した人はかなり稀少だと思います。
†1 自分の人生にとって重要な意味を持つ人や物などを失ったときに経験す
る心理的・身体的反応のことを「悲嘆(グリーフ)」と言います。悲嘆は
大切な人の死だけでなく、不慮の事故による身体障害や、失業、ペットロ
スなど幅広い喪失を表す言葉です。
私は研究者であるため、本を読んで勉強することが習慣になっています。そのため、深い悲嘆に暮れて仕事に復帰できなかった時期は、アマゾンで悲嘆や癒しに関する本を探して、片っ端から読みました。その結果、自宅にはセラピーやマインドフルネス、スピリチュアルなどさまざまなジャンルの本が山積みになりました(他人が見たら、怪しまれるようなタイトルの本も含ま
れます)。
相当な数の本を読みましたが、驚いたことに、絶望の最中にいる私の役に立つ本は1冊もありませんでした。世の中にはこんなにたくさんの本があるのに、どれも私には「理想論」に思えて、まったく役に立たなかったのです。役に立たないどころか、あまりにも私の置かれた現実とかけ離れた助言や主張ばかりだったので、最後まで読むのが非常に困難でした。
既存の本を受け入れられなかった最大の理由は、私が研究している行動意思決定論の考え方と大きなギャップを感じたためです。行動意思決定論や行動経済学など『行動科学』(behavioral science)と呼ばれる学問では、「人間は弱くて不合理な存在である」ということを前提としています。ところが、セラピーやマインドフルネスに関する本を読んでいると、多くの本は「強い人間」や「合理的な人間」を想定して、強い人間になることを推奨しているように私は感じました(おそらくセラピーや悲嘆の専門家はそんなことはないと反論するでしょうが、深い絶望状態の私にはそう感じられました)。
例えば、不慮の事故で重度の障害者になったり、妻子を失った人が「このつらい経験にもきっと意味がある」とポジティブに考えて悲しみを乗り越えたり、つらい経験をバネにして成長するというサクセスストーリー(美談)が頻繁に登場します。そして、心理学者ヴィクトール・フランクルの「つらいことにも意味は見出せる」という有名な言葉が決まり文句として引用さ
れます。
確かにそのような「強くて合理的な人間」も世の中には存在すると思いますが、(私のように)「弱くて不合理な人間」も少なくないと考えられます。実際、私はいろいろな本を読んで、そのような超人的な精神力を持つ人々のサクセスストーリーが登場する度に「そのようになりたいけど、どうしてもそのようになれない自分」に対して虚無感を感じていました。なかなか絶望や悲嘆から抜けられない人で同じような思いをしている人もいるのではないでしょうか。
既存の本で紹介される美談に勇気づけられる人がいることは確かでしょう(専門的には「道徳的高揚(moral elevation)」と言います)。しかし、そのような美談を賞賛する声があまりにも多いので、そんな強い人間になりたくてもなれない悲嘆者をさらにつらい状況に追いやってしまう可能性があると私は考えています。
私はさまざまな本を読んだり、ネットで情報を探したり、一時期は精神科に通ったりしましたが、それらは私の回復にまったく役立ちませんでした。結局、私自身が絶望(ほとんど死にかけていた状態)から生還できたのは、行動科学(行動意思決定論)とシステム思考の知見を使って、自分をうまくコントロールできたからです。そしてこの経験から「もしかしたら私と同じように世の中の本が役に立たないと思っている人は多いかもしれない」と考えるようになりました。
本書では「絶望を乗り越えるための新しい方法」をいくつか提示します。絶望や悲嘆を乗り越える方法は既にいろいろな本やウェブサイトなどで紹介されていますが、たいていは「瞑想して現実を客観的に見る(マインドフルネス系)」「このつらい出来事にも意味があると考える(スピリチュアル系)」「重度の悲嘆の場合は精神科医や心理療法家に頼る(セラピーやグリーフケア系)」というものです。これらの方法が合う人はその方法を実践すべきと思いますが、残念ながら私にはどの方法もまったく役に立ちませんでした。しかし、それでも本やウェブサイトを調べて「絶望を乗り越える方法」を探し続けたものの、結局、自分に合う方法(納得できる方法)は見つ
かりませんでした。何とかして絶望を乗り越えたいのに、その方法が一向に見つからないという状況は、当時の私にとって本当に生き地獄のような苦しみでした。
本書は、私と同じようにセラピーやマインドフルネス、スピリチュアルなどの本が役に立たないと思っている悲嘆者に「絶望を乗り越えるために、こんな新しい方法もある」ということをお伝えするために書きました。
まず1章では、私自身が絶望的状況から抜けられなくなった後で急速に回復した経緯を包み隠さずお伝えします。次に2章では、自分の経験に基づいて「希望の根拠」と「システム思考(問題をシステムとして認識すること)」の大切さを説明します。そして3章では、行動科学の知見をうまく利用して、自分の気持ちや行動を意図的に変える方法(セルフナッジ)を紹介します。これらの方法は、行動科学やシステム思考の研究に基づいており、悲嘆に暮れていた私が絶望を乗り越えるために非常に役立った方法です。従来のセラピーやスピリチュアル系の本とはアプローチが大きく異なりますが、従来の方法では絶望を乗り越えられない場合に試してみる価値は十分にあると思います。
次回は、7月10日(水)に更新いたします。