WE ARE WHO WE ARE /僕らのままで
1人でいるより、2人でいるほうが孤独は強くなる
この言葉通りで1人でいると好きなモノに熱中できるから孤独をあまり感じないんですよね。
外に出て人と強く関わる程、孤独って湧き出てくる。
自分の好きなモノや新しいと思うことは過去にしかないと思う時期が長かったし、今でも過去に未来はあると思ったりすることもある。
人生を重ねるとどうしても自分の経験値から出来事や作品に感動するハードルが上がってしまうと思うんですが、余裕でそれを飛び越えてくるモノが創作されているし、何歳になってもピュアな心で世界を観たい。
ルカ・グァダニーノって作家はそんな気持ちを僕に教えてくれる。
-WE ARE WHO WE ARE-
ルカ・グァダニーノ(君の名前で僕を呼んで/サスペリア)による初ドラマ「WE ARE WHO WE ARE」が4月8日に最終回を迎えた。
毎週水曜日24時にAmazonスターチャンネルで配信されていたんですけど、これを観ている1時間は本当に一瞬だった。
もう、これ以上に好きな作品に出会えるのか、と思わされる程に大好きな作品になった。
自分をレペゼンする作品としても捉えているから、どうして好きなのか言語化したくないって気持ちもある。
ティーンの時にこの作品に出会いたかったし、10代で観てれる世代にちょっと嫉妬しちゃう。
-明日世界が終わるなら、#4のような1日を過ごしたい-
全エピーソド、全シーンが最高なのだが、最初にガツンと来るのは#4だろう。
#4は1話まるまる結婚パーティーを描いているんですけど 、もう映像音楽内容全てが最高なんです、、
翌日兵士として旅立つ奴がガールフレンドに結婚を申し込んで、そのままノリで仲間内で結婚式とパーティーをするっていう、誰も明日の事を考えてなくて、ひたすらに今を楽しんでる、そんな美しさと儚さをとても上手くキャプチャーしている。
パーティーの終盤1番ダウナーな雰囲気の時にサラッとフランクオーシャン/Nikesをかけてる感じとかたまらない。しかもNikesがかかってる時ブルーの照明で黒人を映していて、ムーンライト的な気持ちよさもしっかり出してる。
(最近誰もが1番良いシーンでフランクオーシャンをかけたがる風潮があるのをふまえて)
デヴィッドボーイやスミスがかかってる中にちゃっかりストーンズがかかってて、グァダニーノのチャーミーな部分もあって愛おしい。ここまで映像的な強度があれば作家の好きなモノが入り混んでいても全然嫌じゃないし、むしろ嬉しい(胸騒ぎのシチリアからも分かるようにグァダニーノはかなりのストーンズファン)
ウォールフラワーしかりティーンの葛藤や衝動、儚い美しさに寄り添うためにはデヴィッドボーイとスミスは最適解なんだなぁ。
今後この2組以外の選曲で素晴らしいシーンを撮る作家が出てきたら、ティーンムービーは新たなるフェイズに向かうだろう。
ティーンムービーのパーティーシーンは自分の映画やドラマを観る1つの理由でもあったので、こんな最高なパーティーシーンを作ってくれて感謝。
-映ってる映像美だけでお腹いっぱい-
グァダニーノの作品って君の名前で僕を呼んでからでも分かるように、もう映ってる映像が気持ちよすぎて、それだけで内容とか関係なしに無限に観れちゃう。
字幕が無かっとしても観れちゃうんじゃないかってレベルで映像美が自分にとってはたまらなく気持ちいい。
だからドラマとして長尺で見れるってだけで嬉しかった。
ドラマだから毎回タイトルバックがあるのも最高でした。
タイトルバックフェチにはたまならいんです。
ドラマということもあってかなり実験的な描写や環境音の取り込みがあって、過去作には無い面白さも沢山あります。
色彩的な面では君の名前で僕を呼んでのように美しく暖かい色はもちろん、サスペリア的なダークでサスペンスな色も多用している。
サスペリアではバルテュスの絵からのインスピレーションをかなり取り込んでいると話している。その色使いが今作にも存分に出ていて、青春ドラマでありながらも、ホラーやサスペンスで感じるゾクゾク感がある。
#5でフレイザーの母がケイトリンの父親に意地悪な対応をとってるシーンなど 、ガッツリ照明落として、殺人者を問い詰めているようなただならぬ臨場感を演出している。
#7でフレイザーがジョナサンと彼の彼女とRadiohead/House Of Card を流しながら踊るシーンは僕の中でベストパートの1つ。
ダンスの雰囲気はベルナルド・ベルトルッチ/ドリーマーズのようで官能的なシーンにも見えるが、サスペリア的な赤みがかった色合いでエロスよりタナトス的なシーンにも映る。
作中で村上隆のぬいぐるみが登場したり、グァダニーノはインビューで影響を受けた監督として大島渚や押井守、宮崎駿など日本人作家を多く挙げていて、どこか親しみ安いのもそういったところに繋がるのかもしれない。
-魅力的なキャラクター-
ティーンムービーでありながら子供も大人も平等に描かれている。登場人物全員が美しく儚く青春しているように描かれている。
子と親の関係、大人と大人の関係も綿密に描かれていて、子供の目線でも親の目線でも楽しめるようになっている。
グァダニーノの作品は主にイタリアの上層階級の人々のお話だったが、今作の舞台はイタリアの米軍基地で、登場人物はアメリカ人とイタリア人が混同していて、今までの作品で全く登場してこなかなった黒人がしっかり描かれているのも魅力の1つである。
登場人物1人1人が記号化できない設定であり、ロジックで作りだされてない。グァダニーノの愛によって産みだされている感じがあって、時間を共にすればするほど魅力的に映ってくる。(14歳黒人同性愛者みたいな記号的に作られたキャラクターが存在しない。もっと曖昧で言語化できない心情や悩みを抱えている。)
そんな中でも、マーティン・スコセッシ(タクシードライバー/シャッターアイランド)の娘のフランチェスカ・スコセッシが演じてるブリトニーがめっちゃ良かった、どのシーンを切りとっても流石スコセッシの娘と思わざるえない、ただならぬオーラを出していた。
#4でブリトニーが soldier of love をピアノで弾き語りするシーンは歌もこんな魅力的に歌うんかい!ってなって好きにならずにはいられない。
-ジェンダーを超越する官能的表現-
ポリティカルコレクトネスに対しての配慮などで、性的マイノリティーを描く事に対して過剰に丁寧になりすぎて、ストレートの人々とマイノリティー側が別の人種のように映ってしまう作品が多い。
WE ARE WHO WE AREではストレートの人もマイノリティーの人も平等に美しく欠落していて、同じ人間であることが前提としてあって観ていて気持ちが良い。
グァダニーノは欲望や衝動、そしてエロスを映像としてアートにする事を追い求めている作家で、今作も官能的な表現はひたすらに気持ちがいい。
彼がクィアであることから同性愛の表現が上手いと言われがちだが、男性同士でも女性同士でも男女でも官能的にアートとして気持ち良いショットを追い求めているんじゃないかとも思う。(もちろん彼がLGBTQに理解がしっかりあることが前提としてあります)
だから、彼の描く官能的な表現のはジェンダーを超越しているんです。
男同士だからとか社会的な価値観が介在せず、ひたすらに気持ちが良いシーンになってると思う。
フレイザーの部屋にベルナルド・ベルトルッチ/ラストタンゴ・イン・パリ のポスターが貼ってあったりなど、グァダニーノの官能的表現にベルトルッチは影響を与えていると思います。
ただ好きなモノについて語るのは難しいな、本当はもっと言葉にできなかったり、したくない感情を沢山この作品から貰ってるんです。
是非まだ観てない方は観て下さい。
作品内でかかったポップソングでサブスク上にあるものをまとめましたので、是非!
https://music.apple.com/jp/playlist/we-are-who-we-are/pl.u-NpXmYPGt42b0g7