人生のどん底が教えてくれたもの
こんにちは、アラフォー大人女子の経済的自立、精神的自立を叶え
自由に豊かに生きる伴奏者、はらじゅんです♡
今日は改めてピンチだった頃の自分の人生に
感謝が込み上げてきた
勝手に涙が止まらず
元カレの前で大泣き
それは
どれだけがむしゃらに頑張っても
自分の望みが一向に叶っていかない
自分の人生に対しての「怒り」が
爆発していたからだった
適応障害という診断
41歳、職を失う事実
彼には「ついていけない」と言われる事実を
直視できなかった
なんでこんな目に遭うの?
私には無理なの?
そんなに多くを望んでいる訳じゃないのに・・・
そうやって私は
「できている」と自分の頭の中で思い込んでいたの
それは、自分を過信している状態だった
私はできている
こんなに頑張っている
だから結果が出て当たり前だと思っていた
けれどその想いこそが原因
結果を早く求めていた私は
こうすればこうなる
こんな風にできれば上手くいく
やり方ばかりを真似して
言葉の意味を浅く、表面的な捉え方で
「本質」など全くわかっていなかった
いわゆる「思考停止」状態だった
物事や言葉の意味を「理解する」という
当たり前のことを忘れていた
いわゆる
知ってるつもり
わかってるつもり
例えば、直感も同じで
直感のままに
好き、嫌い
やりたい、やりたくない
それだけで生きるとどうだろうか?
もちろん生きやすくはなるけれど
私はその生き方よりも
目指すものがある
なりたい自分に挑戦したい、一生の人生
経験できることをしたい
その私の「やりたいこと」のためには
やりたくないことも当たり前にやる必要があるということ
好きなことで生きていく
やりたいことで生きていく
それを叶えている人たちが何をしてきて
何を感じてきたか?
そんなことも考えずに
だからやりたくないことが「やりたい!!」に変わっていく
生き方を私は提唱している
全て思い込みだから
綺麗ごと
自分の主観の世界にいること
自分を正しくみていないこと
この世界の仕組み
私はたくさんのことを知らなかった
そして、自分の人生に「甘えていた」
頼らず生きていこうと必死でいると思っていた私は
完全に自分の人生を丸投げして
いつかは夢を叶えてくれるだろうと
どこか他人事のように
夢を見ては、今の自分を改めようとしていなかった
原因を直視することをしなかったのだ
それは
頼らずではなく、自分の人生に責任を持っていなかった
だから適応障害という形で
人生は私に教えてくれた
「自分が本当に何を望み、どのように生きていきたいのか」を
これを直視していなければ、
おそらく私は今でも
高収入な男性を求め
必要以上に自分の見た目にこだわり
他人の望む自分になり続け
両親と離れて暮らすから良い関係が保てると勘違いし
都会で生きることにステイタスを感じ
お金があれば幸せになれる
めんどくさい人間関係はいらない
周りのダメなところにばかり気付き、自分を過信し続けた
だろう
全てがひっくり返り
「頑張る」の言葉の意味も
「頼る」の言葉の意味も変わった
そして何より
自分の生きる道が定まったこと
それは言い換えれば
「使命を生きること」
人生に感謝
あの時、これまでの人生の中で全てを失ったと思った私
がいたから
今こうやって
なりたい自分へと
少しづつ階段を登っている