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不快な思い出が湧き上がったとき、新幹線の車窓から眺めているように傍観する。本当にできますか?

10年以上前、心理系か何かのワークショップに参加した時のことを思い出したので書きます。

心(頭)の中に浮かんだ数々のネガティブな思いや、誰かに言われた嫌なことや不快な思い出が湧き上がってきたときに「新幹線の車窓から景色を眺めるように傍観しましょう」というのがありました。

そのときは「なるほど」と思いましたが、これが中々できなくて、、。

できそうだなとは思ったものの、過去に言われたムカつく言葉を思い出したときに
車窓から眺めるなんて、、、無理でした。

言われた言葉に対して次から次に自分で作ったイメージに巻き込まれて
脳内が大忙しでした。そして更にイラつくループ。

車窓から眺めるようにと言った方はそれが出来るから
「みんなもできるだろう」と思ったのかもしれませんが
たぶん、おそらく、、湧き上がった不快な思いをただ眺められる人のほうが少ないと思います。

不快な思いが湧いてしまうのはもう癖みたいなものです。
今までも幸せな思い出よりも、あの時部長に言われたイラっとする一言や
オツボネ様のムカつく言葉のほうがはるかに反芻していると思います。

不快な思い出が湧き上がることは気分が悪いので
何とかしようと躍起になりがちですが
では逆に、快の思い出がたくさん湧き上がってくるようなあなたらどうでしょうか。

彼と行ったディズニーデートが楽しかった
友達とカフェでおしゃべりしたのが楽しかった
偶然入ったレストランがとても美味しかった
髪を褒められた
満員電車でギュウギュウだったのに自分の前の席が空いて座れた
行列必至のスイーツ残り1個をゲットできた
欲しかった洋服が半額になってた

自分が思わずふふふ、、と心が動いてしまうこと。

この「ふふふ(快)」が増えていったら、車窓から眺めて傍観するだけなんて
もったいないことはできないと思います。

いえ、瞬間的に心が”今まさにそれを味わっているかのように”勝手に動いてしまうはずです。


不快な思い出を傍観する自分と
快の思い出を思い出してはニヤっとしてしまう自分。

どちらの自分のほうが素敵だと思いますか?