「ピアス」所感


 WOLF HOWL HARMONYの新曲「ピアス」がリリースされた。彼らが「青春三部作」と銘打った最後の1曲である。今や「ダンスに強いボーカル&ラップグループ」と言っても良い努力の人たちは、青春時代の雷に打たれたような恋を、そして恋にまつわる諍いを歌った末に、友との醒めない夢を歌う。きっと最も表現したかった想いはここなんだろうなという力点をおきながら。

 人は青春と言われて何の時代のどんな姿を思い浮かべるだろう。
 私にとっての青春は24歳の夏、ベルリンで貧乏までエンタメにしながらなんとか生き延びていた。貧乏旅行をして一泊12ユーロの場末のホステルに泊まったり、ICEが全便運休してキレながらその夜の宿を急遽探したりした。言葉も満足に通じない中で初めて飲む種類の酒を堪能し、泣いても笑ってもどこにも誰もいない、家族も友達も恋人も1万kmほど遠くにいた、ファッションではないガチの「孤独」を骨の髄までわからされたあの日々が人生における青春である。ちなみにドイツにはベルリン以外にも何度か訪れていて、いずれも居住と呼んで差し支えないそれなりの期間滞在したものの、最も鮮明で、最も苦かった記憶が24歳のベルリンだった。青春は苦く、尊く、くるしい。きっとベルリンだからこそ、あれほど容赦のないやるせなさを身に染みて感じることができた。あれから7年経ったが、いまだに「ベルリン楽しかった」とひとことで断言できない何かがあるのは、あの日々の苦さが堪らなく大事だからだろう。あの苦さをただの悦楽に溶かし込みたくないからだろう。

 青春とひとくちで語るときに即答できる何かを得るまでに自分の場合は24年もかかった。バーナード・ショーは「青春は若い奴らには勿体無い」と言ったらしいが、青春の価値を体感するのは若い時代にはほぼ無理だ。歳をとり、体の自由がちょっとずつ効かなくなったり、社会的責任や責務に追われたりして初めて自由だった時代の価値を思い知る。相対的な制約のもとで漸くかつてあった輝きを恋しがることを青春と呼ぶのなら、青春はその最中にあるときに最も価値を持つことがあり得ない、言うなれば「青い鳥」のようなものなのかもしれない。
 今回のウルフの楽曲を聴いて最初に感じ取ったのは辛苦だった。冀求し執着する郷愁のような感情だった。それぞれの人生の哀愁がハーモニーとなって重なり合う、というコンセプトが物語るように、WOLF HOWL HARMONYはそれぞれがここまでに歩んできた歴史を音楽に乗せて表現する。メンバー4人中3人が二十代後半。前職も言及される。明け透けなところがあるので隠蔽されはしないものの、すべてを詳らかに、という気配でもない。そういえばバーで働いてたんですよ、実は焼き鳥屋とかピザの配達とか、美容師やってたときに、などの日常のやり取りの中で当人の口からポロッと溢れる。設定では片付かない人間の歴史の奥行きである。当然彼らは幼馴染ではないし、昔ながらの友達でもない。DEEP SQUADからのメンバーなので涼樹くんと亮司くんは6年強の付き合いになるだろうけど、充分に大人になってからの出会いであり、かつグループの新規結成後の距離感は従来のものともまた異なっている気がする。そんな彼らが語る「青春」は、彼ら同士の関係性を幼なじみに仮託したものであると同時に、彼ら自身の活動の熱量を体現する言葉でもある。亮司くんはファンに向かってFCコメントで「青春していきましょう」と言った。楽曲の制作や撮影の期間と重複したから余計にかもしれないが、彼にとっては、そしておそらく彼らにとっては、このWOLF HOWL HARMONYの活動そのものが青春と呼ぶべきものなのだ。若さや未熟さ、それに伴う苦さだけが青春ではない。私が高校時代ではなく24歳の夏を敢えて青春と呼ぶように。そして彼らは、そのただなかにありながら青春の価値を正しく理解している。おそらくはすでに、振り返って見た青春の価値を知る大人であるがゆえに。明けてしまう夜があると知っているがゆえに。

 青春は何度でも持って良い。だが安いものでもないのだろう。自分が子どもの頃、「青春らしきもの」がとにかく嫌いだった。流行を追うのも、「今しかできないこと」をするのも馬鹿馬鹿しいと思っていた。キラキラした文具品から全部嫌いだった。部活と恋愛とほんのちょっとの勉強。ワックスでボリュームを出した褪せた色の茶髪。腰履きのスラックス。ペラペラのスクールバッグ。男子高校生の間ではAKB48が流行っていて、K-POPは今ほどではないながら女子高生の注目を集めつつあった。戯画化された青春の造形をギリギリのガラケーで切り取っていた、平成後期の幻影は思い出すだけで忌々しい。学年末試験の最終日に東日本の震災が起こって、これからの世の中はどうなってしまうのかと絶望にも似た気持ちを抱えたのも、おそらくは一生消えない。
 この私にとっての、美化するにも値しない、醜悪で愚昧でありきたりなつまらない高校時代は、こうして青春になり損ね大した意味を持たないままだが、あんなもんは青春でも何でもないと言えるのもまた財産であるとは思う。気に入らないものは別に大事にしなくても良い。なぜなら青春は何度でも持てるから、どの瞬間でも青春たり得るから。そのためには生きるしかない。どんなに今が辛くとも、思い出になれば痛くも痒くもない。夜は必ず明けるものだ。それを青春とするかどうかは後の世の自分が決めれば良い。
 この楽曲が語るのは商業化された青春の規程パッケージだけではない。もし傷つきやすい思春期エイジの少年少女が今の自分に与えられた世代の規範に苦しめられているなら救いの一つになるのではないかと思う。少なくとも私はなんとなく、流行りを嫌い世に反発し就活すら一切しなかった若かりし日の自分を肯定したくなった。自分の意思に基づく反発をラベリングされるのも嫌だった。雑なカテゴリに当て嵌められるのは今も嫌いだ。少なくとも母親だからって10年もライブに行けないのは嫌だ。自分も青春の只中に生きる。守りになど入ってたまるかと思う。この抗いが、憤懣やる方ない熱量が、この曲を聴いて苛立ちのように己の中に渦巻いた。

 今回、好きな曲を聴いてイライラするという、ともすればネガティブにも聞こえるような感情を励起されて新鮮だった。
 綺麗事で終わらない、苦くて壁ばっかりでダルくてしんどい、そういう思いが平凡な日常を青春たらしめる。就職して結婚して子どもを産んでも何も終わらない。いや、終える必要はない。
 人生の良いタイミングでこの楽曲と出会えたことを幸せに思う。そして刺激を受けて新しいことを始めるべく行動を起こすことにした。良い報告ができるかはわからないが、またこの成果はブログにまとめることにしたい。WOLF HOWL HARMONYという青春そのものがただの享楽に終わらないことを自分で証明したいと思う。老いにも若きにも聴いてほしい。名曲です。


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Juno
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