「水を抱く女」演技派ファンタジーの虜
「恋はDeepに」という民放のドラマを毎週見ている。
ご存知綾野剛、石原さとみW主演のラブコメである。いやラブコメだと思ってたけどどうやらラブコメにしてはやや重たい話にシフトしてきてるっぽい。これはあれかな、綾野剛のファン層が重たい話耐性高いと思って気を使われたのか。そんなことないですよ、はちゃめちゃでドタバタなラブコメが見たいと思っていますよ。でも遊園地デートして粉かぶってサメの着ぐるみきてる綾野さんが見れたのでやっぱりあれはラブコメなんでしょうか。真相は海の中。
恋ぷにの話はまた完結後にゆっくり書くとして今回は「水を抱く女」の話をします。
3月末に関東圏を中心に劇場公開され、我らが地元では4月末に公開予定だったんですが、緊急事態宣言のせいで見事公開延期の憂き目をくらい、無事5月末に公開日が再設定されました。良かった良かった。
公開までに自分が見たのは劇場に置いてあったフライヤーだけだったんですが、いや〜期待して見に行って良かったですね。
まずしつこいくらいいつもテアトル系のとこで公開されるドイツ映画には必ず目を通すんですけど(世にも珍しいドイツ映画好きである、単純になんてことはないドイツ語しかわかんないから。その場の空気感もわかるのは住んでたドイツだけ)今回はさらにその中でもベルリンが舞台っていうとびきりの口に合う仕様でして。
現代ベルリン、都市開発の研究者、そして水の精(ウンディーネ)。人魚姫の話はアンデルセンが有名だけど、アンデルセンの元ネタとも言われているのがこの「水の精」の伝承。いや、アンデルセンの方が夢がありますなんぼか。
でもそこで一番キツい伝承の方を範にとるのが流石のドイツフィクション。甘い夢のなさでは他の追随を許さない。
あらすじ
ベルリンの都市開発の歴史を研究しているウンディーネは、ふとしたきっかけで潜水作業員のクリストフと知り合い、恋に落ちる。だがウンディーネには「愛した人に裏切られた時、その相手を殺して水に還らなければならない」というつらい宿命があった。愛し合う二人だが、残酷な運命には逆えず…
私このあらすじを読んだ時に(だいたい内容としてはこういうようなものがフライヤーに書かれていた。もちろん表現は違うよ)「これはドイツの『恋ぷに』だ、いや『恋ぷに』が日本の『ウンディーネ』だわ多分そういうことだわと盛大に一人で盛り上がっていました。フーケの「水の精」は遥か昔、図書館で借りて読んだことがあった。でも「ニーベルングの指輪」も途中で挫折したファンタジー苦手芸人にはなかなかハードルが高かった。昔からファンタジーが得意じゃない。中世好きだけどドラゴンや騎士には興味がないって言ったら知り合いのドイツ人に「じゃあ好きなのは魔女?」って訊かれた。そういう問題じゃねえ。
大人になって最近ようやく、フワッとしたファンタジーやよくわからない何か、説明され尽くされない有象無象を「そういうもの」として受け止められるようになったわけで、つまりはそれまではご都合とかふわっとした設定とか不思議な力とかがどうにも苦手だった。創作物として突っ込みどころは悪だと思っていたし、ガチガチに固めて初めて人前に出せる質のものであると盲信していたきらいもある。もちろんそれはある意味では正しい。正しいが、フィクションの受け止め方にはいろいろあって、ガチガチに固めて理論武装した「だけ」の、誰にも何も突っ込まれないフィクションは、言い換えればリアリティ以外の武器らしい武器がなく、であれば多少のドラマ性を兼ね備えたドキュメンタリに簡単に劣ってしまう。それってフィクションのドラマとしては役割を果たせていない気がする。
ということで、この映画を見るときの私は、あえてそういう細やかな指摘や批判精神、逆らいたくなる衝動のようなものを丁寧に外して臨んだ次第。
主人公の女性、ウンディーネ(主演、パウラ・ベーア)は開幕早々色男に振られる。何を隠そうこの色男、バビロン・ベルリンでグレタを振っていたあの共産主義者(ナチ党員)(←ここだけ見るとマジで意味わかんないと思うので本編を見てくれ)の青年ヨーゼフ(今作ではヨハネス、演じたのはヤーコプ・マッチェンツ、ベルリン出身)である。女を振るのが似合う。体よく利用して、ぱって捨てる役が似合う。ごめんね多分全然嬉しくないね。わりと好きなのでたくさん見たいんですよ。
その際、ウンディーネは側から聞いてたら電波としか言いようのない脅し文句を口にする。ヨハネスの方もうんざりしていて、終わった恋に涙するウンディーネの気持ちなど意に介さず、非情にも待ち合わせの場を去ってしまう。失意のウンディーネと出会うのがクリストフ(フランツ・ロゴフスキ。「希望の灯り」でフォークリフトを運転していた彼である。木訥とした雰囲気が今作でも絶妙!)二人は恋に落ちる。よくある出会いと別れの話だが、一つ違っていたのはこのインテリジェンスあふれる都市史研究家のウンディーネ、どうやら人間ではない。「女性研究者」で「ラブロマンス」で「水に帰る」話が同時期に世に出るシンクロニシティ。ただしウンディーネの専門は海洋生物学ではない。近代都市開発の歴史だ。
感想の中で自分の話をするのも気がひけるけど、自分はかつて何度か言ってる通りベルリンに滞在していたことがある。時代は違うが大学院で都市史の研究をしていたので、ベルリンの近現代都市史研究のセミナーにも出入りしていて、ちょうどウンディーネが話していたような話を聞いたのを覚えている。語学力の拙さゆえに全てを正確に把握することは難しかったけど、放射状の都市建設計画、鉄道網の発達、そして分割によって生じた東西の境界線、東側地区の急激なソ連化などに関してフィールドワークなども交えながら随分詳細に聞いたのを覚えている。ベルリンの人たちは、この複雑怪奇な歴史を辿った街をものすごく誇りに思っていて、例えば東京のそれとは比べ物にならないくらいどこについても歴史を語りたがる。観光客的にはめちゃくちゃありがたい。同時にめちゃくちゃ羨ましくもある。
ウンディーネは都市の成り立ちについても劇中で少し言及する。ベルリンは意外にも、その成り立ちの経緯がいまひとつ判然としない都市でもある。古スラブ語で沼地を意味するというのも有名な話。熊はドイツ語Bärとの近似性から都市の象徴物となっていて至る所で見ることができるが、野生のものがいたかどうかは未知数。少なくとも今はいないだろう。作中でもあったように、ナマズでもいたら御の字。昔はTiergarten(動物の庭)やGrünewald(緑の森)の名が示したように鹿や猪もたくさんいたんだろうけど。
閑話休題。結論から言うとウンディーネはこうした都市の歴史を概観し、見守ってきた本物の「異端」であり、「人外」であり、「外的存在」であることが示唆される。人に恋をする水の精。同族やそれそのもののコミュニティは作中では示唆されないが、なんせそういう宿命があって、それは彼女の口からヨハネスに語られる通りである。ヨハネスは軽く流してしまうけどこれが実は本質を突いていて、示唆された通りウンディーネを裏切ったヨハネスは彼女によって殺されてしまう。ただこの「殺し」の結末はウンディーネが心から望んだものではなく、自分という存在に課せられた宿命、幸せになってはいけない事実の裏付けとして行われる点が実に興味深く悲しい。ウンディーネが愛した「だけで」クリストフは不幸な事故に遭い、死にかけてしまう。それはウンディーネにとって何よりも重い罪と罰である。ウンディーネはヨハネスを殺さねばならず、ウンディーネが掟を冒した罰は罪なきクリストフに下る。シンプルこの上ない演出でそれを悟らせる描写、巧みで良かった。ウンディーネの絶望も胸をうった。還る先の水がクリストフの働いていたダムであったことは一つの僥倖か。ウンディーネは結局、自分の幸せではなくクリストフの幸せを選び取る。寂寞と愛情が胸を打つラスト、パートナーのもとに戻るクリストフが幸せそうに彼女を抱きしめる図がめちゃくちゃ良かった。過去の実態のない恋ではなくこれからの幸せを選ぶ。この世に生きている力強く正しい人間の姿。健全で、歪みなくて、現実のクリストフは何よりも真っ直ぐに生きている。きっとそういう人だからウンディーネも好きになったのだろうな。そう理解させる素敵な描写でした。
この解像度の高い大人のやりとりを、ブランデンブルクの灰色の空と、ラインラントの深い森を舞台にやってくれたことがありがたくて眩しい。ドイツ国内で最も好きな場所ふたつが舞台になって個人的にはめちゃくちゃヒットだった。クリストフ役のフランツ・ロゴフスキとウンディーネ役のパウラ・ベーアは以前「トランジット」という映画でも共演していて(なんとこの作品あのアンナ・ゼーガース原作、ゼーガースが亡命先で出版したあのトランジットである! 興奮。この原作についてもかつてセミナー発表したことがある。勝手に浅からぬ縁を感じる)芝居の相性がめちゃくちゃ良くて、俳優部の関係性というのは作品そのものの雰囲気を左右するのだなあと感心したりした。
大人のおとぎ話というとなんとなくエロい雰囲気を感じ取ったりもするけど、ファンタジーを楽しむのもまた「大人」の余裕あってのことで、おそらく私には慢性的にその余裕が足りてない。だからこそガチガチに練られたよくわからない異世界ファンタジーが苦手なのだけど、現代世界の直面する課題と向き合って、現代に生きるファンタジックな存在の苦悩みたいなものを考えるのは、自分にとってちょうど良いらしい。
異類婚姻譚はだいたい悲しい結末に終わる。人魚姫然り、天女伝説然り、鶴の恩返し然り。しかし今は現代、昔ではない。女は孕み生み育てるものという時代でもない。選び取って愛した人の「幸福」を第一に希求する女がいてもいい。この作品からはそうした、外的存在たる雌性の存在の矜持を感じた。とても良いと思う。
そして欲を言うならば、今リアルタイムに展開を見守っている本邦の異類婚姻譚も、幸せな結末に落ち着いてほしい。彼らが幸せならなんでもいいけど、彼らが心の底から望むような終わりを迎えてほしい。
未見の人は配信なりパッケージ化なりを待ちつつ見てほしい!
損はさせない。そしていつかベルリンに行ってください。めちゃくちゃいいところだよ。
今回の感想はここまで。
思い出してたら「希望の灯り」が見たくなりました。あの作品の描く東ドイツ社会、めちゃくちゃ好きなんだ。作者のクレメンスマイヤーが友情出演してるところも含めて憎めない。ちなみにこちらはアマプラで配信しています。要チェックだ。
またよろしくどうぞ。では。