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寒い国から来たサーファー

冬が苦手です。
手足が冷たくなって、体調が悪くなる。
どんよりとした空、気分が晴れず、自分の弱さとただただ戦わなければならないような毎日。

特に宮城に越してからは、

ずっと、真冬日。

一日中、冷蔵庫の中にいるより寒い。
冬は命懸けで過ごす。

そんなわけで、私の作る詞には圧倒的に「冬」が少ない。
書いているうちに、どんどん寒くなるの、いやじゃんねえ。

クリスマスソングも、スキー場も、スケート場も書いたことがない。
唯一、書いた記憶があるのは「寒い国から来たサーファー」という曲。
サーファーの唄だけど、季節は冬。
唄ってくださったのは、あの大作曲家、林哲司さんだ。

最近、80年代のヒット曲「真夜中のドア」などが世界的にまた話題になっている。その真夜中のドアを作曲されたのが林哲司さん。菊池桃子さんやオメガトライブなどをずっと手掛けていらしたかただ。

「寒い国から来たサーファー」は、林さんのソロアルバム「ナインストーリーズ」に収められている。林さんがヴォーカリストとしてのアルバムだ。

リリース当時のオリジナルジャケット。渋い。
すでに物語が始まっている。


リリースは1986年9月。
全曲林哲司さんが曲を書かれ、もちろんアレンジもされている。
プロデュースは、作詞家の康珍化さん。
殆どの詞は康珍化さんが書かれているが、1曲だけ書かせていただいた。

康珍化さんは、大好きというにはあまりにも申し訳ないくらい尊敬している先輩。何度生まれ変わっても、康さんの書かれる世界感には近づけない。
40年ほど前「作詞家になりたい」とある事務所を訪ねたとき、社長さんが「うちの事務所には康珍化がいるよ。うちに来る?」
と、「お茶しに来る?」くらいのノリで言われ、耳を疑ってしまった。
当時、一番逢いたいと思っていた大大大好きな作詞家さんだったのだ。

神様って、いるのかも。
って、その時思った。

ほどなくして、神宮前のパスタ屋さんで康さんに逢わせていただいた。
あこがれの作詞家さんを目の前に、何を話したのか、何を食べたのか、何ひとつ覚えていない。

話を元に戻そう。

冬が苦手な私が何故、冬をテーマに書いたのか。

実はこのタイトルはプロデューサーの康珍化さんから指定されたものだった。
「純子、タイトルは、これね」
と言って、どどんとA4コピー用紙を渡された。
そこには、「寒い国から来たサーファー」とだけ書かれていた。

サーファーですか??????

サーフィンしないし、サーファーの友達もいないし、どうしたもんでしょう?と思ったものの、書かねばならぬ。

康さんからは、このタイトルと共に「失恋ね」とだけ言われた気がする。
「失恋して、心の中にずっと寒い冬を抱えて生きているサーファーね」
「冬」と「サーフィン」の真逆のイメージがおもしろいなと思った。

イントロを聞いただけで、海にいるような気持ちになる。
大きな波、小さな波が交互に、胸のふちに打ち寄せる。

ボードが宙でスピンして
あの娘はくちびるをかむ

冷やかしの声に耳も貸さないね
真冬の沖をにらんで

君は寒い国から たどりついたサーファー
ほら 潮風に凍えてる
夏の恋を沈めた同じ海に来るたび
すぐ さびしさにムキになるんだね





「寒い国から来たサーファー」

凍えるような冬の海でも、サーフィンしている人たちって、すごく楽しそうじゃない?
でもこの娘は、全然楽しそうじゃない。
「楽しむ」というより「修行」のようなサーフィンをしている。
だから周りの男の子たちは、ひやかしてみる。

「やらかしたねえ~」
「はい、笑って!笑って!」

みたいな感じかな。

でもあの娘は全く耳を貸さず、キッと真冬の沖を睨んでいる。
この悲しみから逃げたくはない。
うまく波に乗れたら、彼を失った悲しみさえも乗り越えられるような気がしている。

唄っている林さんは、もちろん「あの娘」ではなく、「ひやかしの声の男の子たち」でもなく、俯瞰で見ている第三者だ。

気負わずにライトな感覚で作ったものです。
結果的にはアルトっぽい自分の声質にすごく合ったナンバーになりました。

林さん自らのライナーノーツから。

のちに再発されたCDのライナーノーツに林さんがこう書かれている。

「大人の声」なのだ。
包み込むように唄われていて、サーフィンしないのに大きな波に揺られているような気持ちになる。
林さんは、目には見えない神のような存在であの娘にエールを送っているのではないか?

君の愛をさらいに 次の波が来るから
さあ つかまえて 拍手を贈ろう

「寒い国から来たサーファー」2コーラス目のラスト2行。

林さんのすべての曲には、すでに映像がある。
イントロからもう一本の映画を見せられているようだ。
さざ波が立ち、雨が降り、湿度があり、涙の匂いがする。
見てもいない映画なのに、すでにどこかで経験したかのような世界に誘われてしまう。

40年前の林さんの曲が再び海外で聴かれているのは、こういった感覚になるからではないか。
彼らは「とても日本的」で「かっこいい」という。
言葉がわからなくても「音」として「リズム」として、受け入れている。

満を持して、4月には杉山清貴さんと菊池桃子さんと共にコンサートを行うという。お二人とも、80年代に林さんの曲をずっと唄われていた。

タイムマシンのように一気に80年代へタイムスリップするのか、全く新しい世界が広がるのか、興味深いコンサートになりそうだ。

林哲司様、
40近く前、右も左も分からぬ若輩者の私に詞を書かせていただき、ありがとうございました。
いつかどこかでまたお逢いできたら、直接、お礼を申し上げたいと思っております。

康珍化様、
沢山沢山、お世話になり、ありがとうございました。
私はまだまだ未熟で恥ずかしい限りです。
いつかどこかでまたお逢い出来たら、叱ってください。



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