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ハンガリーのクリスマス

ハンガリーに来てから1ヶ月以上が経った。

思えばクリスマス、年越し、それに加えて誕生日。

一年のビックイベント三連発をこの地でひとり迎えた。

異国の地で一人暮らし、というだけでも少々堪えるのに、そういう特別な日となると、無性に切なさが込み上げてくるものだ。

どれも365日の中のただの1日だというのに、どうしても意識してしまう。

特にクリスマスに関してはタチが悪い。まず何日も前から町中が無駄にピカピカと光り始め、

みんなのお待ちかねのあの日、もうすぐ来ますよ。

とこちらを挑発しにかかってくる。

それに加えて、クリスマスがいかに特別で素晴らしい日かを示した歌を垂れ流しにし、すっかり洗脳された人々はやがて狂ったように木を飾り付け始める。

正気の沙汰ではない。

日本ではクリスマスや、クリスマスイブを恋人と過ごすことで幸せでいっぱいな自分を演出する、という謎の文化が根付いている。

恋人と町中に張り巡らされた電飾を見て優越感に浸る彼らは、それだけでは飽き足らず、一人でクリスマスを迎えるものをクリぼっちという言葉で差別し始めた。

クリスマスに一人ぼっち?

いい加減にしてほしい。

いつも通りの暮らしをしていたらたまたまその日がクリスマスだっただけ。

車で道路を走っていたら向かいにクリスマスが急に現れただけ。

あーなんか派手な車来たな、てだけ。

クリスマスに標準合わせて生活なんかしてないのよこっちは。あいにく。

お願いだから自分の運転に集中させて。夢に向かって一直線で向かってるんだから。悪いけどそんなものにうつつを抜かしてる暇はないね。


そう胸に誓い迎えたクリスマス当日。

さて、いつも通り筋トレするか。


、、、、、

気づくと僕は一人街へと繰り出していた。

イルミネーションがとても綺麗だった。

次に向かった先は教会だった。

鐘がなった。

心が浄化されていくのを感じた。

今年もクリスマスが、やってきたんだなあ。

と空を仰いだ。星が綺麗だった。

本場のクリスマスを肌で感じその空気感に圧倒された僕は、その余韻に浸りながらもう少し街を歩いてみることにした。

ふと、耳につけたイヤホンから、山下達郎のクリスマス・イブが心地よく流れ始めた。

これこれ。


しばらくしてそろそろ足も疲れてきた僕はついに家へと帰ることにした。

クリスマスとの別れを惜しみながら、一歩一歩、噛み締めるように歩いた。

また来年、会えるもんね、、



というわけで僕は気づくとクリスマスという大きな波に飲み込まれていたのだった。

驚くほど綺麗に飲み込まれた。到底叶う相手ではなかった。

ハンガリーのクリスマスは一回見といたほうがいい。













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