空
電車を降りた。
バス停には長蛇の列。うんざりする。人の多さ、どうにもならない暑さでクラクラする。メガネを外した。
左右の視力が大きく違うのと、老眼で遠近両用メガネを外すとほぼ文字は解読できない世界になる。
人の顔もぼやける。夕方から空が暗くなり始めると電車の電光掲示板に何が書いてあるかも見えない。
なんかぐちゃぐちゃだった頭の中もぼんやりして、いろいろ考え込むのをやめた。
木のベンチに座り上を見た。
景色も人も文字もよく見えなかったのに、夕方の青空と雲ははっきりくっきり見えた。
ビルとビルの間から見える青空と雲は、強い風で走りながらこちらを見ているようだった。
何も言わずに。
・
私は疲れている。
嫌な疲れではない。
いろいろ歩み出したスタートの疲れに感じる。力み過ぎて空回りや失敗も多いけれど。とにかく経験値を増やし、勉強して、できることを少しずつ増やしてゆくこと、スタッフさん、お客様の笑顔が嬉しくて楽しいのだ。
・
6月、再発検査のために7月休職申請をしたが、「癌は完治」がありません。復帰はできません。退職です。(寛解は完治と違う)
それは解雇ですよね?
違います。(自己都合)退職です。持参した検査の資料をチラッとだけ見て、「介護のような言葉」は言えません。私はそんな言葉を求めていません。これから検査、また結果も出ていないんですよ。
結果がわかるまでは、いつ復帰ができるのか?復帰もできないかもしれないということもあるから、仕方ないですけど。言葉を飲み込む。
「ケチョンケチョンの言葉」で酷く傷ついた。私の存在ってなんだろう?6月末までは必ず出勤してください。その時だけは頭を下げていた。検査結果の資料をカバンに入れるのに、もたもたしてたら、サッサとカンファレンスルームを出て行き、電気だけ消しておいて。と言われた。
6月末までか、あと5日間。帰りの自転車から家まで過呼吸と手の震えで記憶がない。いい大人だから恥ずかしいけれど、正直もう行きたくなかった。電気のついていないTVの前で、体育座りして3時間くらい考えていた。「残りの数日をどうすれば私も、おばあちゃん達も笑顔で過ごせるかな?」それを真剣に考え、「めちゃくちゃ楽しませるウィークにしよう!私も楽しく!」折り紙と画用紙を用意して、泣きながら笑顔を想像して準備した。
通常業務をきちんとしながら、思いつく限りのことを実行して6月を終えた。それがnoteのつぶやきカウントダウンだった。
毎晩、頭皮から流血するのでは?という程、髪の毛を掻きむしり、落ち着くと次の日に楽しませることの準備とイメトレをした。
最後の日、寝るお手伝いをして、おやすみなさい。と布団を掛けて、ゴミ置き場に行ったら、急に泣けてきた。
大好きな仕事だった。でも二度と足を踏み入れることはできなくなくなってしまった。
「ここで待ってますよ!」とサバサバしていて凄く仕事のできる人が、思いもよらず声掛けしてくれた。笑顔を初めて見たかもしれない。ちゃんとした製菓店の、小さめで負担にならないようなお菓子をいただいた。その他のスタッフさん達も待ってますよ!と言ってくれた。その時にはもう退職は決まっていて、でも言ってはいけないことになっていて、帰宅して号泣した。
その後、郵送されてきた「退職願い」を一時間くらい眺めた。
御縁なく、不要になってしまった私に通知が来て、自己都合退職になった。それまでの自分の行いがよくなかったんだろう。思い当たる節もいろいろある。病気のせいだけど、仕方がないけど、絶望感で体中が刺々になった。
その後、言葉が鋭い刀になり、傷が抉られるような話し合いをして、手続きが終わった。
息子が背中を押してくれたのもあり、無理だと思いつつ、「結果がどうあれチャレンジしよう!」とやってみたら、新しい仕事も決まった。
心配していた大好きな友達であり仕事仲間にこんなことがあった、元気にがんばってるよ!と話したら、逆に傷付けてしまった。
もう会社はポイッと忘れてください、代表でごめんなさい。
悪気は全く無かっただろうし、ハード過ぎる環境で人一倍頑張っているのだからそう思ったのだろう。
最終日、「もっと一緒に仕事したかったね」と二人で泣いて、これからも会おうねと言って、変顔写真を撮って、ラストデイから帰った。
わかってるよ、わかってる。
でもね、大好きな職場だったの、これからも大好きな会社です。全て私が病気(癌)になったから、体力も低下したのに復帰したから、今の体でどう動くかのコツを掴むのも遅くて、みなさんに助けてもらってばかりだった。沢山ご迷惑をかけました。本当にごめんなさい。
そう返事をした。
7年前、私と彼女が同じ部署で働いている時に癌になった。復帰したのに癌とお腹の3回の手術で力が入らず、前のようには体が動かない。その時退職した。
そして今年、6年振りに再復帰した。体力は戻りつつあったけど、とにかく前のようには動けない。30秒のタイムロス、1分、5分、10分、積み重ねればかなりのタイムロスである。悔しいし悲しい。毎日反省会と試行錯誤、周りのスタッフの協力もあり、やっとその体でもできるコツが掴めてきた所だった。
再発検査結果は良性だった。でも退職は変わらない。
おはようございます!から、おやすみなさい。までお手伝いしながら過ごした家族のような人達。
声かけに反応なく、ぼぅっと過ごしていた人達が、少しずつ少しずつ反応するようになり、家族のようにワイワイ会話できるまで変化した。自分からトイレ行きたいとか、いつもありがとね。お世話ばかり掛けてごめんなさいと涙ぐみ、逆に感謝してるんですよ!オッチョコチョイな私を助けてくれるじゃないですか。沢山優しさと楽しいをいただいているんです。
ご飯の配膳でメニューをレストランのように伝えると、ラッキー!とピースして、昼間はみんなでお花の工作が作れるようになった。
ずっと着いて見ていられない分、ご自身で考えて、それも見本とは違う、個性溢れキラリと光る花畑を作っていたのだ。
二度と行けないことが決定した。
「ポイっと忘れてください。」
「私が病気になったせいでごめんなさい。」
一日中、頭が痛くなるほどウオンウオン泣いた。
その後、私の本当の思いを沢山書いて伝えた。
お互いに大切に思い合っていて、一緒に働けなくなったのがお互いに辛く悲しくて、だからこそちょっとすれ違うこともある。また笑って話したい。意外と早くに「その時は来る」そう思っている。
・
「辛く悲しいこと」があった中で、検査しながら新たな道を見つけに走り回った。
幸い大学病院から紹介されたクリニックのドクターは、セルフチェックでの癌腫瘍発見から7年半、一度も聞いたことのないような丁寧な説明をしてくださり、結果も良性だった。
退職の話を聞き、労基に相談に行きなさいと言われたけれど、良性だったし、私は前に進むと決めています。と定期検診だけになった。
良性とわかったその日のうちに次の就職活動を始めた。
数年前からいつか働いてみたかった場所。「いつかは今だよ」まさか採用されるわけないよね、でも後悔したくない。今、挑戦するんだ!面接に行った日、今まで私がコツコツとやってきたことで繋がった不思議な御縁で決まった。「今の私、そして過去に少しずつやってきた私のこと」が役にたった。号泣した。
スタートラインが見えた。どんな道かも分からないし、何かが必ず起こるだろうけれど、大好きな場所なので、しがみついてでも歩みたい。やってみてがっかりされるようなことが起こり、ご縁がなかった時は仕方ないけれど、それを考えず、できる限り精一杯やりたい。
いろいろスタートできたことに感謝して、嬉しさと緊張で小走りしていた。
スタートしても順調に進む訳ではない。あたりまえだ。その中で「今の自分だからできること」毎日試行錯誤しながらやっている。焦って前のめりで、周りの空気読めなくて夜はひとり反省会。
それでも「一緒に頑張りましょう!楽しんで!」と言われると泣きそうになる。というかありがたくて泣く。
全然違う雰囲気の喫茶店でも働いている。どちらも大好きで楽しい。物凄く勉強になる。
個展についても具体的に考え始めた。辛いことも嬉しいことも、一緒に個性的な花畑を作ってくれた人達との時間や、今経験していることも全て作品のヒントになるのだろう。始めは体力的に辛かったけど、ちょっとずつ慣れてきて嬉しい。
「今の私だからできること」
自分で一歩踏み出してみた。
まだスタート地点だけど、生きることの楽しみをまたみつけた。
踏み出せたんだよ!スタートできたんだよ!
信じられない。
良いことに走り出した私はまた違う壁にぶち当たる。何度も何度も。小走りからダッシュしてしまい息切れする。
走らなければよいのでは?ゆっくり落ち着いて歩きなさいよ。走らなくても、振り返ったら進んでいると気付くよ。
ホントにそうだと思う。
時々、悲しかったとこを思い出すと嗚咽して泣く。詳細は書けないけど、引きずって眠れぬ夜が続いたし、食欲もない。オトンの夕飯に作ったおかずの残りを無理矢理口に押し込む。
帰宅後、毎晩トイレで30分から1時間爆睡していた。
ベッドに横になると目が冴える。
賄いだけは食べられる。美味しい!スタッフのみなさんの「お客様が幸せな時間を過ごせますように」という思いが詰まっているから、体中が喜ぶ。そして私もちゃんと料理の説明ができる。
昔から私を知っている友達が言っていた。
別の学生時代の部活仲間からもこんな言葉をもらった。
今はご飯が美味しい!本当は良いことの方が多かったんだと気付いたから。
オトンと時間が合えば、美味しいね!と食べる。福岡旅行で、あこはるかさんと何度も言った言葉
「食べるって楽しいね!美味しいは幸せだね。」
・
37度という猛暑。
気温37度の中、電車とバスで定期検診に。先週予約していたけど、疲労感と暑さで行けなかったから、今日は何があっても絶対に行く!と対策しまくって行った。
手強い暑さでふらふらで病院到着。入口の硝子が割れてて「何があった?」と驚き、でも病院は普通に機能しており不思議な静けさ。
主治医に、経過を話すと長くなるので箇条書きしたメモを渡した。そして話す。
良いことと辛いことが同時に起こる日が何回もあったんですけど、以前よりは気持ちをひとりで抱え込まず、人に解放したりできました。
そうですね、大きく体調を崩すこともなかったようでホッとしましたが無理をしないように。暑いしね。エアコン電気代を気にして倒れたら、その方が医療費高く付くから。
先生も本当に身体に気をつけてくださいね。無理せずで。
お盆休みに田舎で久しぶりに会ったいとこのような会話。
先生の言葉、私が辛くなった時のお守りみたいな言葉をくださいと言った時のメモ、『先生が子どもの頃、おじいちゃんの家のぼっとんトイレで見たカレンダーの言葉』いつも見ていました。
道を振り返るのが辛くて、メモを見たくない時もあった。見たら更に辛くなることも。
けれど、先生が子どもの頃に田舎のおじいちゃんの家に行って、キシキシと音がする暗い廊下を「怖い怖い」と言いながら歩いて入ったトイレというか便所で、そのカレンダーを見た時、どんなことを思ったのだろう。
少年だった先生が大人になって、お守りみたいな言葉と私に急に言われて困ってウンウン唸ったら出てきたのだから、少年は何か感じていたんだろうな。
そう思うと私も「便所怖いけど漏らすから行かなくては」という子どものような気持ちになって、メモを見ちゃうんだよなあ。
見てかなり時間が経ってから「道・路・未知・既知」そして、その前にたまた私が書いたお話に出てくる「ミチの名の由来」が、頭の中で絵になって見えるんだよね。
捉え方によっては宗教的にも思えるけど、単純に「便所で見たカレンダーを大人になって思い出したら、なんかどうにかなるかもって思える」と心の中で呟いた。言わなかったけど。
あれね!壁にぶち当たって辛い時お守りになるような言葉教えてくださいって言われて、ええー?ってびっくりして、ウンウン唸って絞り出したやつね。
でもあなたは、本当に今までいろんなことがあってもやってきたじゃない。歩いて来れたのは自分自身なんだから、もっと自信を持っていいんですよ。
二人して「いい気にならないように」と私に言い合う。いろいろな意味で。
かなり前に教えてくれたお守り代わりの言葉。これも毎日見てる。
笑って診察室を出たけど、私の声のトーンや話し方が妙に低くて、いつもより感情がなく淡々としていたから「ちょっと一息つかないとな」と思った。
病院に行く前にnoteにつぶやきしたのを見てみたら、疲れているのに、変ながんばりを吐き出している。自分で書いたコメントも、猛暑もあってなんか変。
最寄駅に着いた。
帰りのバス停に長蛇の列ができていて、げんなりして「お茶でも飲もうかな」と歩いていたら、風鈴の音がした。
硝子の風鈴ではない音。
見ると赤提灯の下で揺れている。
風情があるねえ。と眺めていてふと下を見たら、「パッピードリンク乾杯生ビール110円!」が目に入った。
缶ビールより安いじゃん。串カツも110円、焼酎半額。しかもこのお店、料理もお酒も美味しいんだよな。
いつも賑わっているけど、開店直後で空いている。吸い寄せられるように入っていった。
私はひとりで飲む時は心が落ち着くお店しか行かない。
そもそも外で飲むのは凄い贅沢なので、落ち着かないなら家に帰りたい。
けれど、こういう疲れている時は家に帰るとやらなくてはいけないことが目に入り過ぎて落ち着かない。心も体もなかなか休まらない。
どんなに賑やかでも、お店の雰囲気と店員さんの感じが良いと心が穏やかになる。他のお客様達の話し声や笑い声も、お店の雰囲気で明るかったりして、不思議と頭の中の賑やかさは静まり、本当に気が抜けるのだ。
お店の雰囲気や店員さんの動きや接客で、料理の味も変わるしお客様の話し声もドロドロしてたりして、繋がってるよねと思う。
カウンターの端の席に座った。目の前で頭にタオルを巻いた「焼きさん」が焼き鳥を焼いている。焼きながら硝子越しに店内の様子を見ている。
直ぐおしぼりお持ちしますから!
どんどんお客様が入ってきて、注文をとる若い店員さんがキビキビ動いている。なんかそれだけで居心地良いなと荷物を置いた。
おしぼりをもらい、ハッピー生ビールを注文。
冷え冷えのおしぼりが気持ち良くて、思わず熱ったほっぺたを拭いた。
今ほっぺたを拭いた?あり得ないでしょう。いくら眉毛しか描いてないすっぴんでもね、ここは家じゃないんだから。
猛烈に恥ずかしくなってキョロキョロしたら焼きさんが「見てませんよ」という感じでニッコリしていて、まあいいかとそっとおしぼりをテーブルに置いた。もう、おばさんを飛び越えて、おじさんだな私。いや、紳士はおしぼりで顔拭かないから。お恥ずかしい。
ビールと共に、これまた冷え冷え枝豆が。深くて鮮やかな緑に白。枝豆の味がしっかり濃くて、粗塩が更に旨味を引き出している。茹で加減がいい塩梅。
ただの食いしん坊である。そしてビールが美味しい。ありがとうハッピー生ビール。
やっと感情出てきた、幸せです。
せっかくだから焼き鳥も頼んだ。目の前から炭火で焼く音とにおいがする。
女性ひとり来店だと、ハーフメニューがある。嬉しい。私はおしぼりでほっぺた拭いたおじさんだけど。胡瓜の浅漬けをほんの少し食べたくて、ハーフありますか?と聞いてみた。
満席になっている。スーツ姿のお仲間が、仕事のぐちっぽいことを話しながらも笑って飲んでたり、おしゃれした若い子が楽しそうに食べてたり。カウンターでひとり飲みの人たちもゆるゆるしている。
私も落ち着いていた。いろいろ書き込もうと思っていたスケジュール帳も出さず、スマホも見ないで写真だけたまに撮ったり、ただ美味しい料理と、ハッピー生ビールを楽しんでいた。
焼酎も半額とのことで、飲んだことのない気になった芋焼酎を頼んだ。お水をチェイサーにちびちび飲む。
鹿児島の方言のポスターを読む。
なんかいいなこのゆるりとした感じ。
ハーフサイズのゴーヤチャンプルを食べた。ゴーヤ、スパム、もやしに、トマトと厚揚げが入っていて、そこに卵が絡まっていて、とても美味しい。
ごちそうさまでした!
ハッピーな時間ありがとうございます。
店の外に出る。メガネは外したまま。
飲み屋の向かいの美容室。二枚の硝子の間には水が流ている。夏に見ても、冬に見ても穏やかな気持ちになる。
この景色の文字、裸眼だと「P」以外は全てボヤけて見えません。
今夜は見えなくていい。心身を緩める時間だから。
実は改札の近くの宝くじ売り場でサマージャンボを買っていた。いつもバラで3枚と決めている。当たらないと思いつつも、抽選までワクワクするのが楽しいのだ。
お店を出る前、カウンターの焼き場との仕切りの硝子の下に、スタッフさんの写真と自己紹介があった。あ!この子は!
家の近所で、10数年前から、たまのお楽しみに絶対ひとりで行く居酒屋さんがある。昔その子が働いていた。
物凄く、心配になるほど気が利く。とても繊細で、穏やかでスピード感もある仕事ができ、それぞれのお客様の心に寄り添う接客とスタッフへの声掛けでみんなの人気者。
いろんな話をしたことがある。他の人には話さない心の中の言葉とか。
今は私も数ヶ月に一度しか行かないし。その子も別の仕事をしているとかなり前に偶然会った時に聞いた。なんとも優しくて明るくて温かい笑顔だった。
駅近くとは聞いてたけど、ここで働いてたんだ。そのうちお店の雰囲気が変わった。満席なんだけど、活気に温かさが加わった。
もしかして?あの子が出勤したのかな。
嬉しくてちょっと見ていた。やっぱりあの子はムードを変える。スタッフもお客様も安心して楽しい空間になっていた。
帰りにトイレに寄り、私は宝くじの一枚を手に持った。
ここが本当に空気が読めないおバカな私なんだけど、もしこの忙しい中で一瞬すれ違ったら宝くじ渡そう。
迷惑極まりない客。わかってるけど、すれ違わないかもしれないし。もう偶然会うこともないかもしれない。
トイレから出たら、目の前にあの子がいた。〇〇くん!あ、こんばんは!これ、お母ちゃんから。がんばってね。秒で宝くじを渡し、店を出た。遠くから、ありがとうございます!と聞こえた。
ごめんね忙しい時に。
多分、私とは気付かないだろう。
仕事が終わって「なんで宝くじくれたの?」と不思議そうな顔をするんだろうな。
その一枚で一等が当たったらいいな。
でもあの子は、7億当たっても、人との繋がりを大切にするんだろう。
空を見上げる。すっかり暗くなって、雲が覆っていた。
ちょっと笑いながら、空気の読めない、迷惑で、冷たいおしぼりでほっぺた拭いたおじさんの私は、席が空いているバスで家に帰った。
・・・
TVの前のコタツテーブルにオトンのお土産を置いた。
オトンはこういうパンフレットが好き。耳のことで長時間の電車、新幹線、飛行機は目が回って倒れるので乗れなくなった。
旅が大好きなオトンに楽しい時間を。
随分遅かったにゃ。え?まだ19時ですよ。ちゅ~る1本でいいですにゃ。わかりましたお姫様。
・
朝、目が覚めると澄んだ青空。
朝ドラを観た後、その日のオトンひとりモーニングポタリングでハスキーと出会って頭を撫でたと楽しそうに話していた。
旅行のパンフレットも嬉しそう。
日曜日、昼から遅くまで仕事で、月曜日猛暑の中、電車で定期検診に行き、流石に疲れたので、洗濯物干しをオトンに任せて二度寝することにした。
雨音で目が覚める。オトンは玄関のピンポーンも強烈な雷も聞こえないから、スースー気持ち良さそうに寝ている。
慌てて洗濯物を取り込みに外に出る。降始めで、雨と土の混じったにおいがする。このにおい好き。
空を見上げる。グレーの雨雲は右側だけで、だんだん白いグラデーション。左端に薄水色の空がちょこんと見えていた。
こんにちは。空も私を見ていた。
これからもいろんな空をいろんな気持ちで見上げるのだろう。
きっと繋がっていて、いつか私が空の上に行って空に混ざったら、みんなのことをそっと見ているのかもしれないな。
そんなことを思いながら、少し濡れた洗濯物を部屋干しした。
日記・写真
じゅんみは
・・・
あれから…
この記事は、7/29 に投稿したのですが
「暗いなぁー!」と思って、数日後、下書きに戻しました。
今(9月始め)また検査しなくてはいけなくなって、
まあ、念の為なのですが。
8月末、ちょっと兆候をまた自分で見つけまして…この症状は検査した方がいいですかね?と、かかりつけ医に受診した日、帰りにまた行ったんです、この店に。
「念の為検査」が決まり、どうにもやりきれず家に帰るのがしんどいなぁと。
受診することは息子にも言わず、検査が決まり報告。オトンには未だ言っていません。
「念の為だから。きっと大丈夫だから。」
でもね、
太鼓判から、たった1ヶ月ちょいでさ。いろいろ新しい道をスタートして、なんとかがんばってきてこれかい?って、またきっと大丈夫なんだと思ってるけど。
今夜は飲ませてくれ。
って、やっぱりおしぼりで顔拭くおじさんの私。(←この日はおしぼりで顔拭きませんでした。)
カウンターの端っこで飲みながらスケジュール帳にいろいろ書いたりしてたら涙出てきて、字が滲むので困ったねとなっていたら…
肩をトントン…
振り返ったらあの子がいました。
ピッカピカの笑顔で。
この前はありがとう!全然気付かなくてビックリしちゃった。宝くじもありがとうね。
今日は私がビックリしたよ!いたのね。忙しいのに声掛けてくれてありがとう!あの宝くじ絶対当たるからさ、そしたら半分こね。ウソ、全部自分で使って。
当たったらとうしよう!
この前も会えて嬉しかったし、今日も会えて嬉しい!
「会えて嬉しい!」って本当に嬉しい言葉だな。泣いてたのバレないようにニッコリしてから、
来年の春、50歳の誕生日の次の日個展やることになったの、フライヤーできたら持ってくるね。お仕事がんばってね!
わー!楽しみだ!待ってるね。
救われた。
それで今9月始めなんですけど、検査は9月半ば。結果は後半。
台風で仕事休みになって、その分配慮していただき、予定より多く仕事入れてくれて本当にありがたい。
休みで体の疲れは取れましたが、家にいると悶々としてしまって。
心揺れ揺れ。
友達に弱音聞いてもらったり。
娘のように可愛がってる子からたまたま連絡来たり。
息子オススメ百均のアクリル絵の具買い込んで、格安で買ってあった新しい作品用の紙に少し色つけたり。でもうまく描けない。描けない時は描かなくてもよいと気付く。いつかまた描ける。
仕事始まり、やっぱり動くとよいなと感じた今日です。
暗いことを考え始めると止まらないですよね。
動くと集中してるし、元気が出る。血の巡りがよくなるからかな。
失敗多いけど、次の課題があるの嬉しい。職場で偶然ママ友に会えたり、明日も仕事前に楽しい約束があります。
何があっても今の道を進みたい。止まっても転んでもゆっくり一歩ずつ。
それで追記してまた投稿することにしました。
再投稿すると、最初に投稿した日に戻るから、この追記した記事に気付いて読む方は少ないと思うので、自分自身へのエールのような気持ちで投稿します。
楽しくね、私らしく、今の私だからできることをやってゆこう。
小さな幸せを見つけて笑顔でいたい。
笑顔になれない日があってもよい。
そんな気持ちです。
「ハレノチアメノチハレ」
それが今の私の支えの言葉
個展の名前です。
場所は予約済。準備が進んだら、フライヤーができたらnoteでもみなさんにお伝えしたい。
ゆるりとがんばります🐈️♪
2024年9月3日
じゅんみは