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ジャズのグループを解散させないためには?~地方バンド運営の試行錯誤~


私には、大学時代の文化系サークルを潰してしまったという苦い過去がある。正確には私の次の代で無くなってしまったのだが、間違いなく私の代ですでに死に体となっていた。恐らく数十年歴史のあったサークルで、人集めに苦労する地味な活動であったのは間違いなかったのだが。今となっては仮に同級生や後輩などに会ったとしても、サークルのその後について語ることも、OB然とすることもできない。それはそれで寂しいものだ。

2012年 バンドへの参加

現在私は地方の街に住み、同地に根付いたジャズのグループ(以下、バンドと呼ぶ)のリーダーを任されている。私は10年少し前にこの地に移住し、すぐに音楽に復帰しようとこのバンドに参加したのだ。移住前の東京で多忙かつ遠距離通勤の生活では音楽を続けることはなかなか困難で、やや時間的な余裕のできた新天地で音楽を再開したかった。バンドは地元の居酒屋の奥のスタジオを根城にしており、現在も毎週1回そこに集まり練習を続けている。

2013年~ ビッグバンド時代

私が加入した時、バンドには賑わいがあった。練習に行けば概ね十数人が集まり、ライブ前ともなればフルバンドと言える規模のビックバンドだったのだ。リーダーは、長らくこのバンド引っ張ってきているベースプレイヤーで、もともとアルトサックスをやっていた60代の方だった。キャリア的には30年以上、時々数年のブランクがあったりしたらしいのだが、このバンドをずっと存続させてきたと言う。メンバーの多くは、この世代のおじいたちと、若い地元の高校吹奏楽部出身のメンバーとに2極化しており、サックス、トロンボーン、トランペット、そしてリズムセクション(ピアノもギターもいる)と言う構成だった。いまどきの吹奏楽部だから、女性メンバーも多く、華やかな感じで雰囲気は明るい。また、ほとんど地元出身者が固まっているので、演奏機会と言うことでは会社のイベント事、関係者の親族の結婚式や、同窓会などなど、年に数回のイベントへ出演した。そのために多少のギャラ、場合によってはそこそこのギャラをもらっていた。当時は毎月確か300円/人程度の部費も取っていて、ギャラの貯金もあるのでそこそこの蓄えがあると言う経済状態。

2013年~ 当時のレパートリー

肝心の演奏は、多数の曲を過去に集めたビックバンド譜面があり、大体それらを使い回しながら、時々新曲を付け加えたり、イベントごとに合わせた曲を用意すると言うような感じだった。30年以上前のダンスブーム時代に合わせた、社交ダンス用の曲も結構あり、ジャズビックバンドながら島倉千代子を演奏することもあった。レベル的にはビギナーから中級のあいだ位、決して長いアドリブを要求する曲や難曲と言うものを演奏できるわけではなく、買ったものの一度も通せていない譜面などもあった。IN THE MOODからシングシング、スイング時代のビックバンドの曲、カウントベイシー、エリントンや、ネスティコのナンバーとかもあった。今やこれらの楽譜は居酒屋の棚の上にずっしりと眠っている。

2016年~ 世代交代から凋落へ

そうこうしてるうちに年配のバンマスが、私は歳だからと言うことで若手のトランペットにリーダーの座を譲り、リズムセクションが若手に代替わりする時期となった。数年、新リーダーの時代が順調に続いたものの、そのトランペッターが仕事、子供の成長に伴いとても多忙に、もうこのままバンドを続けられないと言う事態になり、総会を開いて私がリーダーになった。年配の元バンマスは、私はバンマスでいい、若手のアルトがコンマスをやるから、と役割分担をしてくれた。
若手のメンバーにも、徐々に仕事が忙しいとか結婚をした、子供が生まれるなどと言う時期がやってきて、トランペッターのリーダーのみならずアルトサックスの彼女、トロンボーンの彼女、などがポロポロと抜けていき、ビックバンドとしてはだんだん各パートの人数が減ってくる。ところがホーンセクションのみならず、ドラムの欠席が増える、そしてベーシストが県外に帰郷すると言う羽目になり、リズムセクションまでが崩れ始め、苦境に陥った。毎週練習はするものの、パートの人数が揃っていない、またリズムセクションが欠けているので演奏にならない。ある程度揃っても、トロンボーンが不在だったりするので、演奏中に「ここは誰が吹くんだっけ」と言う状態で音楽に空白が生じるようなことが起こる。

2018年~ ベースへの転向

私は長らくテナーサックスを演奏してきたが、ベーシスト不在が続いたところで、ベーシストとして練習を始めることにした。いつかトロンボーンやってみてもいいななどと思った事はあるが、まさか弦楽器に手を出すとは。しかしギターの経験もなく、ベーシストとして何とか使えるまでには半年、いや1年ぐらいはかかったかもしれない。

2018年~ 楽譜探し

バンドで練習はするものの、演奏にならない・・・。それでも曲によっては何とか音楽になるようなシンプルな構成の曲があるから、それをなんとなく練習してるのだがどんどんレパートリーが減っていく。私も慌ててインターネットなどで譜面を探すのだが、ジャズの世界なかなか厳しいもので、ビックバンドが崩れたとは言え、コンボスタイルになるわけでもないと言う場合に、その中間くらいの編成の譜面と言うのはなかなかない。
海外の楽譜含めて相当探してバンドで試しにやってみたりするのだが、どうも難しかったり、バンドメンバーにはなじみのなかったりする曲で難しい。タワー・オブ・パワーとか、そもそもリズムセクションがかなりレベルが高くないとできない曲が多かったり、先輩から古い9ピースの楽譜をコピーさせてもらったりしたが、結局大したアレンジがなく、ほとんどアドリブで埋める必要があったり、、。そして、この辺りでスタンダード曲の譜面でコンボっぽく演奏するということを始めなければならなくなった。(いわゆる黒本を数セットずつ購入)
ところが吹奏楽上がりのメンバーに、スタンダード曲でアドリブメインのジャズをやれといってもできるわけではない。人によっては「テーマだけ吹くから」とアドリブを敬遠するメンバーもいて、そうなるとなんとなく参加者のモチベーションも落ちてきて、どんどん参加人数が減っていってしまった。

2019年~ コロナ襲来

それでも私はどんな状況でもルーティーンで練習を続けるべきと言いいつづけ毎週惰性で練習を続けてきた。
たまたまメンバーが小学校の吹奏楽部との共演機会を持ってきてくれ、では久々にイベント事だと盛り上がり、少しビッグバンドメンバーが戻ってきてそれこそIN THE MOODか何かを練習していた時に、コロナがやってきた。当時、なんとかその日を迎えられるのではと学校側とも話をしたのだが結果的にはこのイベントが中止になり、その段階で我々のバンドも練習を休止することになった。
そこからは皆さんもご想像の通り、蔓延防止だ緊急事態宣言だなどの波を繰り返しながら、バンドも練習を再開したり中止したりの2年が続いた。そういった規制が解除される時期には練習をすぐさま開始するのだが、練習に出てくるのは音楽がないと生きていけない、まぁほんとにコアな連中ばかりになった。もちろん子供と接する、高齢者と同居している、医療系の現場で働いているとか、生活、仕事事情などで練習に来れないメンバーも少なくなかった。この期間、ドラムが不在で、ベースとギターだけのリズムセクション、3-4名で集まってirealPro(アプリ)に頼りながらのコンボとしての練習はほんとに悲惨だった。けれどもコロナの後半頃には、何とかコンボスタイルでスタンダードを演奏できるになってきた。枯葉、フライミー、オールオブミー、ほんとに初心者向けのスタンダードばかりだったが。

2021年~ メンバー募集(神様仏様ジモティー様)

もはやメンバーが戻ってくることはない、と私は腹をくくった。地方は地方でも、さらに田舎と言う土地柄では、もうトロンボーンを確保するのは難しい。そしてリズムセッションではピアノ。ジャズピアノできる人など地方にまずいない、クラシックからの転向はかなり厳しい。だからギターを探す方が可能性が高まる。そしてドラムも厳しい。私は「ジモティ」にバンドメンバー募集の広告を出し、もう気持ちがあれば誰でもいいから見学しに来てくれないかと募集をこの3年ほどずっと打ち続けている。ありがたいことに数ヶ月に1度は問い合わせがあり、練習見学に来てくれる。しかし見学の上実際にバンドに残っていくのは半分以下だ。これまでピアノは3人見に来てくれたが誰も残らなかった。
うちのバンドの目下の課題は、リズムセクションのレベルアップと、その定着である。社会人ともなると何かと忙しく、仕事家庭の事情などで、リズムセクションが揃わないことが結構ある。そうすると練習にならないわけで、しかし毎回irealProと練習では張り合いがない。やっぱり人間で練習をしておきたい。だから私の方針としてはリズムセクションは最低2人ずついて、2人くれば練習を半分に分けて演奏する、どちらかが休めば片方がカバーできると言う体制に持っていきたい。

2021年~ 相次ぐメンバー脱会

しかしそう簡単には行くものではない。当時かなり年配のドラマーがたまたま加入してくれていた。経験年数は長いがジャズ経験はまだいまひとつで、我々もああだこうだと注文を付けながら頑張ってもらっていた(どんな人材であれ逃すわけには行かない)。ある時、育児中の古株の女性ドラマーひょいと遊びに来て、昔のよしみでじゃあちょっと叩いてって彼女にドラムを演奏させてしまった。そこに、休憩をしていた年配のドラマーが戻り、女性ドラマーとの演奏を目撃し、彼は「俺は不要だな」と怒って帰ってしまった。うちのメンバーが勝手に女性ドラマーを呼んだのがまずいんだが、なんとなくその状況に流されて私もそのままにしてしまった。結局女性ドラマーもその後戻るわけではなく、年配のドラマーを失う顛末となった。その後私は彼の家に何度か通ったりして「また来てくれないか」となだめにかかったりしたが駄目だった。それでベーシストの私が、数ヶ月ドラマーをやるはめに。
そんな時に今度はジモティ経由でベーシストが入ってきた(よし!)。ロック系のベーシストだがジャズをぜひやってみたいと、早速彼がベース私がドラムとなって練習を続け、コロナ終盤にはじめてのライブもこの編成で実現できた。ところがその後、ある日新しくトロンボーンのメンバーが加入。その日いきなり現れたので、なかなか譜面(ヘ音譜面)が用意できず彼が弾けそうな古いビックバンドの譜面を取り出して、みんなでその場で初見で演奏。ところがこのベーシストは、事前の準備もなく新しい曲をやるのは得意でも、好きでもなかったらしく、しばしばロスト、、。機嫌を損ねてその日の練習の途中でスタジオを去り、気づいたらLINEグループから抜け、彼はその日を最後にバンドを辞めてしまった。ついでにトロンボーンも数週間後に帰郷すると脱会。と言うことで誰かが入っては誰かが抜け誰かが入ってはまた誰が抜けとそんなことを繰り返しているこの1年半ほどである。最近またジモティ経由でロック少年ドラマーがやってきてくれた。まだまだ使えるレベルのドラマーでは無いが、何とか熱心に通ってくれ、私はドラムからお役御免となりベーシストに戻っている。

バンドを潰さないために

冒頭にも書いたが、私はこのグループを私の時代につぶしたく無い。もはやビックバンドに戻るのはとても難しいと思うし、今のバンドの維持だって結構大変かもしれない。この数年のことを振り返るにつけ、いくつかポイントはあると思う。
●地方都市では今後も人口減少が進む。いつまでも今のバンドメンバーがいると思ってはいけない。気を使わなければいけないけれども、常に新人歓迎の看板を出しておくと言うのは大事なことはじゃないかと思う。
●目標は必要だ。レベルはまだまだでも、次の出場予定を作る必要がある。本番があれば必ず得るものはあるし、メンバーの密度も上がる。
●特定のメンバーだけが楽しい集まりにしてはならない。各人が目立つフィーチャー曲などを割り振って、個々人の目標も作っておく。ジャズにはその余地がある。
●ミュージシャンは基本デリケートだ。好き放題言うことも大事だが、最終的には気を遣い合わないと時々それが原因で人を失う。
●リズムセクションを厚めに。いまだ実現していないが。。

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