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いつの写真か分からないだと? 90年代キューバの旅 その1

ふと、CDに昔のキューバの写真があるのを思い出した。引越しの度ごとに写真を整理していき、10年ほど前にとうとうフィルムをすべて捨てることにしたのだ。海外旅行の写真は捨てるに名残惜しく、当時フィルムをデータ化する機材を借りて、1コマ1コマ撮影していった(単に写真屋さんにデータ化を頼む費用をケチっただけかと思う)。改めて見ると、データ化する際にほこりがついたり、ピントが甘かったりしてひどく残念だ。私あまり写真はうまくなかったと思うが、当時のニコンの一眼レフ、実際は結構シャープに撮影できていたはずだ。

キューバへの旅

サラリーマンになってから、90年代、数年に一度、日本を出たくなり、独身男性のいいところか、フラっと海外旅行にでかけていた。ベトナム、インドネシア、キューバ・・。学生時代から続けていた単身旅行は、たぶんキューバで最後になったのではないか。
アジア、中東などを旅した経験があったものの、中米は初めての旅、なかなか鮮烈な印象があり、今でも再訪したい国の一つだ。
写真を撮影する時に気を遣う国、遣わない国があるのは、海外に行ったことのある人なら分かるだろう。キューバは全く気を遣わない国だった。とにかく動画を見てほしい。
実は正確に何年のことなのか思い出せない。恐らく私は25歳くらい、つまり30年前くらいだと思う。写真に出てくる、子供たちはとっくに成人し、私と同年代の若者たちは、いいおじさん、おばさんになっているのだろう。もう手元に写真がないけれども、フィルムがあれば皆さんに写真を送りたいと今でも思う。当時、私はカメラマンぶってすべて写真は白黒で撮影している。キューバなら、カラーで鮮やかな写真を撮ればいいものを、、、。

熱気、サルサ、経済制裁

私のキューバ体験を単語で語れと言われればこの3つだ。
暑い、とにかく暑い。社会主義の国で観光客はあまり自由がなく、比較的よいホテルに泊まらざるを得なかった私は、旅の途中で安い宿を求めて、いわゆる又貸しの一般人の家に泊まったことがあるのだが、クーラーのない部屋は全く夜気温が下がらず、結局一睡もできずに私は、朝5時ごろかくらいハバナの街を歩き、もとの高級ホテルに戻ったことがある。
そして、とにかくサルサで踊る日々だ。食事の後、街中のイベント、学校の文化祭、そして夜の楽しみも、結局踊りだ。キューバで踊れない者とは、まあ挨拶がきちんとできない情けないやつと言っていい。私は踊れないから、とにかく恥をかきどおしだった。
最後の経済制裁。現在は米国とも国交を回復したが、当時は経済制裁を科され、ガソリン、肉などがなかった。動画にあるよう、車もほとんど走っていないし、レストランがほとんどない。観光客として生きるのはなかなか大変で、ホテルで朝飯を食べて、外に観光に出ると、1日戻ってくるまで食べるものがない、という日があったと思う。闇レストランに入れてもらってランチを食べたらサイコロステーキが固くて食べられなかった。キューバから帰国して、5~7kgほど減量していた記憶がある。

もう少々写真があるから、また整理してみたい。

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