「社会的なものを組み直す」アクターネットワーク理論入門、読了しました。

「社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門」を”なんとか”読了しました。

勢いで読み切った部分もあるので、理解できていないことも多いかと思いですが、今後の議論のためにnoteに残しておきます。
このnoteだけでは、議論が十分にできないので、本を片手に議論できる人がいると嬉しいです。


感想

読了後の感想は、「アクターネットワーク理論に、(勝手に)期待していた内容は得られなかった。しかし、ちがった大きな視座を得ることができたので、総じて読んでよかった。」です。

ラトゥールの独特の言い回しや、例やメタファーの多さで難解な部分も多かったり、訳者の方もあとがきに書いている通り、通読しないとわからない内容もかなり多かったので、ゆっくり読むより、一気に読んでしまう方が良いなと思いました。
あと、P.199で、「アクターネットワーク理論とよばれるものの誕生の地にたどり着いた。」と言われた時には、絶望感が半端なかったです。


アクターネットワーク理論への勘違い

今回、この本を手にしたのは、大学院のゼミで、アクターネットワーク理論について、書かれている日本の論文をいくつか読んでいたという経緯があったからである。

いくつかの「アクターネットワーク」が取り上げられている日本の論文を読んでいたが、僕自身が大きな勘違いをしていたことがわかった。名前の通り、「アクターがエージェンシーをもつことで、ネットワーク化されていること」だと思ってしまっていたのである。いわゆるステークホルダーマップのような形で、アクター同士をつなぎ、影響について記述することを期待していた。アクター同士の影響を見る図が書ければ、”ものづくり”や”デザイン実践”での介入の様子を「経時的」に記述していくことができると思っていた。

アクターネットワーク理論においては、経時的な記録という役割は果たすことは難しく、スナップショットのように切り取った「瞬間」を切り取って捉えることが求められる。”第二に相互作用は決して共時的ではない。(P.384)”というところからもいえるだろう。ただ、痕跡が残っている歴史的な出来事など、存在していることは主体として取り扱うことができる(P.417)ので、エージェンシーに影響を与えている主体として捉えることはできそうである。

このことから、もう一つの勘違いも発覚した。アクターを人だけではなく、「実体のある物」を擬人的に取り扱うことでエージェンシーを記述できることがメリットであると考えていたことである。

本書を読み進めると、擬人的に事物を取り扱う話は一部あげられているが、それだけではなく「痕跡が残っていること」自体を主体として取り扱う。先述の通り、歴史的な出来事もエージェンシーに影響する痕跡として残っているので、実体のある事物ではないが、主体として振舞うことができる「媒介子の連関、または中間項」といえるであろう。
※媒介子、中間項の話は、本を読んでください。

ちなみに、最後まで読み進めても、アクターネットワークにおけるネットワーク図を書くための、メソドロジーは提示されない。この議論は、第一部の最後の方の対話形式の幕間劇で書かれている。


アクターネットワークとかけて、中動態と解く

アクターネットワーク理論とはなにか、については本を読んでもらうのが良いと思うので割愛する。ネットワーク図を書くことはできないが、タイトルの通りの「社会的なもの」を組み直すことには、利用していけそうだと感じた。

図の書き方というより、社会学的認知における既成概念(グルーピングやヒエラルキーなど)の分解の仕方がはじめに書かれている。分解した後の、「移送装置による転置」が起こりうるところにエージェンシーの流れを発見し、その対象としてアクター/アクタントが存在するということを認識することができる。このエージェンシーの流れには、少なくとも導管はあるが、そこから染み出すように影響することも考えていかなければいけない。

この本においては、これらのことを取り扱うためには「インフラ言語」が必要と書かれているが、インフラ言語を取り扱うにしても、ネットワークで取り上げられる領域の専門家である必要があるのではないかと思いつつ、ただ多面的に見なければ「ローカル」な記述はできないため、アクターとして登録する際の言葉選びは難しそうである(そういった状況に陥らないように媒介子の連関という考えがあるのか)。
いずれにしても、こういった言葉の取り扱いもオントロジー的であり、僕自身は追求することはすごくワクワクする。

やや複雑な分析を繰り返すことで、記述が難しかったことについて記述することができることから、本を通読して「中動態」的な事象を記述することができるのではないかと思った。能動的ではなく、受動的でもないが、何かに影響をうけていること。アクターネットワークでいうと、エージェンシー的なものである。

さらには、「バタフライ効果」のような一件関係のないような事象がカオス的に広がっていくようなことにおいても、分析していくこともできるのではないか(かなりの根気と多くの労力が必要だが)。

アクターネットワークにおいては、痕跡が残っている主体となりうるものの、影響力の大小はあれど、主体として捉えられるものは、あくまでフラットに取り扱われることが、この意味ではすごく面白い。

※中動態に関してはこちらを。


アクターネットワーク図は、どうあるべきか?

さて、やはり議論を推し進めていく中で、図示していくことが求められていくかとは思う。この本を読む前は、立体的に多くのものが絡み合っているというイメージではあったが、「パノラマ」「中心はない」「範囲は決まっていないが、ズームはできる」という記述もあったため、平面で方向性を持ちつつ互いに影響し合うということを示す必要がある。

これらのことを総括し、あり方を思い浮かべた時に、脇田玲先生の「Scalar Fields」が真っ先に考えられた。靴のソールのまわりの圧力伝播を物理シミュレーション可視化した作品である。

アクターネットワークにおいても、各地点での緩やかな影響が互いに影響しながら、媒介子の連関をエージェンシーの流れとして示すことができるのではないか。さらに、アクターネットワーク図は、もしかしたらこの作品のように美しい影響の絵姿として存在する可能性もあるのではないかと思った。


おわりに

アクターネットワーク理論入門を読んで考えたことなど記述したら、とりとめもなく、ついつい長くなってしまいました。他にも議論したいことはいっぱいあるので、本を読んだ方、是非ディスカッションしましょう!!

「ケアの意図」をアクターネットワーク的に議論することは可能なのではないかと思ったので、この辺に興味がある人、知見がある人は是非議論させてください!

他にも、上述のような美しいアクターネットワーク図の開発とかは、面白そうだなーと思ってるので、気が向いたらプロトタイプでもつくてみようかと思っています。こちらも興味ある人がいたら、ディスカッションしましょう。


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吉岡 純希
病院にデジタルアートを届けたり、3Dプリンタを使ってケアの現場を支える実践や研究をしています。 Digital Hospital Art / FAB Nurse/ vvvv Japan Community