Junko Yamada

北方領土と呼ばれているところ、歯舞群島志発島の元島民三世です。元島民のポートレイトを撮影しています。

Junko Yamada

北方領土と呼ばれているところ、歯舞群島志発島の元島民三世です。元島民のポートレイトを撮影しています。

最近の記事

札幌での個展

2023年2月3日から2月8日まで富士フィルムフォトサロン札幌で写真展「島々の記憶」を開催しました。 この写真展は私の中では北海道に住んでいる元島民の皆さんに見てほしいという想いで開催したものになりますが、釧路から親戚が来てくれたり、羅臼からも撮影させていただいた元島民の方が来てくださったり本当に嬉しかったです。 今、北方領土は本当に遠くなっています。 足を踏み入れることができぬまま、数年過ぎ去りました。 戦争は過去のことなのかもしれないけれど、まだ解決していない現実が

    • 島々の記憶

      2021年2月に開催した写真展。 2021年1月に大阪の心斎橋にある写真ギャラリーソラリスさんで展示をして、その続きとなる写真展を2月に開催したので私としてはものすごく慌ただしい日々だった。メインタイトルを「島々の記憶」としている。 2020年2月に東京、2021年1月に大阪で展示した写真展のサブタイトルは「色丹・国後・歯舞・択捉 近くて遠い故郷 私の血が繋ぐものがたり」としている。 2019年に初めて訪問した色丹島の写真なども含まれていて、元島民や色丹島で出会った人々

      • 50年という月日

        とある作家の写真集を探す。1970年代より活躍する作家の初期の著作がほしいと思ったからだ。しかしその作家の初期の著作はほとんどがすでに絶版となっていた。この世の中で永遠ということはない。いつか廃れる、あるいはいつか伝説になるかもしれない。ただ、伝説になるということは困難なことであり、やはり廃れる方が圧倒的に多いということは事実だと思う。ただ、昔の作品を蘇らせることもできる。 私自身が蘇らせるのは祖父の俳句。 高野素十先生、倉田紘文先生を師として昭和20年代より創作した俳句

        • 島々の記憶

          2021年2月、自身3回目となる写真展「島々の記憶 色丹・国後・歯舞・択捉 原風景を巡る旅」を開催。 今回の写真展開催にあたり、現在、NHKウラジオストク支局に赴任されている高塚奈緒記者の国内での最後の取材を受けた。「私が撮る理由」を高塚さんの取材を受けながらずっと考えていた。2020年2月の個展からちょうど一年の時間が経過して、たまたま開催日時が重なったわけだけど常々、いつまでこの取材を私ができるのかを考えている。きっとそう遠くないうちに誰一人としていなくなる。その事実は

          75年という月日

          間もなく75年を迎える。 此処から春に島へ向かい、秋に戻ってきた人々。 それが普通の日常だった。 島に大事なものを置いてきた人々。 すぐに戻ることができると思っていた人々にとって75年という年月はあまりにも長く、島に帰りたいと願った人々の多くが亡くなった。 時間というものは無限ではない。 私たち人間にとっての時間は長くて100年あるかというところだろう。 ごくごく単純な帰りたいという願いも自由に行き来したいという願いも叶えられることはないまま、この日を生きる。 生きること

          75年という月日

          近くて遠い島

          2019年秋、私は北方四島の元島民の撮影をするため釧路からバスに乗り、中標津経由で羅臼に向かった。 バスは中標津までは一部住宅街を走り、そして中標津を過ぎて少しした頃から海岸沿いを走る。 この日は本当に天気が良く、海の向こうに島影が見えた。 その島の名は国後島。 私は2019年6月に色丹島を訪問したが入域手続きは国後島の古釜布で行う。 厳密に言えば古釜布側からはしけに乗ったロシアの軍人が私たちの乗る船にやって来る。 そして一人一人、顔写真と名前の照合がされて入域手続は終わる。

          近くて遠い島

          祖母のこと

          私は祖母に会ったことはない。 父が12歳の時に癌で亡くなったらしい。 最期は自宅で看取ったと聞いている。 それから20年後くらいに私は生まれた。 だから本当の祖母がどんな人だったのか、私は知らない。 ただ、父は祖母のことを話す時、必ず釧路のことを話す。 父にとって釧路は祖母との思い出の地で祖父に着いて仕事をしに行っていた街だ。 今、私は父が祖父に似てきていると思う。 本当に私の知っている祖父によく似ている。 幼い頃に母を亡くした父が抱えてきた想い。 そしてそれに重なるで

          祖母のこと

          「北方領土」という現実

          戦前、日本人が住んでいて今はロシア人が住んでいる島々がある。 社会科の教科書では「北方領土」と言われるところで「北方四島」と表現される。 北方領土の島の名前は? というような試験問題が出たことがあるように記憶している。 択捉、色丹、国後、歯舞群島。 そして私の祖父がいた島は志発島という名前の島だ。 「志発島ってなに?」 それは誰もが思うこと。 歯舞群島のひとつ、群島の中で一番大きな島が志発島だ。 そしてその島には私もまだ行ったことはない。 根室納沙布岬より臨む海の向こう

          「北方領土」という現実

          記憶を辿る旅

          祖母だと思っていた人が祖母ではなかったと知った時から私は自分の血筋というものを考えるようになった。 私の祖母はどんな人だったのだろう? 父が12歳のときに亡くなった。 父自身も母親と過ごした記憶はあまりないという。 祖父と祖母は夏の間は出稼ぎで釧路へ働きに出ていた。 故に私の父親の記憶の中の母親との思い出は釧路にある。 母親が元気だった頃の楽しい記憶。 父にとって釧路が思い出の土地。 幣舞橋から車を走らせて少し坂を上ったところ、今は駐車場になっているところ、それが祖父がいた番

          記憶を辿る旅