信州の母さん
信州の母さんです。千曲川のほとりで、介護を終え、子育て、執筆しながら、日々の思いをつぶやきます。
信州の母さん、50代に入って始めたブログをご案内します。母さんの本音です。
母さんの父さんが逝きました。 この世を去る時、横にいられなくてごめんね。 心から信じてくれて、 心から愛してくれて、 ありがとう。
父を亡くしたら、 自分が蟻のように小さくなった。 父に育てられ、守られていたからこそ、自分を信じられた。 一人前になった気がしてた。 でも、本当は、小さな小さな自分がここにいる。 人を包む。 そんな人になるには、あと何年かかるんだろうか。 無理かもしれないな。
信州の母さんです。 名もない草 花を見付けても、 誰にも気づかれない。 それでいい。 そこに生きている。 それだけで愛おしい。
信州の母さんです。 真新しい葉が生まれ、 腕を伸ばし、 夏の日差しを浴びる 燃えるような秋を待ち 雪に身を任せる 実は植物には、 春がもっとも厳しい時 そんな気がする母さんです。
信州の母さんです。 幸せはきっと訪れる。 そう信じて生きてきた母さん。 目の前の小さな幸せに、 ようやく、気付けるようになりました。 世界中の女性に、 この写真を送りたい。
信州の母さんです。 実家の庭に福寿草が咲いた。 92歳になり目の見えない父に、 咲いたよって告げる朝。 この時が、永遠に続いたらいいのに。
信州の母さんです。 人も猫も犬も、 皆、道を歩く。 数分前に、確実に、 そこに存在していた。 孤独じゃない。 そんな気がした母さんです。
信州の母さんです。 冬の到来を目撃する。 あと何回立ち会えるのか。 人が生まれ去っても、 季節は続いて行く。 何千年も、何万年も。
信州の母さんです。 人生の黄昏のとき、 さあ、どう生きようか。 ちょっぴり不安な 母さんです。
信州の母さんです。 この紅葉はいつから 道ゆく人々を見つめていたのか。 歓声の中で、 戦った陸上競技場に、 半世紀の時を経て、 訪れた母さんです。
錆びたトタンに、 無造作に咲くひまわり。 昭和の暑い夏、 タニシを捕まえて、 泥だらけになったあの日。 両親が年老いるなんて 想像出来なかった。 未来が眩しかった。
信州の母さんです。 灰色のコンクリート ひとひらの落ち葉 雨が鮮やかさを、 際立たせる。 神社の前は、 自然のスケッチブック
信州の母さんです 窓から見える朝日、 この景色に、 何度励まされただろう ここでの人生に 学ぶことあれど、 悔いはなし。
信州の母さんです 広大なブドウ畑。 ブルゴーニュの空 独り巡ったあの日 怖いものはなかった 未来が明るく見えた 30年の時を経て、 我が故郷に広がる 同じ景色が眩し過ぎる 母さんです。
信州の母さんです。 なぜだろう。 複数の花が咲くと、 楽しい気持ちになる。 一輪は儚く美しいけど、 共に生まれ、共に歩み、 共に咲き、共に枯れる。 仲間と強く美しく生きたいな。
信州の母さんです。 1万年の間、人はこの地で、 怒りや欲という感情とどう向き合ったのか。 その代わりに疑問や感動をアートに重ねてきた。 ものをつくることは、自然や神、そして 自分自身との対話だったのかもしれない。