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『富士山ブック2024』東北の高校生の富士登山・取材インタビュー2019年参加:美山 遥さん第2弾

2024年5月に山と渓谷社から刊行されました『富士山ブック2024』にて、「東北の高校生の富士登山」についてのご紹介いただきました。その中で過去参加者へのインタビュー取材を実施いただきました。今回は2019年に参加した美山 遥さんのインタビューを2回に分けてご紹介します。

『富士山ブック2024』(山と渓谷社)

インタビュー:美山 遥さん
国際教養大学/マールブルク大学・4年生 22歳 / 東北の高校生の富士登山2019参加)

インタビュアー:谷山宏典氏(執筆・編集)/佐々木 亨氏(山と渓谷社編集部)

東北の高校生の富士登山2019(富士山頂上・六合目)

谷山宏典氏(以下、敬称省略)
:富士登山の申込みをして、説明会などに参加しながら、徐々に当日が近づいてくる中で、どんなことを考えたり、感じたりされていましたか?「(自分は)日本一高い山に登れるかな?」という不安感? それとも旅行に行く延長のような、すごくワクワクした気持ちでしたか?

美山遥氏(以下、敬称省略)
:高校1年のときに登ったのが岩手山で、行く前にはハードルが高い山だと聞いていたのですが、余裕を持って登れたので、登山に対する不安はありませんでした。それにバスケ部で、体力面にはそれなりに自信があったので、どちらかといえば修学旅行に近いワクワク感だった気がします。

谷山:富士登山について事前に調べたりはしましたか?

美山:特に調べずに行きました。

谷山:実際に富士山に登る中で、思い出に残っていることや、印象に残っていることはありますか?

美山:山の中では、登りながら日の出を見たので、所々で写真を撮ったのを覚えています。体力的にはそれほどつらくなく、友達とキャーキャー言いながら登頂したのも覚えていますし、頂上で迎えてくださった方とハイタッチしたのも記憶に残っています。山頂からは友達に電話をかけたりもしました。うちの高校には応援団があるので、応援団の声出しみたいなのを頂上でやったりもして、とにかく登りは楽しかったですね。でも帰りにすごく頭が痛かったのも覚えています。

谷山:下りで体への負荷がかからなくなって、呼吸数が落ちてしまったのかもしれないですね。頭の痛みはひどかったのですか?

美山:かなり痛くて、必死に下りました。友達も頭が痛かったみたいで、登りは2人で話しながら登ったのですが、下りは無心でおりました。

谷山:お話をうかがっていると、すごく楽しかったということが伝わってきますが、中でも一番楽しかったことを教えてください。
美山:グループに1人、同い年か、1つ下のすごく元気な子がいて。その子がずっと元気に登ってくれて、グループの雰囲気もすごく良かったので、みんなで楽しくしゃべったり、歌ったりしながら登っていました。それが一番ですかね。

谷山:いまどきの高校生は、山を登りながら、どんなことを話しているのですか?

美山:女の子同士が普通に話すようなことをずっとしゃべっていた気がします。何を話していたのかも思い出せないくらい、ずっと話し続けていました。

谷山:話し続けていたことが、高山病予防にもよかったのかもしれないですね。会話すると自然と呼吸をするので。

谷山:「高校生だと大人と接する機会があまりない」という話もある中で、田部井進也さんは「この富士登山を通じて、本気の大人の姿を高校生たちに見せたい!」ということもおっしゃっていました。美山さんから見て、自分たちと一緒に登ったガイドの方たちやプロジェクトリーダーの進也さん、そのほかの大人たちの姿に対してどんな印象を持ちましたか?

美山:実はそれが富士登山のあとに田部井さんに連絡した一番の理由だったのです! 大人の方々の雰囲気がものすごく良くて、めちゃくちゃ居心地の良かった3日間を過ごした中で、皆さんの仲が良いのも伝わってきたし、楽しそうに計画して私たちを巻き込んでくださっているのも感じました。何より本気で私たち全員を富士山に登頂させたいという気持ちを持ってくれていることを、高校生ながらに感じていました。日ごろの生活では大人の方と接する機会が少なくて、身のまわりにいるのは先生や親ぐらいなので「こんなに何かに情熱を持って楽しんでいる大人たちがいるんだな!」と、それに感動して田部井進也さんに連絡しました。

谷山:美山さんから連絡をもらって、田部井さんも嬉しかったでしょうね。長文のメールを送られたそうですが、どんな内容だったか少し教えていただけますか?

美山:メールの半分ぐらいは、富士登山で出会った大人の方々の印象でした。私が通っていた高校はちょっとかための学校で、自分がイメージしていた大人像もかなりかためだったのです。でも、東北の高校生の富士登山に参加して、そこで出会った大人の方々が本当に楽しそうで、でも私たちを富士山に登らせる!という本気も感じて、そんな姿を見て感激したし、自分もこんな大人になりたいと思いました。ということを伝えました。
もう1つは、以前の私は東北の高校生という意識があまりなかったのですが、行きのバスの中で田部井さんから「3000円で富士山に行けるのはどうしてか?」という話をしていただいて、東北を人任せにしちゃいけないかもしれないと思うようになりました。ということを書きました。あとは、自分の高校からも仙台からも、もっとたくさんの後輩たちが参加してくれるといいなと思っています。という内容だったと思います。

谷山:美山さんが参加したのは2019年で、震災から8年経っています。美山さんご自身は自分が被災者であるということはあまり感じていなかったのですか?
美山:そうですね。高校の同級生同士でいると自分たちが被災者だという感覚はあまりなかったのですが、この富士登山を通じて他県で被災した同世代の子たちと接したり、大学に入って被災した経験に興味を持たれたりするようになってから、自分でも「東北」ということを意識するようになってきました。

谷山:東北の高校生の富士登山に参加してよかったこと、登山を通じて得られたものを教えてください。

美山:1つはやっぱり、(富士登山の大人の方々のような)あんな大人もいると気付けたことは大きかったですね。自分もやりがいを持って、何かに取り組めるようになれたらいいなと思うようになりましたから。もう1つは、震災からの復興や、東北の若者であることに意識が向くようになったのは自分としてはすごく大きく、小さい頃からの憧れだった国際教養大学が東北にある意味についても考えるようになりました。大学では震災復興のサポートや研究をするサークルに入ったのですが、それも東北にいなければできなかったことだったので。「東北で生まれ育った自分」というアイデンティティをちゃんと持てるようになった気がします。

谷山:国際教養大学には元々憧れていたけれど、そこに入る意義や目的が、東北の高校生の富士登山に参加して明確になったということでしょうか。実際、東北の若者であるという意識を持って憧れの国際教養大学に入ったわけですが、どんなことをやってみようという具体的なイメージはありましたか?

美山:先ほどもお話したように、震災復興サポーターという震災復興に関わるサークルに入って、2年生のときにはサークルの運営にも携わっていました。大学が東北にあるという立地を生かしつつ、国際的なアプローチができたらいいなということを思っていたので、サークルでは例えば、海外の人が被災したときにどうやって助けてあげられるかなど、大学が東北にある意味を考えながら活動していました。国際教養大学は秋田県内からの入学者は多くいますが、被災した地域から来ている人は割合が少なく、さらに全都道府県から学生が集まっていることもあって、震災を直に経験している自分というアイデンティティを強く意識しました。サークル内や授業などで自分の経験を話すとほかの人たちがすごく興味を持ってくれたので、日本人だけではなく、ほかの国の人たちにも震災のことを伝える活動をしていました。

谷山:美山さんが人々の生活や文化、社会学に興味を抱いた根っこをたどっていくと、やはり「東北」というキーワードとつながっていきますか?

美山:そう思います。東北で過ごしていると、人と人とがつながることをみんなすごく大事にしているし、復興が進んでいく中でも、理論とか数字とかだけでなく、人の情とか関わりを大切にしているなと感じることがよくあります。そういうことを学問として考えていくにはやっぱり社会学がいいのかなと思いますし、東北での暮らしや人々の営みとか、そういうものに対する興味が心の奥底にあったことが、社会学につながっていったのだと思います。

谷山:東北の高校生の富士登山の経験が、今の美山さんにしっかりと生かされているのですね。

美山:そうですね。自分が育ってきた東北を大事にできるパッションのある大人になりたいという気持ちは、間違いなく富士登山の経験から来ていると思います。また、登山自体を振り返ると、私は体力的には自信がありましたが、精神的には楽だったわけではないのです。下からは見えない山頂というゴールに向かって、ゆっくりちょっとずつ登っていくという経験を、高校生だった自分はしたことがありませんでした。でも今この年齢になってみると、世の中ってそういうことばっかりで、何か見えないものに向かってちょっとずつ頑張らなきゃいけないことがいっぱいあるってことがわかってきて、実際、大学に入ってからもいっぱい壁にぶつかってきました。でも、壁にぶつかっても進み続けたら達成できたし、常に「自分ならできる!」という前向きな気持ちを持てているのも、富士登山を経験したからだと思います。高校生のときには気付けなかったのですが、最近になって、ゆっくりちょっとずつ登る経験が富士山登山の大事なことだったのかもしれないと思うようになりました。

谷山:富士山ってひたすら登る単調な行程だし、山が大きくてどれだけ登ってもなかなか頂上が近づいてこないので、精神的にはつらいかもしれないですね。田部井進也さんは「あともう少しだからって、高校生たちに何度も何度も言って励ましている」とおっしゃっていました。

美山:たしかに「もうすぐ着くから」と何度も言われたのは覚えています。私は登山ルートのことを調べていかなかったので自分がどのあたりにいるのかもわからなくて、進也さんの言葉だけを信じて頑張っていたのですが、登っても登っても頂上に着かなくて。なかなか着かないから、「もうすぐって言ったのに全然着かないじゃないですか!」と何度も聞いた記憶はあります(笑)。

谷山:富士登山を通じて将来につながる気付きや出会いがあっただけではなく、登山自体もすごく楽しかったということが伝わってきました。

事務局:本日は貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。

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