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『富士山ブック2024』東北の高校生の富士登山・取材インタビュー2014年参加:岡部広和さん

2024年5月に山と渓谷社から刊行されました『富士山ブック2024』にて、「東北の高校生の富士登山」についてのご紹介いただきました。その中で過去参加者へのインタビュー取材を実施いただきました。今回は2014年に参加した岡部広和さんのインタビューをご紹介します。


『富士山ブック2024』(山と渓谷社)

インタビュー:岡部広和さん
会社員27歳 / 東北の高校生の富士登山2014参加)

インタビュアー:谷山宏典氏(執筆・編集)/佐々木 亨氏(山と渓谷社編集部)

東北の高校生の富士登山2014(富士山頂上にて)

谷山宏典氏(以下、敬称省略):
富士山の話に入る前に、岡部さんの人となりを聞かせてください。今は、仙台でお勤めされているとのことですが、どのようなお仕事をされていますか?

岡部広和氏(以下、敬称省略):
はい。業種は、建設コンサルタントになります。具体的には、役所や民間企業から、土木構造物の設計や調査の依頼委託を受け、実際に設計したり、調査に入る仕事です。
その中でも私は、「砂を防ぐ」と書く砂防関連を主に担当しており、砂防堰堤や土石流の対策、道路や住宅に接している法面の点検や設計を行っています。あとは、地質調査の手伝いなどの仕事をしております。

谷山:大学の専攻も建設系だったのですか?

岡部:系統としては、工学部の建設系に行ったのですが、経緯が特殊なところがありまして。中学校を卒業した後、普通高校ではなく高専に行きました。その後、高専から大学に編入し大学院を卒業してから、今の会社に就職しました。
高専に行ったきっかけからお話ししますと、東日本大震災の時、中学2年生でした。生まれは宮城の沿岸部で、育ちは仙台なのですが、震災のあとに生まれた町を見て、これは復興の勉強をしなきゃダメだなと思いました。津波の被害を見た時には、これからはハードじゃなくて、ソフトの時代になるのだろうなと子どもながらに感じて、高専で都市計画の分野があるから面白そうだと思ったのが、高専に行ったきっかけでした。
でも実際に行ってみたら、自分が想像していたこととは全然違っていました。復興時の人の関わりを見たいなということで、そういう勉強ができる大学院に行って、実際に被災地に入って、いろいろな被災者の人と関わらせてもらいました。実際に研究などでも関わると、これで食べていくのは難しいだろうなということを学生ながらに感じてしまい、それで建設分野で働こうと思うようになりました。建設分野の就職先の中で自分に向いているのはどこかな?と考えた時に、工事現場で実際にものを作れる設計をやってみたいなと思ったので、コンサルタントに入りました。
さっき言った砂防堰堤は山の中に作るじゃないですか。おそらく会社的に、こいつずっと登山をやっているから、この分野をやらせても大丈夫そうだなという理由で、配属されたのだと思います。

谷山:会社からそう見られるということは、高校生のときの富士山だけじゃなくて、山登りはずっと続けていたのですか?

岡部:東北の高校生の富士登山に参加したのは高校生の3年時だったのですが、高1からワンダーフォーゲル部に入っていたので、この時点で東北の1000メートル2000メートルくらいの山には、年に数回行く機会があった上で参加しました。富士山に登ってからは、ちょっと遠くの山もいいなとも思いはじめました。そこで日本百名山というものがあるのを知って、そこから百名山はライフワークみたいに登り続けているんです。

谷山:百名山は登り切ったのですか?

岡部:あと3つ残っています。南アルプスの光岳(てかりだけ)と聖岳(ひじりだけ)、あと北アルプスの鹿島槍ヶ岳(かしまやりがだけ)です。

谷山:鹿島槍ヶ岳が残っているのは意外ですね。

岡部:よく言われるんですよ。

谷山:鹿島槍ヶ岳って麓からも近いし、行きやすいじゃないですか!光岳、聖岳はちょっと行きづらいですよね。でも、97登っているってスゴイですね!

岡部:そればっかりやってきたので!

谷山:山登りも続けていらっしゃって、震災をきっかけにした復興や、都市計画に関しての勉強も、ちょっと蛇行はしながらも今の建設系のお仕事につながっているわけですね。

岡部:そうですね、今のところは。

谷山:ちなみに被災された生まれ故郷の沿岸部の町ってどちらなんですか?

岡部:生まれは七ヶ浜町という、仙台の隣の隣ぐらいの町です。3歳ぐらいまでそっちにいて、後は大学で新潟に行くまではほとんど仙台にいました。
3歳で離れたのですが、近所の人はまだ残っていたので、たまに遊びには行っていました。震災後に訪れた際、小学生の時に見ていた景色が全然違うものになっていて……。すごくびっくりしてしまって……。

谷山:震災以前の風景を知っているからこそ、ショックも大きかったんでしょうね。それは体験していない人間にはなかなか言葉にできないというか……、やはりそこで暮らしていた当事者だからこその思いがありますよね。
それでは、富士山登山のお話に入らせていただきたいと思います。
高校1年生のときからワンダーフォーゲル部に入っていたということは、山登りや自然の中で何かをやることは、もともとお好きだったということですか?

岡部:山に登るようになったのはワンダーフォーゲル部に入ってからなのですが、今では本当に山にどっぷり浸かっていて、そればっかりをやっているような感じです。入ったきっかけは、単純に仲の良かった友達がワンダーフォーゲル部に先に入っていて、部員が少なくて廃部になりそうな時に、「お前、体力ありそうだな?」みたいな感じで誘われたのがスタートでした。

谷山:面白いですね。もし、その友達から誘われることがなければ……。

岡部:山は絶対やってなかったですね。

谷山:その友達とは今でも仲が良かったりするのですか?

岡部:その子は青森に住んでいて、結婚して子どもも生まれて、一緒に登山に行く機会は減っていますが、連絡はとっています。その引き込んでくれた子以外でワンダーフォーゲル部で一緒だった子とは、今でもバンバン登っています。

谷山:高校1年生でワンゲルに誘われて入って、やっているうちに山登りが楽しくなって、高校3年生の時に東北の高校生の富士登山に参加されたということですが、参加されたきっかけは何だったのですか?

岡部:これもまた友達に誘われたんです。当時って多分、田部井進也さん、淳子さんは、東北の沿岸3県全部に案内を回していたと思うのですが、福島の参加者が多かった頃で、宮城の学校に案内が届くことが少なかったと思います。高専で、たまたま福島から来ている子がいて、その中の仲の良かった写真好きの子から「高校生の富士登山に参加したいけど、登山したことがないから一緒に来てくれないか」という相談をされました。それで自分もこういう企画があることを知って、ワンダーフォーゲル部の仲の良かった子をもう1人誘って、福島の写真好きの子と3人で参加しました。

谷山:それまではワンゲル部で、東北の山を登っていたと思うのですが、東北以外の山やアルプスなどを登る機会はあったのですか?

岡部:親が登山をしていたわけではなかったので、登山は基本的には部活で行く感じでした。自分1人で山に行くのはまだちょっと不安でしたし、部活で登山に行くだけだったので、基本は東北でした。

谷山:じゃあ、富士山が初の東北以外の山だったわけですね。友達に誘われたとき、富士山って山にどんなイメージを持っていらっしゃいましたか?

岡部:東北の山だと、安達太良山だったり、鳥海山だったり、樹林帯メインの山が多くて、独立峰で延々と登り続けるという登山経験はほとんどありませんでした。登山口からの標高差は1500メートルないぐらいだからやれないことはないだろうけど、森林限界以上の登山道を延々と登り続ける経験がなかったので、そこはやってみないとどうなるか分からないなという気はしていました。でも、ちょっといやらしい話になりますが、当時の参加費1000円で富士山に連れて行っていただけるこんな機会は絶対にない!と思いました。本当は夏休み前で授業があったのですが、授業を1回休み、富士山に行きました。

谷山:授業よりも、1000円で行けるし、このチャンスを逃すのはもったいないという勢いで行く感じが若者っぽくていいですね。
森林限界を超えた山を登り続けるご経験がなかったということですが、不安感の方が大きかったのか、それともどんな景色が見れるだろう?とワクワク感の方が大きかったのか?当日まではどんなことを感じていましたか。

岡部:ワクワクの方が大きかったと思います。さっきの話と多少矛盾するかもしれないですが、あまり不安は感じていなかったかもしれないです。

谷山:もう10年前になりますが、富士山を登り、山頂に立って、帰ってくるまでの中で、特に思い出に残っていることはありますか?

岡部:田部井淳子さんの登山のリーダーとしての判断の合理性みたいなものを感じたことをすごく覚えています。ある方に、せっかく田部井さんと登るなら一緒に写真撮ってもらいなよって言われて、休憩の時に「写真撮ってもらえませんか」ってお願いをしたら、「ごめんね。1人撮っちゃうと、みんなと撮らなきゃいけなくなるから」と言われました。当時は100人ぐらい参加していたので、「それをやっちゃうと行程的に困難になるから、ごめんね、それはできないよ」みたいなことを言われました。あくまで登山としての行程全体を見て、みんなをいかに登頂させて、安全に降りるか、みたいな。子ども相手であっても、やるべきことを曲げないリーダー性みたいなところを目の当たりにして、一流の人はそういうところがしっかりしているのだなと思いました。

谷山:私も田部井淳子さんと一度だけ登山をご一緒したことがあります。山の世界で淳子さんは有名人なので、他の登山者から写真を撮ってくださいと言われることが多いのですが、基本的にはOKな人でしたね。だから、お願いされれば、きっと一緒に撮ってあげたい気持ちはあったのでしょうけれども、東北の高校生の富士登山として考えた時に、それをやってしまうと山頂まで登れなくなる可能性が高くなってしまうから、「ごめんね」ということですよね。

岡部:そうだと思います。

谷山:高校生たちを連れて富士山を登ることが、一番の目的だからということですよね。田部井さんって、すごく柔らかな雰囲気の方ですけど、いろんな登山隊を隊長としてまとめてきたご経験を持ってらっしゃるので、リーダーシップもすごいですよね。私の場合は人づてに聞くだけですけど、この隊の目的は何かとか、それを達成するにはどうすればいいかとか、そういうことは常に考えながら行動しておられるのでしょうね。
他に田部井さんからかけられた言葉で印象に残っていることや、富士山という山のこと、一緒に登った人との思い出などはあります?

岡部:僕らのグループはみな元気だったんです。一緒だったのが、宮城から行った3人と、私を誘ってくれたカメラ好きの友人と、郡山北工業高校の陸上部がグループで来ていて、それが1パーティーだったと思います。 みんな体力があって、すごく元気だったのですが、当時は女子も何班かに分かれて参加していて、現場で具合悪くなっちゃう子もいました。そういう子たちに対して、田部井淳子さんが励ます時も、単純に「頑張れ!」ではなく、「 一歩ずつ歩いていけば、絶対山頂に着くよ!」と声掛けを常にされていました。
確かその時から、進也さんは遅れた子について歩いていたと思います。元気に登っていた子たちが先に登頂して降り始める頃に、具合が悪くなって遅れた子はまだ登っているような状況でした。そういう時であっても、ちゃんと無事に山頂を踏ませて、帰って来させていたことが、プロの仕事を見たなって感じがしています。

谷山:2014年は86名参加しているので、それだけの人数がいれば、岡部さんたちのように元気な子たちがもいれば、体力的に強くない子もいるでしょうからね。そんな中で、全員を登らせるということは、一緒に登っているガイドの方たちや、進也さん、淳子さんのリーダーシップがあってのことだと思いますね。
景色はどうでしたか?ワンゲル部で登ってきたのは樹林帯の山が多かった中で、富士山は五合目に着いた時点でほぼ森林限界ぐらいで、ちょっと登った六合目からは森林限界を超えて、あとはひたすら岩のゴロゴロした斜面をジグザグ、ジグザグと登っていくような山だと思いますが、山自体の思い出は?

岡部:当時はまだ、山から太平洋を見たことがなかったと思います。基本いつも奥羽山脈あたりの山に行く部活だったので、富士山で初めて静岡側に太平洋が広がっているのを見て、日本一高いところから見ると格別だなと感じたし、その景色の記憶が強くありますね。

谷山:確かに富士山でしか見られない景色ってありますからね。

岡部:今まで4回富士山に登ったのですが、それは毎回感じていますね。

谷山:4回というのは、その後いつ登られたのですか?

岡部:2回目がおととし、この東北の高校生の富士登山のOBとして参加してくれないかと、進也さんからお誘いいただいた時です。3回目は、山仲間から「友達が富士山に登りたいから、ちょっと手伝ってくれないか」と声掛けがあり、シェルパをやらせていただきました。4回目は、去年の東北の高校生の富士登山にお誘いいただいて参加しました。

谷山:岡部さんのような初期のメンバーが今度はOBとして参加するのは、東北の高校生の富士登山を長く続けてきたからこそだし、すごく象徴的なことだと感じますね。1回目の富士登山のときは、体力的に余裕があったとのことですが、高山病になったりして苦しかったことなどはなかったですか?

岡部:私が行ったときの行程は、1日目に六合目の山小屋に泊まって、2日目に山頂に上がって、五合目まで降りて、青少年自然の家に泊まるプログラムでした。登っているときは元気だったのですが、降りてからのバス移動でめちゃくちゃ頭が痛くなったのを覚えています。

谷山:バス移動で、標高が下がっているのときに痛くなったんですか!?

岡部:前日の山小屋がすし詰め状態で、興奮していたのもあって、あんまり眠れなかったんです。バスまで戻って安心して、頭が痛くなった記憶があります。

谷山:山にいるときはテンションが上がりすぎて、頭が痛くなることすら体が忘れていたののかもしれないですね。

岡部:多分そうだと思います。

谷山:普通、標高が下がれば、高山病の頭痛はないでしょうし、環境的にも楽になるはずだから。登山中に蓄積していた疲労感とかが、バスに乗った瞬間にドッと出たんでしょうか。

岡部:そんな気がします。

谷山:降りてからが大変だったとはいえ、富士登山全般ではメンバーにも恵まれて、すごく楽しかったことが伝わってきました。

岡部:そう言えば、班のガイドにレジェンドの實川さんがいて……。

谷山:確かにレジェンドですね。登る前から、實川さんのことは知っていましたか?

岡部:実は存じ上げていなくて、班で顔合わせしてから、実はあの人ってこんな人だよって聞いて、「すごい人だったんだ!」みたいな感じでした。

谷山:山に登っていなければ、見た目は普通の方ですからね。田部井さんご夫妻だったり、實川さんだったり、そういうレジェンドな方たちと接する機会というのも貴重な経験ですよね。東北の高校生の富士登山に参加して良かったと思うことや、富士登山を通して学べたことや得られたものは、どんなことがありますか?

岡部:直接的なことではないかもしれないですが、なんとなく視野は広がった気がしています。復興のことをやりたいと思って高専に行った時には、本当に七ヶ浜町のことしか考えていませんでした。卒業したら町の役場に務めるかもしれないし、町に関わることで貢献したいなと思っていました。でも、富士登山の時に、福島の子たちとたくさん触れ合ったし、進也さんが福島に対する思いが溢れている人だったので、自分も「もっと東北全体で見なきゃいけないのだろうな」となんとなく感じて、そこで物の見方が少し変わった気がします。

谷山:高校生の時って、「家」と「高校」と「学区内」が世界のほぼすべてになってしまうので、福島の子とか県外の子たちと接する機会ってあまりないですよね。

岡部:初めてだったかもしれないですね。

谷山:最初に進也さんと淳子さんが富士登山の企画を考えた時、2人のルーツは福島ですが、「福島の高校生」ではなく、「東北の高校生」ってしたことにもすごく意味がある気がしますね。もちろんそれぞれに被災地ではありますが、東北でくくったことで、一人一人の参加者に、「我々はやっぱり東北の人間なんだ」っていう、気持ちを芽生えさせることにもつながっているのかもしれない。今の岡部さんの話を聞くと、そう感じます。

岡部:それはあったかもしれないですね。

谷山:とはいえ、「なぜ東北か」みたいな具体的な説明をされたわけではなく、登山中や移動のバスで話をする中でそれぞれの子たちの思いを聞いたり、進也さんの様子なんかを見て、自分の中で自然と視野が広がっていく感じがしたということですかね。

岡部:進也さんや淳子さんが、参加している高校生たちにかける期待みたいなものを感じるところがあって。自分の地元の狭い範囲だけに目を向けるような大人じゃなくて、もっと広く貢献できる大人になってほしい!という思いがあったんだろうなというのが、大人になってから感じたことです。

谷山:それを言語化できるようになったのは、大人になってからなのでしょうけど、高校生なりにそういう雰囲気は感じていたわけですね。

岡部:そういう熱量は感じていました。

谷山:富士登山の経験は、その後に高専から大学へ編入するという自分の進路を決めていくことに影響を与えていると思いますか?

岡部:少なからずあると思います。

谷山:他に、あの時の富士登山の経験が、今のご自身の生活だったり、生き方や考え方にどのような影響を与えていると感じていますか?

岡部:現時点で感じている一番大きなことは、高校生の時に参加したことによって、今OBとして呼んでいただけていることです。富士登山で出会える大人の人たちって、いろいろな業界の一流の人たちなので、みなさんからいただく刺激は本当に何ものにも代えがたいものだと感じています。
OBとして参加した富士登山では、それぞれに経験や技量のある大人の人たちが、高校生たちを山頂にどうにか楽しく連れていく、嫌な思いをしないように連れていく、そういう山への取り組み方を見せていただいています。
今、僕自身も、登山に連れて行って欲しいとお願いされることがありますが、誰かと一緒に山に行くときなどに、富士登山で出会った人たちから学んだことが生かされているかもしれないです。

谷山:一流のガイドの方やスタッフの方の立ち居振る舞いって、やっぱりかっこいいですし、人との接し方において参考になることは多そうですよね。

岡部:それまでは部活の登山しか経験がなく、同じぐらいの技量の仲間でワイワイ登ることしか知らなかったので、 そういう意味では結構衝撃だったかもしれません。

谷山:今OBとして呼んでもらっていて、10年前の富士登山が現在にもつながっているし、そこが岡部さんにとって大きなことなんですね。

岡部:そうですね。それは本当にすごくあります。たぶん進也さんは、僕を高校生に影響を与える側として呼んでくれていると思いますが、実際には僕の方が高校生から刺激をもらうし、ガイドやスタッフの大人の方たちからも刺激をもらいまくるし、ある意味一番勉強させてもらっているかもしれないです。

谷山:上からも下からも両方から影響を受けるという意味では、今が一番刺激を受けているのかもしれないですね。

岡部:10年前よりも今の方が、この企画から刺激をもらっているかもしれないです。

谷山:高校生の時から10年間、岡部さんの中で東北の高校生の富士登山が今も現在進行形で繋がっていていることをすごく感じることができました。
いいお話を伺えたと思います。ありがとうございました。

東北の高校生の富士登山2014(富士宮五合目での解散式)

東北の高校生の富士登

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一般社団法人田部井淳子基金


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