不登校の海㊵ 久しぶりの「ただいま」
2020年5月、新5年生になったばかりの長男が不登校になりました。noteでは長男が9ヶ月かけて学校に復帰するまでの記録を公開しています。
「はじめに」はこちら★
久しぶりの「ただいま」
11月に初めて5年1組の教室に入れるようになったあの日以来、長男はほとんど毎日教室に入れるようになりました。
12月に入ると教室で過ごすことにもずいぶん慣れてきたようで、1時間目から教室に入れるようになったり、休み時間をまたいで2時間以上教室で過ごすこともできるようになりました。
私が会議室で長男を待ちながら過ごす時間も長くなり、待ち時間に読む本もボリュームのあるものになりました。
12月も半ばになると、「みんなと給食を食べてみる」ことにもチャレンジできるようになりました。
10時頃投稿して給食を食べ終わる13時半くらいまで学校で過ごすので、私は一旦帰宅して給食が終わるころ迎えに行くことにしました。
それまではずっと長男と二人で登校して二人で帰宅していたので、長男を学校に残したまま私一人で家に帰ることにものすごく感動したことを覚えています。
小学校から一人で帰るときの解放感と、街路樹の景色は忘れられません。
「教室で何が起こるかわからないから」とあんなに不安がっていたけれど、その教室で過ごすことにも随分慣れてきたようです。
冬休みに入るまで毎日、長男は給食を食べるまでの時間を学校で過ごすことができました。
私は長男を学校に送った後はいったん家に帰り、給食が終わる頃職員室に迎えに行く日々を過ごしました。
冬休み(お正月)は家族でのんびり過ごしました。
コロナ禍だったこともあり、例年は帰省するのですがその年の冬休みはどこにも行かずに。
長男のようなタイプは週末などの休み中に楽しいことがあると、平日との落差が激しくなりすぎて気持ちが不安定になりがちです。不登校期間中の休日はできるだけ家で過ごしていました。
冬休み明け初日はどうかな?と心配していたのですが、渋ることなくいつも通り私と一緒に登校できました。
「良かったぁ」とホッとして家で過ごしていると、家の電話が鳴りました。小学校からです。どきどきしながら電話を取ると、担任のY先生は嬉しそうに話し始めました。
「お母さん、H君は今日終業時間まで過ごしてお友達のO君と帰るそうです。なので、お迎えは必要ありません。お家で待っていてあげてください。」
給食が無かったこともあり、最後までいられそうだと長男も判断したのでしょう。
そして本当に、お友達のO君と二人で下校し、長男は一人で家に帰ってきたのです。
「ただいま」と、子どもが学校から帰ってくる。
そんな当たり前のことが夢のように嬉しくて、思わず万歳三唱、いやいや万歳三十唱くらいしたくなってしまいました。
翌日からは、朝は私と登校するものの、6時間目まで教室で過ごしてお友達と帰ってこれるようになりました。
朝も、職員室まで私が付き添っていたのを、校門まで、学校の途中にある公園まで…と、付添う距離をどんどん短くしていきました。6月に付き添い登校を始めたときと、逆のプロセスです。
この頃になると長男自身も、ゴールが近くなっているのを感じていたようでした。
とても長い間泳いできたけれど、目指していた陸地が目に入ったことで最後の力を振り絞ることができたのでしょう。
いよいよラストスパートです。
→完全登校