#闘病レポ08[膵炎・難治性膵液瘻]術後3カ月間、期待と失望を繰り返して見えたこと
久しぶり更新になってしまいました。時間が経つと、あれほどまで辛く大変な闘病も記憶が薄れてきてしまいます。忘れるという機能はありがたくも、恐ろしいです。
わたしは術後の合併症で退院が長引いてしまったのですが、その原因は「膵炎」と「難治性膵炎瘻」でした。術後1ヶ月から3ヶ月間ほど。今日はその話を書きます。
先生方にも膵炎になるなんて…と驚かれてしまったのですが、膵液には個人差があって、わたしは膵液が多いのか、自分で自分の膵臓を自己消化してしまったようです。8月後半〜9月まで、計3回膵炎になってしまいました。今回もかなりマニアックな膵臓の病気との闘病記です。同じ境遇の方の手に届き、少しでも役に立てれば嬉しく思います。
この出来事からは、不確実性の高いものごとにいかに対峙していくべきか、その姿勢を学べた気がします。期待せず希望を持ち、ただ向き合う、という方法です。
初めての外出。久しぶりの外食が引き金になった。
カテーテル手術の後は順調に回復しました。そして1回目の術後1ヶ月過ぎ、2回目の緊急手術から2週間頃、そろそろ退院をとのこと。そして、回復の結果として、お腹から出る管を短く切断することになりました。術後はお腹から膵液を排出する管(ドレーン)を入れて、バッグに排液をためていたのですが、その管を根元から2cm程度出たあたりでチョキっと切りました。管から液が出るのをバッグではなく、ガーゼで吸わせるという方法です。ついに、点滴棒につけていたバッグとおさらば。どこへ行くのも一緒だと煩わしいので、行動がしやすくなり嬉しかったです。
そして、主治医の先生のおすすめで、退院の準備として外出して歩く訓練をすることにしました。院内を歩く訓練はしていましたが、足腰が弱くなり体力も衰えたためです。しかし、この外出許可後、さらに体調が悪くなってしまいました。
外出当日は朝からそわそわ。ずっとパジャマで過ごしていたので、久しぶりに腕を通すワンピースは照れくさい感じ。違う服に身を包むだけで気分はウキウキしました。管があるのでお腹は服が少し膨れてしまいますが、そんなに目立ちません。主治医の先生のサイン済みの外出許可証を警備に提出、11時頃病院を出発、タクシーで12時頃に行きつけのイタリアンへ。家族と一緒に久しぶりのごはん。それに加えて、味が薄い病院食以外のごはんは最高に美味しかったです。ピザとパスタを食べて満腹でした。自宅に少し立ち寄り、14時頃お腹の膵液を吸うガーゼを交換。(このときはビチョビチョになるくらい液が出ていた)16時頃には病院へ戻りました。
尋常じゃなく胃が痛いという感覚。急性膵炎の発症。
夕方頃から異変を感じ始めます。
17時頃、ツーン・シクシクと胃が痛いのを感じ始めました。
しかし、久しぶりに量を食べすぎたことが恥ずかしいと思い、痛みを我慢。
18時頃、もはや我慢できず看護師さんを呼び、胃痛を訴え痛み止めを飲む。
いつもガーゼがベチョベチョになるくらい出ていた膵液は排出されなくなっていました。なぜだろう。
18時半頃、研修医の先生が見てくれ、レントゲンを撮影。異常なし。痛みで夕飯はいただくことができませんでした。冷や汗。寝返りが打てない痛み。
19時以降〜、先生はもう帰っている時間なので我慢するしかありません。朝9時頃の回診を待つことにしました。痛みで眠っても1時間も眠っていられず、とにかく朝が来るのを待ち、我慢をしていました。
朝9時、先生に胃の痛みを訴えたところ、血液検査。検査の結果、アミラーゼ値という膵炎になると高く出るものが通常の5倍程度に上昇していました。胃が痛いと感じるのは、胃の裏に膵臓があるから。実際に痛いのは膵臓で、膵炎の人は胃痛を訴えるということでした。痛みの特徴は押すと痛いこと(圧痛)。その痛みが徐々にお腹のあらゆる場所に飛び火することです。
通常、術後に膵炎になるケースはほとんどないらしく、先生たちは首を傾げていました。「脂質の多い食事を摂取してしまったのが膵炎を引き起こした原因と思われるが、これまでの経験では発症することは考えられない」ということでした。ことごとく、悪い方のカードを引いてしまいました。膵液が出なかったのは、膵臓の働きが弱まってしまったからでした。
治療方法は、絶食・3リットル/日の点滴を流すこと。
膵炎は膵臓が炎症を起こしてしまっている状態。消化器官を働かせないように絶食し、とにかく大量の点滴を打ち、アミラーゼの濃度を下げる努力をしました。だいたい3日〜5日くらい絶食・点滴生活を送ります。始めの2日間くらいは痛みが強いのでお腹がすく感覚もなくします。3日目以降はお腹が空いて仕方がありませんでした。また、点滴を大量に入れてばい菌を排出するのが大事なようで、1日3リットル以上、生理食塩水と抗生剤の点滴をしていました。口からではありませんが、絶えず水分摂取している状態なので、夜中も2時間ぐらいおきに目が覚めてトイレに行きたくなります。トイレでは毎回お小水の量を測って記録する必要があります。点滴で入れた水分がその分体外に排出されないと腹水のリスクなどがあるからです。これは辛かったですが、自分の膀胱に蓄積できる水分量は検証できました…。
治療中は毎朝の血液検査でアミラーゼ値を確認し、その日の治療方針を決めます。こうして膵炎発症から5日後くらいにお粥のご飯が解禁されました。
膵炎発症以降、入退院を繰り返してしまった。
膵炎発症以降は、退院し自宅で自分で作ったご飯を食べて再度入院する、ということを繰り返していました。1回目の退院は3日後。2回目の退院は翌日、3回目の退院は半日後です。退院してはすぐに入院になるので、悲しくなりました。そして、その膵炎は、おそらく膵液瘻(体内で膵液が漏れ出てしまうこと)が起因していました。膵炎になる→絶食→栄養ない→手術の傷が治らない→ちょっとでも脂質のあるご飯をたべる→体内で膵液がたまる→膵臓が自己消化をはじめる→膵炎になる、というバッドスパイラルに陥ってしまったのです。
病院では膵臓食を食べていました。鶏むね肉、ささみ、タラ等でタンパク質を補い、煮る蒸す、という手法を活用したごはん。大変さっぱりした味で、1日脂肪分30gを制限としているそうです。自宅でいくら気をつけても膵炎になってしまうのを繰り返してしまったので、栄養が計算された病院食はすごいなと思いました。
一方、依然、膵炎になることは先生方も不思議に思われていたようでした。膵臓の切れ端がまだ治っておらず、膵液が排出される管が入っていることが原因なのか、難治性膵液漏という名前の病名がつきました。難治性、、、
苦肉の策。術後2ヶ月、ERCPで膵臓の管にステント挿入。
まだ膵液を排出するお腹の管は入った状態でしたが、膵炎になってしまいました。先生曰く、膵液は排出できるのに膵炎になることは稀とのことで、他に異常がある可能性を鑑みて、ERCPという処置をすることになりました。口から胃カメラより太い物を入れて膵臓まで到達させて、膵臓の管にステントを通す処置です。それと同時にカメラで管の様子を観察します。
膵臓の管の入り口が狭いと、腸に流れるはずの液が膵臓内に逆流するケースがあるそうです。このERCPで入れるステントは2週間ほどで交換が必要で、この処置は3回繰り返しました。
処置は喉の麻酔に加えて、点滴で麻酔と鎮静をかけて、意識がない状態で処置が行われます。手術着に着替えて、頭はシャワーキャップのようなものをつける。うつ伏せでねて、左側を向き、口にキャップをはめる。点滴が染みるが、痛い、、と思うと5秒後くらいには意識はありません。次に目覚めるときは病室で、ストレッチャーで運ばれて病室で目をさましました。その日は1日意識が朦朧とし眠たくて、その眠気をまぎらわせるように、口数を多く、話をしているらしいです。(しかし覚えていない)なお、その日は食事を摂取してはいけません。私の場合、1回目の処置後は2日間ほどじくじくと胃のあたり(おそらく膵臓)が痛んで、痛み止めを6時間ごとに点滴してもらいました。
2回目は処置後に、お腹の管から血が出てきてしてしまい、お腹のガーゼが血に染まり、血がパジャマにまでついてしまうこともありました。処置で傷がついてしまうこともあるようです。
なお、ERCPの結果、管の入り口が狭いなど、ほかに異常があるわけではありませんでした。膵炎や難治性膵液瘻の原因は結局はっきりわからない状態でした。つまり、対処方法が明確にあるわけではなく打つ手なしの状態です。処置が効果がある実感も正直ありませんでした。
絶食を繰り返し、体重の20%、9キロ痩せてガリガリ状態。
膵炎を繰り返したこの期間で、体重がガクンと落ちました。術後1ヶ月で3キロ減のうえに、2ヶ月でさらに6キロ、最終的には9キロ減。顔はこけて、目は窪んで二重の幅が大きくなりました。会社の同期が遊びに来てくれた際に、ガイコツに似ているという話になり、ナイトメアビッフォークリスマスのキャラクターに似ていると笑い飛ばしてくれ大笑い。一時的に美脚になったことだけは嬉しくて、思わず写真をとりました。
術後1ヶ月半経過した時、はじめてシャワーを浴びる機会を得ました。鏡で痩せてしまった自分の身体を見て、愕然としました。首のあたり、肋骨や腰骨がくっくりと見えて理科室のガイコツ模型のよう。魅力的だとは到底言えないガリガリ度合いに大変ショックを受けました。シャワーを浴びる間、15分立っているのも疲れてしまい、体力の衰えを感じました。ほかには、階段を登ろうとすると、お尻の後ろの筋肉がつって、力が出ない。ペットボトルの蓋が開けられない。病院の廊下を往復するのが精一杯でした。歯磨きしながら足踏みしたり、徐々に一歩ずつ体力をつけることを心がけるしかありませんでした。
まとめ
入院中に「病の不確実性」と戦っている、というnoteを書きました。 まさにこの膵炎の繰り返しのことを書いています。治ったと思ったら悪くなるということを繰り返した結果、結果に期待をすることをやめるようにました。病状が悪くなる事実と、努力できることがないことに失望し、ひとり病室で泣いてしまうこともありました。ある人生の大先輩に「早くなおせるように治療をがんばります」とメールしたところ、「人生にはがんばらないほうがいい時もある」と言われました。すると、ただ目の前のことに向き合い、向き合った結果にまた向き合うしかない感覚になっていきました。人生の先輩は、長らく生活困窮者の支援をされてきた方。人生のあらゆる側面を見聞きしている方なので、言葉の重みを感じます。
この経験を通して、困難なことに向き合う時には、「期待はしないが希望を持つ」、「目の前のことに真摯に向き合う」、という2つのことが大事なのかもしれない、と思うようになりました。なかなか気づけないけど、その気づきが大きかったです。