見出し画像

盆踊りとラジオ体操

昨日、小学生の時からのお友達のKちゃんから
LINEが来た。

付き合いは長いが、そんなにべったりとした
付き合いをしているわけではなく、
でも家族ぐるみでお互いを知ってる貴重な友達。

「今日は〇〇(地元名)の夏祭り。
 でも盆踊りもなく、ただのビンゴ大会
 みたいなのになっててつまんねぇ。
 こういうのやりたい。」

って送られてきたのが、クックロビン音頭で
盆踊りしてる映像。
少し前に、Xで話題になってたやつやねんけど、
クックロビン音頭、めちゃくちゃ懐かしくて
私もそのポストを目にしたとき、
Kちゃんのことを思い出してたから
笑ってしまった。

私たちは、パタリロ!リアルタイム世代で
休み時間に、アニメの感想を語り合い、
クックロビン音頭を踊り、
Kちゃんは、私のことを「プララ」と呼んでいた。
(Kちゃん曰く、私はプララに似ているらしい)

Kちゃんは、低学年の頃は、
トシちゃんファンやったのに
高学年になると突然ボーイジョージに目覚め、
私もその布教で洋楽を聴くようになった。

あと、漫画『ディモスの花嫁』を流行らせたり、
深夜ラジオの面白さを教えてくれたり、
金曜日にテレビでやっていたプロレスを
アツく語ったりするような
本能のままのミーハー人間やった。

私は、そういうKちゃんが言うことは
すべてすごいと思っていた。
小学生女子特有の(なのかはわからんが)
グループ内で、無視したりされたりみたいな
時期はあったものの、
別々の中学校に進学して以降も
ずっと今も縁は続いている。

お互い、わりと一人行動が平気で
一緒につるんでなにかする、
ってことは多くはなかったけど
年に一回くらいは必ず会って
二人にしか通じない話で盛り上がった。

私たちが22歳になったころ、Kちゃんが
「今、お金が10万円ある、
 これで新しい趣味を始めよう」
と言い出し、私はスノボやろうって言ったんやけど
Kちゃんは、三味線をするって決めて
お互いに新しい世界を開拓した。

私は、結婚するまでの3年間は熱心にスノボに
励んでいたが、結婚後は一度も行っていない。

でもKちゃんは、三味線を皮切りにそこから
三線をやる、 
沖縄に行く、
西表島に移住する、
と、どんどん遠いところに行ってしまった。

Kちゃんは20年以上、西表島に住んでて
その間にいちど西表島に遊びに行ったことがある。
海がすごくきれいで、
食べ物がおいしくて、
楽しかった思い出しかない。

Kちゃんが西表島に住んでる間の2006年に
大阪でマドンナの来日公演があった。
Kちゃんが、どうしてもそのライブに行きたいから
こっちに戻ってくるし、
チケット手配して、カネに糸目はつけん、
みたいなことを言うので
3万円くらいする席を取った。
私は、さほどマドンナのファンでもなかったけど
「Kちゃんと行ったマドンナのライブ」の価値は 3万円以上やったと思うし、
今も良い思い出になっている。

50歳になる少し前、
Kちゃんは、もう十分満喫したって言って
地元に戻ってきた。
それからも頻繁に会うわけでもなく、
西表島にいた頃と同じような付合いをしている。

私が、今ガラかめ読んでるよ、って言うと、
Kちゃんは、少し前に『天上の虹』を読み返した
って言ってた。

あの頃の少女漫画の話をすると
『日出処の天子』の話になり、
「さすが歴史クラブの仲間」と
過去の思い出話に繫って、また盛り上がる。

小学生のときに、クラブ活動の時間があり、
4年生になると全員が何かのクラブに
入らないといけないきまりがあった。
人気なのは、サッカークラブとかお料理クラブで
歴史クラブは全く人気がなく
部員は5人しかいなかった。
私とKちゃんは、友達と示し合わせて
何クラブに入ろう、みたいな思考がなかったので
自分が入りたいクラブを選んだら
お互い歴史クラブでした、みたいなかんじで。

縄文土器の復刻版みたいなのを作ったり、
縄文人の着る服みたいなのを作ったり、
よくわからない活動をしていた。
けど、楽しかった。

来年の盆踊りは、クックロビン音頭を
一緒に踊れたらいいなあと思っている。
小学生の頃は、ラジオ体操終わりで
盆踊りの練習もしていた私たちの夏休み。

数年前に子ども会の役員をしていた時、
働いている親も増え、
朝早くから子どもが集まらないから、と
夏休みのうち1週間だけに短縮して
ラジオ体操をしていた。
でもコロナ中は夏休みのラジオ体操は
中止になったし、コロナ明けの今年でさえ
夏休み中に2日開催されるのみになってしまった。

夏休みもすっかり様変わりしちゃったけど、
昭和の小学生の心のなかには
いまだに良い思い出として
盆踊りもラジオ体操も残っている。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?