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今週、長女の誕生日があって、
でも本人は、推しのライブがあるからと
韓国に行ってて、一緒にお祝いすることは
できんかった。

大学院生やったときに
思いがけずに妊娠して、
いろいろ忙しいなかで
どんどん日が過ぎて
卒業したときには6か月で
ほぼ何の覚悟もないまま親になってしまった。

卒業してからは、
いちおう主婦ではあったけど、
特にやることもなく、
何を考えて生活していたのか
覚えてない。
周りに、お母さんになっている子は
まだあまりいなくて、
妊娠とか妊婦に関することにも無知で、
妊娠生活をどう過ごすか、みたいなのも
今みたいにネットが発達してる時代でもなく、
情報源はたまひよくらいやった。
でも、読んでもいまいちピンとこないし、
図書館に通って、それっぽい本を読んで
あまり太りすぎてはいけない
ってことは分かってたけど
家からもあんまり出ることもなく
わりとぶくぶく太ってしまい
最終的に17キロ増量した。

それがよくなかったのか
なかなか生まれてこなくて
予定日を10日ほど過ぎたところで
そろそろ危ないのでは、ってことで
入院することになって
1日半くらいかかって
やっと生まれてきてくれた。

朝9時に病院に行って入院して
最初、風船を入れたんやけど
ものすごい出血して、
これはあかんってことになり、
しばらく待とうってことになった記憶がある。

でもぜんぜん出てこなくて
夜が明けて
いったん分娩室から出されて、
自分の病室に戻って朝ごはん食べて
その当時やってた朝ドラの『あぐり』を
見て、また待機室みたいなところに入った。

夕方くらいになって
ようやく陣痛が本格的になって
先生がおなかの上に乗って
押しだてくれたのは覚えてる。
しかも、助産婦さんと看護師さんに
「ほら、先生しっかりがんばって」
とか半分怒られながら笑
次に乗って出なかったら
帝王切開に切り替える、とか言われて
なんとかこれで出てきてくれ~
って思ってたなあ。

で、そんな先生たちのおかげで
ようやく赤ちゃんが出てきたときの感動は、
今思い出しても涙が出るくらいで、
終わった、、、と放心してたら
そのあとに胎盤出すのがさらに痛かった。

おそらく大きいよ、
って言われてたとはいえ、
出てきてみたら、4023gで
先生とかスタッフさんも
久しぶりの4000越えや~って
喜んでくれた笑

あれだけお世話をかけたので、
喜んでいただけてよかった。

でも母子手帳には「巨大児」と書かれて
びっくりした。

生まれてからは、
良く寝て良くおっぱい飲んでくれて
すくすくと育ってくれた。
退院した翌日から、夜10時におっぱい、
そのあと朝6時までノンストップで
寝てくれるような子やったから
初めての子育てにしては
わりと楽やったと思う。
お腹からもなかなか出てこなかったように、
のんびりとマイペースな性分は
胎児のころから持ってたんやろうか。

私も専業主婦やってたし、
たっぷり時間もあって、
お金はなかったけど、
気持的には余裕があった。

次女とは4歳離れているので、
幼稚園に入るまでは
ほぼ母子べったりで密に過ごせたし、
その時間は今でも貴重やったなあと思う。

当時住んでた社宅は
わりとみんな仲良くて
お兄ちゃんお姉ちゃんがしょっちゅう
かまいに来てくれた。
特にうちのお隣に
中学生の男の子がいて、
すごくかわいがってくれてた。
「小さい頃からいろんなところに
 旅行に行くと、いいんやって」
とか教えてくれて、その言葉が
けっこう心に響いて
いろんなところに旅行したのも
良い思い出になっている。

おっとりしてるけど、芯が強くて
マイペースな長女。

「今でも生まれたときの感動を思い出すと
 涙が出るくらい。
 あれから27年とはびっくりやね。
 健康で元気に生きて、おめでとう」
ってラインすると、
「生んでくれてありがとう」
って返事がきた。

母、号泣。

あのとき、全く迷わずに生むと決めて
よかった。
お父さんとはうまくやれなかったけど、
子どもを授かったのはほんとうに
ありがたいことやった。

私たちが離婚したのが
長女が大学を卒業して社会人になった
タイミングと重なって、
そのときに苗字が変わってしまって、
フレッシュマンなのに結婚したんや、
すごいね、とかあらぬ誤解を受けていたけど笑

家にはあんまり帰ってこなくても
自立して、楽しそうに生きてくれてるのが
いちばんうれしい。






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