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くだらなくはない

先日、Aくんとのやりとりのなかで
都知事選の話になった。
その少し前に、なにげない他愛もない話を
ひとくさりしたあとに、Aくんが
「くだらない話を長々とごめん」
って言ってきたので
「くだらない話しかしない私にそんなこと
 謝る必要ないやろう」
って返した。ほんと日々どうでもいいことしか
しゃべってないけど、たまに
くだらなくはない話もする。

Aくんは、石丸に注目してたらしい。
私にとって、緑のたぬきよりはまし、
ではあるけど、人を小ばかにした嫌なやつ、
あんなのが都知事にならんくて
よかった、という感想しかない。
(現都知事もこんなのが都知事やってる
 東京都やばい、と思ってる)

ざっくり分けすぎてるかもしれんけど、
若者に人気っていうのが謎すぎて、
30代前半のAくんは、
私にとっては若者なので
「どこがええん?」って聞いてみた。

「えらそうな老人をボコボコにしてる 
 爽やかイケメンみたいなイメージ
 なんちゃう?」
「他人がバカにされてるのを見ると痛快ちゃう?
 自分もバカにされる側の人間やとしても」
って言われて驚いた。

まじですか、
老人だけじゃなくて、
他人に対する敬意のない話し方、
相手との会話をする気がないのか、
自己主張しかしない物言い、
自分だけが賢いつもりの尊大な態度、
恥ずかしいと思わへんのか。

「よくわからんけど、
 なんかとがってたらおもしろい」
という感覚があって
ああいうのが刺さるらしい。

ネット時代の弊害のひとつに、
どぎつい表現で他人を攻撃することが
日常化してしまったことがあると思う。
真実かどうかわからないことでも、
一回それが事実であるかのように
広まってしまうと、あたかもそれが
真実であるかのように受け取られてしまう。

そういうふうに、他人を攻撃する場面を
日常的に見ていると、
他人を攻撃することで
自分が上になったかのような錯覚に陥る人たちは、
どんどん他人を攻撃する。
攻撃できれば誰でもいいし、
攻撃しやすい相手を探すようになる。

女性団体とか外国籍の人とか
生活保護を受けてる人とか
不倫した芸能人とか。

自分は弱い立場の人間であることに露悪的で
もっと弱い人を見つけて攻撃することで
溜飲を下げる。

自分とは違うジャンルの弱い人が
守られるのは不公平とばかりに叩きまくる
ゆがんだひとたち。

お互いを下げあうんじゃなくて、
みんながある程度までは上がれるように
考えていくべきやのに
一生懸命他人の足を引っ張る。

Aくんからすると、
「どうせ自分の生きてる時代には
 そういう社会にならんのは分かってるから
 今優遇されてるやつらも、
 こっち側に落としてやるって思う気持ちは
 理解できる」らしい。

そもそも政治とか行政の役割は、
その「ある程度」まで人々を引き上げることやのに
効率化とか自助とかそういう概念のもと、
公共サービスの質はどんどん低下していく。

政治について発言するアーティストとか
芸能人とかもよく炎上するけど、
政治のこととか、社会のこととか
なにも考えてない人のほうが
私はこわい。

そこから、差別とかの話にも広がって、
結局答えは出ないまま
話は終わった。
こういう問題に自分なりのポリシーは
あっても、正解っていうのはないと
私は思っている。

正解がなくても、こういうふうに
誰かと話したり、noteに書いたりして、
たまにはまじめに考えることで
自分自身の立ち位置を確認するというか、
社会に生きる人間として
やるべきことをやれる人間でいられるはず。

この国に生きる人間として、
他者や社会を尊重して
多くの人が幸せを実感できるように
なればいいと願っている。














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