高田賢三と私。「何歳になってもイタズラ心を忘れない」チャーミングで愛にあふれた「素の人間/高田賢三」を感じることができる一冊。
ファッションデザイナーは星の数ほどいるけれど、世界のKENZOの名前を知らない人はいないだろう。
しかし 35年もの間、公私共に仕事もプライベートも支え続けた 著者の鈴木三月さんは、世界中の誰よりも高田賢三の「偉大なる功績と、その素顔」を知っている。
それはどこまでも「素の人間/高田賢三」を感じることができ、高田賢三氏ご本人が残した言葉の一つである、「何歳になってもイタズラ心を忘れない」チャーミングで愛にあふれた天才の姿だった。
久々に綴るnoteは、著者の鈴木三月さんから届いた
「高田賢三と私。」の感想と、良書の薦め、である。
KENZOといえば18歳のころから、影響を受け憧れたファッションデザイナーの一人。実は、私はもともとファッションデザイナーからスタイリストになった人。大手アパレル会社にて、日々百貨店に並べる服のデザインに明け暮れていた20代。
デザインを生む際に、まず行うのはファッション雑誌を読み漁り、ピンとくるデザイナーのコレクションをスクラップすること。
そうそう、、こんなデザインをどれほど惹きつけられたことか。
売れそうなものを作る使命でもある商業デザイナーとはいえど、やはり一流からインスピレーションを受ける、というプライドはあった。川久保玲/山本耀司等、モード寄りに偏る私の好みの中で、なぜかKENZOの世界観に強く惹かれる自分がいた。
特に民族衣装からインスピレーションを受けて創作されたコレクションの独特なムード感が、私のなかの何かを呼び起こすように惹かれるのだ。
私の偏った好みを変幻自在に広げてくれたデザイナーともいえるわけで、スクラップブックは、黒い世界の中に、負けず劣らず 色彩鮮やかな花と夢の世界が広がっていく、といった具合に。
のちに、私にとって雲の上のような存在であったKENZO氏に、鈴木三月さんのご縁から「生」でお目にかかれるという機会を、幾度となく頂くことになるなんて。
賢三さんは 三月さんにとって息子?
この本のサブタイトルは「パリの息子との37年間」。賢三さんを息子、と表現されるほど縁が深いお2人。ちなみに息子と仰る三月さんのほうが年下。この時、賢三さん80歳。三月さん60歳。本当に母親に間違えられたこともあるというエピソードも。
鈴木三月さんの会社 セ・シュエット30周年パーティーにて。
お会いする度にじわじわと感じる、雲の上の人は神じゃなく「人間だった」という事実。正直、実在するのか?というほどの憧れを持つ世代の私にとって、賢三さんは、もうね、「神」だったんです。
リアルな神は驚くほどお優しく、唯一無二な方だった。そして、細部まで美しくエレガント。
神が「人間だ」と感じる笑顔や仕草の先には、いつも三月さんがいた。
三月さんを見られる目、ご一緒されている際の安心された表情。どこまでもリラックスされて心底楽しくお幸せそう。
鈴木三月さんという「母」のようなぬくもりに包まれ、「素」の高田賢三でリラックスできる子宮(帰る場所)があったからこそ、クリエーションにおいての、世界的功績を遺されたのだろうと、私ごときがいうのはおこがましいのですが、そう感じています。
お2人はきっと、前世から魂で繋がっていらっしゃり、三月さんはご結婚もなさっているのですが、賢三さんとは 「結魂」されていたのでしょう。
誰よりも人間としての高田賢三を愛し、リスペクトし、身の回りのお世話も焼いて、誰も知らない賢三さんの魅力を35年間も守り、応援してきた人とも言える。
その愛おしき魅力のすべてを出し惜しみ無く、すべて書き記して下さった本を読むことができるなんて、最高の幸せです。
読みながら、何度も くすっと笑え、そして、泣けた。
お亡くなりになられて、どれだけお辛かったのだろうと思うだけで泣きそうになるし、数々のチャーミングなエピソードににはくすっと笑ってしまう。
ともに旅をされるシーンの数々からは、賢三氏のお人柄を感じ
温厚なだけではない、ビジネス上での葛藤や後悔の話には胸が詰まる。
賢三さんの人生に心底寄り添い続け、亡くなられた今も「これからも高田賢三さんのご功績を広く伝えていくことが使命」と仰る生き方は、本当に潔く、そして愛にあふれている。
私は三月さんの、こうした未来への覚悟にも涙した。
大切なことを貫く生き方に、心が震えずにはいられない。
賢三さんと家。 賢三さんと食。
という章があり、ファッションデザイナーの衣食住への流儀を、ふんだんに感じることができる。
いつしか Restaurant TOYO Tokyo のオープニングレセプションにお声掛け下さり、賢三さんの専属シェフであったという、中山氏にもご挨拶できる機会を頂いた。ちょっとした味の違いにも 敏感に気がつかれるという賢三さんの舌を誤魔化すことはできなかったそうだ。
また 和菓子など、甘いものに目がないというお話の数々には、微笑まずにはいられない。甘いものに関するエピソードは多々書かれているので、ぜひご購読を。それがもう楽しくて。
私自身も、ファッション道36年目。(お2人は37年)
この期間ずっと、三月さんは賢三氏と過ごされてきたのだと思うと、あらためて驚愕だ。
36年のファッション人生の集大成の一つとして、ファッションスクールの経営もしているが、私が生徒さんにいつも問うことのひとつに
「なぜ それを着るのか」ということがある。
ブランドを纏うならデザイナーを知ること。その歴史を追い、その背景を知れ、としつこく言う。そしてあなたの生き方や思考、内面の特徴とのリンクがどこにあるのか探ることが重要で、そのことを自分に「問う」ことを繰り返し教えている。
高田賢三氏においては この一冊で私の問いのアンサーが見つかるだろう。
人の持ち味を研究し尽くす私の仕事において、ググっても出てこない人物像にどれだけ迫れるのかは日々、プロとしての課題でもある。
この本には、ぎゅっと賢三さんの持ち味が詰まっていて、決して会ったことが無い人でも パーソナルな人物像を感じることができると思います。
職業柄、あらゆるファッションデザイナーに関する本を読みつくし、知識も得てきた方だとは思うが 「葛根湯」を「コックントウ」という、世界的デザイナーのおちゃめな素顔まで知ることになるような本が、今まであっただろうか。
(ほかにも爆笑な賢三語録は、ぜひ本をお手元に置かれて、くすっと、どうぞ。これ以上はネタばれ過ぎ。)
こんな素敵な本を世に出してくださった鈴木三月さん
そして時事通信社出版局さん、心よりありがとうございました。
実は時事通信社/社長 境氏からも,こちらの本を頂戴し、勝手に嬉しく、このご縁に感激しています。
著者【鈴木 三月】(すずき やよい)さんとは。
株式会社セ・シュエット代表取締役。1977年パリソルボンヌ大学、Institute Catholique短期留学後、パリ・プレタポルテ・オートクチュール協会の日本事務所に在籍。1983年、高田賢三創設ブランド「KENZO」のレディース・ライセンスである株式会社エルカに入社。KENZOブランドの広報担当として、高田賢三氏とのつきあいがスタート。1991年に株式会社パザパ(のちの株式会社セ・シュエット)アタッシェ・ドゥ・プレス会社を設立。ヨーロッパのファッションブランドのPRを主に手がけるとともに賢三氏(KENZOブランド)と広報契約を結ぶ。その後、賢三氏からのオファーにより、ビジネス面以外に、パーソナルマネージャーとして、彼のプライベート面もサポート。2020年に「ミニマライズ・プラス(Minimalize+plus)」という自身のレディースファッションブランドをショップチャンネルにて立ち上げる。
※ 鈴木三月プロデュースのミニマライズ・プラス(Minimalize+plus)ブランド
本書でも触れていらしたが、賢三さんにも背中を押されたというお墨付きの
三月さんのブランドはショップチャンネルで購入できます。
こちら、特集も組まれていますね。さすが!
華やかじゃなければ人生じゃない。
最後に 高田賢三の大好きな言葉を。
華やかじゃなければ人生じゃない、この言葉に 私自身何度も励まされてきた。華やかであること、それは希望だ。
私はこれからも賢三さんと、この言葉を思い出すだろう。
どんなに落ち込んだときだって、ファッションを生業にしてきた自分の人生に華やかさを失なわないでいよう。
そして
いつも恋がしたい
と言ってたという。(本書から)
なんて素敵なんだ。なんて色褪せない人生なのか。
私も、そうで在りたい。