天命
今週の、息子の日本語継承学校の宿題は…
を暗唱すること。
孔子の論語の一節です。
かなり久々に聞いた一節で、わたし、いつの間に先に進んでいたんだ!(= 年を取ってた!)とハッとさせられました。
前に聞いた時は、いくつのことを思い浮かべていたんだっけ?
今は、『五十にして…』の所を読まないといけない!笑
五十にして天命を知る
わたし…天からの命を知っているのか?
天命といえば、昨年ひっそりと亡くなった叔父の遺品にあった本… 五木寛之氏の『天命』幻冬舎文庫。
所々に緑のペンで線が引かれていて、生前はあまり話す機会がなかったけれど、彼の惹かれた文章(彼に引かれた文章)に触れながら、へ〜ここに心が動いたんだ〜、わたしはそこじゃないなー、とか、あ〜分かる〜などと、一人心の中でぶつぶつ言いながら読みました。
(彼の緑のペンは、彼のお客様だった”拝み屋”さんが拝んだペン… 叔父は、何故か拝み屋さんに仕事を頼まれる人だった)
五木寛之氏の言葉
「わたしはこの本の中で、感じる、感覚という言葉を使ってきた。天命について分析、考証をしてこなかった。〜そのままを両手で受け止めようと考えたのだ。
分析をしたときに、直観は思考になる。」
「天命は出会うものであって、探し求めるものではない。」
そうなんです。
天命の見つけ方について書いてあると思いきや、全く“方法“については触れず、目の前のこと、今を大切に…感じることを大切に 作者の五木氏は生きてきた、それが天命を生きる、という意味だ。という内容でした。(わたしなりの解釈)
分析をした時に、直観は思考になる。
考え過ぎず、目の前のやるべきことに向き合おう、ということでしょうか。
思考は大切だけど、やっかいでもあります。
さて、わたしの天命は…?
今やるべきことは、洗濯をたたむこと、笑。
その先に見えてくるものが、必ずあるのだろうな~と思います。一歩、一歩。