愛情の空回り
せつないこの言葉。
愛情の空回りー
良かれと思ってやったことが、裏目に出てしまうという悲しさ・・・。
とある男性。🇯🇵昭和生まれ、体育会系、きつい部活も耐えてきた。その経験があったおかげで今の強い自分ができているから、そのやり方で自分の子どもを育てよう。という方がいました。
・好き嫌いなく何でも食べて、強い身体に育って欲しいー
罰を与えながらでも無理やり食べさせた
→ 子どもは泣きながら嫌いなものを食べていた
・小さい頃からスポーツをやって、たくましい精神と体を手に入れて欲しいー
嫌がる子どもを叩いてでも無理やり練習へ連れて行った
→ 子どもは泣きながら連行されるように行っていた
・しっかり挨拶ができる“ちゃんとした”社会人になって欲しいー
ちゃんと挨拶をしても、声が小さい、言い方が間違えていると叱りつけていた
→ 子どもは怯えながら挨拶をしていた
現在、その子どもさんは成人していますが、父親と一切連絡を取り合っていません。人生の記念すべき出来事も、父親には伝えていません。
これって父親の愛情が空回りした結果なのかな、と思うのです。
その男性も厳しく育てられ、理不尽なこともたくさんあったけど、今の自分に満足しているから、自分の子どもにも良かれと思ってやっていた、と言っていました。これは、躾だと。今の子は弱い、とも。
過去の自分と比較することから離れられなかったようです。
人様の子育て論に口出しするつもりはありませんが、親も子も、なんだか寂しいなと思うのです。なにかが起きた時々に、何かに気づいて何か違う選択をしていたら、今とは違う現在があったのかもしれないな、と思うのです。
ー まぁそう言ってしまえば、全てが選択、違う選択をしていたら、違う今があるわけですが…笑。
わたしも良かれと思って、自分の子どもにも色々やってきました。
特に初めての子育ての時は、かなり肩をいからせながら(気張って?)日々を過ごしていました。
一番ショックだった出来事は、上の娘が幼稚園に入ってしばらくした頃、「この子にはカウンセリングが必要です」と言われたことです。
え?・・・
わたしの前では、お友達とも問題なく遊んでいたと思うのですが、学校では、お友達と順番の取りっこをして、揉み合いになった、かなり我が強いと言われたのです。カウンセリングを受けて、今後の改善方法を話し合いましょう、と言うのです。
これにはかなりショックで、愕然としたのを覚えています。よく聞くセリフ、「まさかうちの子が!」です。
その後、学校のそういう諸々の問題解決担当の先生が、「交代しながら遊ぶやり方」を教えてくれて、その時の問題は解決しました。
でも、あの時のことは、かなり痛みを伴うけれど、自分を振り返る良い機会でした。
子どもの性格もありますが、わたしも、いわゆる過保護=保護が過分=、手を出し過ぎていたかもしれないし、自分のこと、子どものこと、周囲のこと、全て見えていなかったのだと思います。
しかし、その頃、子育てと並行して、ヨガを学び始めたのですが(ヨガのポーズ、呼吸のこと、人の身体のこと、精神のこと、ヨガ哲学などを)、学んで行くうちに、
なんで、子どもに偉そうに接していたんだろう
なんで、子どもをコントロールしようとしていたんだろう
と、はっと目が覚めたように、自分の態度がよく見えるようになりました。
そして、
子どもも、小さいなりに頑張っているんだ
子どもも、小さいなりに自分の意見を持っているんだ
ということが分かるようになりました。
ヨガの「〇〇が良かったから」と一つの点を言えないですが、全てが上手く絡み合って、わたしに気づきをもたらしてくれました。
『子どもは、自分とは全く違う人間なんだ』
と本当に理解したあたりから、子どもの態度も落ち着くようになりました。親と子は、目に見えないエネルギーで繋がっているんだ、という実感したわけです。今時の言葉で言えば、自分の『周波数が変わった』と言うのかもしれません。
結局、どんな人も育つ環境で何かしらのネガティブな影響を受けているはずです。それも、魂の学びに必要な人生の計画なのかもしれません。
無駄なことは何一つとない☆