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ソファとオットマンの狭間で
【狭間の意】物と物の間になった狭いところ。谷間。
リビングにソファとオットマンがあって、そこが私の定位置だ。
そこで本を読んだり、スマホを見たり、お昼寝をしたり、ビールやワインを飲むのだ。
自分の部屋には仕事用デスクがあるのに、ノートPCを持ってきて仕事もそこでやる。
え…?
あー、なんか優雅な絵面を想像してません?
素敵なリビングでソファに寄りかかり、オットマンに足を乗せ、優雅にワインを飲む姿を想像しましたよね?
ノンノンノン…
だって私、これですよ↓
私がいかにダメ人間かを書いた記事はこちら
そんなワケがなかろうよ。
まず、ソファには取り込んだままの洗濯物が山になってましてね。
オットマンには読みかけの雑誌や本が積んであって、足が乗せられねーのよ。
じゃあ、どうしてるかというと、タイトル通りですよ。
ソファとオットマンの間に体育座りですっぽり収まってる状態が私の定位置。
この僅か50〜60センチの隙間が妙にしっくりきてしまい、なんでもかんでもそこで済ませるようになってしまった。
お菓子食べながらスマホいじりをしたり、本読んだり、ゲームしたり、PCで仕事したり、昼寝したり、ダイニングテーブルがあるのにその隙間でお味噌汁を啜ったり。
とにかく何でもそこでやる。
「ホスピタリティとは何ぞや…」的な我ながら素晴らしいと思っている授業の資料も、その場所でボッサボサの髪で目ヤニ付けたまま作ったし。
今をときめく大企業、某⭐︎野リゾートの広報担当者への研修講師を今年の2月から継続してやらせてもらっているのだけど、それの研修内容のアイデアもそこから生まれている。
その研修では「人に伝わる映像を作るノウハウ」みたいな講座が大好評で、人はどんな映像に夢中になり心を動かされるのか…という事をロジカルに説明した資料も、ヨレヨレのリラコ(ユニクロのやつ)にキャミソール型のブラトップ1枚で、背中とかボリボリ書きながら、ソファとオットマンの間で作った。
海外出張に行くための論文もそこで、小豆のかき氷を食べながら小豆を床にこぼしながら書き上げた。
ソファとオットマンの間のフローリングで体育座りしながら、見るに耐えない姿で(笑)
で、
こんな私のしょうもない姿をつらつら書いて、何が言いたいかと言うと。
世の中の人たち、みんなそんなもんじゃない?
って思えたら気楽だよなぁってこと。
隣の芝生は…で、自分以外の人がみんな素敵でちゃんとして見える時ってありません?
自分だけダメで、遅れを取ってるみたいに思えてしまうときとかさ。
それって結構キツイっすよね?
私は普通のちゃんとした生活が全く出来なくて、なんでみんなが普通に出来ることが出来ないのだろう…と随分と落ち込んだり自分責めをしてきたし、ちゃんとやろうと頑張ったときもあったけど、出来ないもんは出来ない。
頑張ると凄く疲れちゃって、本来やれるはずのことができなくなっちゃう。
そしてやろうとしても変な風になっちゃう。
だから出来ないことをやめて、ついでに出来ない自分を責めるのをやめて、自分を素敵に見せることに躍起になるのもやめてみた。
素敵になるんじゃなくて素敵に見せるって、結局人に褒めてもらいたいだけじゃん。
自然体で好きにしてる(何もしないのもお洒落するのも、その時の気分で自由にする)状態をたまたま人に素敵!って言ってもらうのは勿論嬉しいけど、人に褒められるために何かをやると疲れるだけなのよ。(私の場合)
自分が「どんな状態の自分にもOK」を出せていたら、人から褒められたいとか、褒められようとか、認められたいとか思わないはずだし
だからさー、自分のこともイチイチ説明しなくていいと思う。
よく私がやっていたのは「怖そうに見えるけど、本当は気さくで…」とか「近寄り難いかもしれないけど、そんなことないよ」とか。
なんか自分を分かって欲しくてつい説明してしまってたけどさ、そんなアピールいらんのよね。
私が私を心底良いと思っていたら、他人からどう思われるかは関係ねーし。
自然体でいて、もし怖そうって思われたら、その人にとっては怖い人なんでしょうし、全く同じ状態でも話したいって思う人もいるでしょう。
だから本来の自分のままで、自分の力を出すためにまずは出来ないことにエネルギーを使うことをやめて、できない自分にもOKをする。
私は自分の身の回りを整えることが絶望的にできない代わりに、沢山の学生達や企業の意識みたいなのを整えられるスキルがあるらしい。(たぶん)
それを使うために自分の身の回りが素敵じゃなくても良しとしてみた。
そうしたら、いろんな素敵なアイデアが出る出る。
一流企業の敏腕社員達にビシッと講義をしてる人が、実は洗濯物に埋もれながら汚い格好で資料作ってるとかさ、、なんか面白くないかな?
そりゃ、もちろん丁寧で整った暮らしには憧れるし、してみたいし、実現してる方達は心から尊敬するのだけど、私は出来ないからって落ち込むことも罪悪感を感じる必要もなくて、いつかそういうのが得意な人に身の回りのお世話をしてもらえるようになればいい。
今はただ面白がったらいいんじゃないかい?と思ってさ。
むしろそんなイケてない私が愛おしい的な(笑)
狭間の私は本当に超不細工で(なんか寝起きの雌ゴリラみたいなのよw)、とても可愛いとは言えない代物だけれど、そんな自分をそれでも良いと思いはじめたら、とんでもなく気が楽になって、今や「こんな私面白い、最高」と思ったりもする。
キラキラした面ばかりだと、私は疲れちゃうから、まぁ私なんてこんなもんすわ(笑)
周りがどうあろうと私は私。
私のゴリラ姿を見せびらかしても誰にも勇気を与えられないけど、世の中的にもっとデカいことをしてて影響力があって、社会をガンガン動かしてる人だって、もしかしたらこんなんかもしれないよ…って思ったら、気持ちが軽くなりません?
気を楽にするって、とっても大事。
気持ちが軽くなったら、何か本来やれることがやりたくなって、やれるパワーも勇気も湧いてくる。
置かれた場所も立場も今の現状も関係ない。
ソファとオットマンの狭間から、私たちは誰でもいつでも世界にはばたける。(はず笑)