
ロンドンで片腹痛い⑧
【片腹痛いの意】
おかしくて見ていられない。滑稽で苦々しく感じる。
前回のお話はこちら。→⑦
研修旅行出発はこちら。→①
6日間なんて言うのはあっという間で、帰国の日を迎えた。
大小のトラブルを潜り抜け、なんとか皆無事?に過ごすことが出来た。
あとは全員何事もなく、日本の地を踏めるかだ。
学生達は名残惜しそうだった。
そりゃそうだろう、絶対楽しかったに違いない。
忘れ物が無いようにと重々注意をし、空港に向かう。
バスの中で早速、アホ学生が声を上げる。
「先生~、スマホがない。」
はい、きた。
すぐさま、旅行会社の青山さんに電話。
こういう事もあろうかと、ホテルに残って忘れ物チェックしてもらっていたのだ。
スマホ忘れはこの1件だけではなく、旅行中にハリーポッターの撮影セット見学の現場に忘れた者もいた。
見学後にパリポタカフェみたいな場所で、バタービールとかいう甘ったるい飲み物を飲みながら「スマホがない」と騒ぎ、唇の上に白い髭を付けながら私に訴えてきた。

またよりによってバスの出発時間が迫っている時に限ってだ。
できることなら魔法でコイツごと消してしまいたいという衝動に一瞬駆られたが、衝動を抑えつつ現場スタッフに見つかったらホテル送ってくれえるようお願いをして、現場を後にした。
その後、バスの中で私の電話が鳴り、スマホがすぐに見つかり無事にホテルに送ってくれると連絡があった。
そんなこんなで、お前らの忘れ物には凝りておるんじゃい!
私自身が忘れ物大王で自分の事で精一杯なのだ。
時間差作戦で忘れ物も無事に回収し、何とかヒースロー空港に到着した。
1人、中国人留学生の女子が免税を受けたいので申請の場所はどこかと聞いてきた。
私もちょうど免税の手続きをしたかったので、一緒に行こうと連れて行った。
「何を買ったの?」と聞くと「時計です」とのこと。
手続きの場所でちらりと見ると、彼女のリュックからでてきたのはロレックスの箱であった。
私のささやかな免税に一抹の寂しさを覚える。
気を取り直して、空港内を一巡りし搭乗。
学生達も時間に遅れることなく搭乗してくれ、帰りは落ち着いていけそうだ。
と、その時。
女子グループの一人が手を上げて私を呼んだ。
何事かと行ってみると、グループの一人が鼻血を出している。
「どうした??ぶつけたかなんかした??」
「わからないんです・・、急に・・」
「気分悪くない?今すぐCAさん呼ぶから。」
と言って、CAさんに事情を説明しに行くとCAさんの顔が曇った。
ひとまず応急処置はするが、出血している人を乗せたまま離陸することはできない。間もなくゲートが閉まる時間だが、それまでに出血が止まらなければ降りてもらうしかない、と・・・。
なんということだ。
ここへきて、学生を一人降ろして帰国できるわけなかろう。
とにかく早く出血を止めなければ。
しかしどうやって?
その前に、事前に預けた絶賛出血中の彼女のスーツケースを飛行機から一旦降ろすという。
降りる可能性のある人物の荷物。
貨物庫のドアは客室より先に締めなければならないので、一足先に荷物を降ろさなければならないそうだ。
いま荷物を降ろされてしまったら彼女の鼻血が止まったとしても、荷物は一緒に帰国出来ない事が確定だ。
なんとか荷物を引き止めたいと思い、交渉するがダメだった。
添乗員の藍沢さんが、「先生、ここは私が引継ぎますので、学生さんのところにいってあげてください。」と言ってくれた。
学生の所に戻ると、だいぶ出血は治まってきているように見える。
荷物が降ろされてしまうかもしれないこと、鼻血が止まらない場合は飛行機から降りないといけないことを、ゆっくり不安をあおらないように説明する。
降ろされるかもしれないなんて、こんな話を聞いたら私だったら余計に鼻血が出そうだ。
私の話を聞いた彼女は気丈にもこう言った。
「先生、わたし気合いで何とかします。」
う、うん・・気合でなんとかなるもんでもないけど、頑張れ。
ここで降りることになったら中々の一大事だ。
とうとう時間になった。
だが、まだ完全には止まっていない。
そろそろ降りて欲しいという催促にCAさんがやってきた。
「あと10分、5分でもいいので待ってください!」と頼んでみる。
「Sorry, It is impossible.」
そこを何とかお願い!と頼み倒す。
(アホみたいな話だが、この時私の頭の中にはミッションインポッシブルのテーマ曲が流れていた)
私がしつこいので、あきれたCAさんが機長に聞きに行ってくれた。
「10分待ちます」との答え。
よしやった!
「10分待ってくれるって!」と学生に伝えると、「それだけあれば、いけます!」とのこと。
もはや何の会話か分からない。
それからおおよそ5〜6分後に彼女の鼻血は止まり、CAさんのOKも貰えた。結果、約20分遅れで飛行機は離陸することとなる。
我々が搭乗した飛行機はエティハド航空A380。
経由地のアブダビに向けて約550名が乗る大型機だ。
座席は満席。
日本人の女子が満席のA380を止めた・・鼻血で。
結構なパワーワードだ(笑)
面白がってる場合ではないが、降ろされることなく離陸出来てよかった。
ただ、彼女のスーツケースは降ろされてしまったことだろう。
それだけがちょっと気がかりである。
帰りは往路ほどの緊張感はなく、お金持ちの都市アブダビで「マクドナルドのセットが2,000円もした!!」と言って大騒ぎしている学生を大人しくさせるくらいだった。
無事に成田に着いて、驚くことがあった。
なんとヒースロー空港で降ろされてしまったはずの学生のスーツケースが先に届いていた。
添乗員の藍沢さんが、降ろしたあとの荷物を日本行きの直行便に載せてもらえるように手配してくれていたのだ。
good job 藍沢さん!
仕事が出来る人LOVEだ。
かなり中身を端折ったが、ロンドン研修旅行はこれにて終了。
なんて大変で、なんて面白くて、なんてバカみたいで、とんでもなく疲れたけど、なんて愛しい時間だったのだろうとしみじみ思う。
「こんな経験、最高じゃん」と思っていったら、学生が「先生、お疲れちゃ~ん。まじ最高だった!俺たぶん一生忘れねーわ。」と言って、私を追い越していった。
「なにがお疲れちゃんだよ、ばーか。」
小さい声で悪態をつきながら、小さくガッツポーズした私の顔には満面の笑みが広がっている。
(そして脳内には、なぜか山下達郎のRide on timeが流れている。笑)

【ロンドンで片腹痛い おわり】
※毒吐く女の独白マガジンは続く