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誰かが、見つける

 バージニアに来てから、週に一度コミュニティの有志と一緒に、ゴミ拾いのボランティアをしています。コロナ禍でソーシャルディスタンスを取りながら、みんながおしゃべり出来る会ということで、だんだん参加者が増加。新参者の私にとっては、毎回ローカルの情報をゲットし、新しい友達を作れる最高の時間になっています。

 昨日はひとり、高校生が参加していました。彼女は今年で学校を卒業予定。コロナがなければ、高校の演劇クラブで主役の舞台を務めるはずだったのに、それがなくなり、他にもいろんなことが重なって、完全に燃え尽きてしまっているということでした。学校もオンラインで授業はあるのですが、その日も実は、思いっきり「サボり」状態(苦笑)

 ポツンとしていて誰とも話そうとしない彼女に、ちょっと声掛けしてみました。「私もシアトル近郊の子供の劇団の仕事しているから、あなたと同じようなシニアがいっぱいいるんだよね」と伝えたら、心を開いてくれたようで。ゴミ拾い後に彼女とブランコに乗りながら、なんと2時間も話してしまった(汗)。

 高校生がみる世界。人が大人になって、「常識」なるものを集め出すと、見えなくなってしまうものが、たくさん溢れている世界。

 将来の不安、社会の中で垣間見る人生の矛盾、大人が作り出している嘘っぽい正義に対する、真っすぐ曲がっていない、彼女なりの意見とか怒りとか。叶えたい夢、行きたい場所、会いたい人。やってみたいことがたくさんで、なくしたものを悲しみながらも、納得できない状態にもがきながらも、そういう希望も言葉の中には見え隠れしているというか。

 彼女の話を聞いてて、心の奥にチクりと痛みを感じつつ、けれどやっぱり色々な感情が人を創って、豊かにするんだろうなと思えたり。若くて感受性の高いうちに、「真っ暗な闇の中」を彷徨うことも、光を見つけるには必要なのかもなぁ、とか。

 短すぎる帰り道を、わざと遠回りして帰りたくなるくらい、ちょっと色んな事を考えました。

 大人も色々悩んでいる人が、周囲には多いです。辛かったり、絶望があったりとか。そういう時期もあると思うのですが、抗いながらも、前に進んでいる人には、その人を見つけてくれる人が、必ずいるとも思うのです。今はそんなことが奇跡に思えても。

 空回りしまくりの、大事な友人の顔が浮かんだりしましたが、その友人にも、さっきの高校生にも言いたいのは「You will be found——誰かが、見つける」ということかも。

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