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プチ連載小説「カニが浮く」第3章
「変化するものとしないもの」
部屋の中には嵐がいた。
一見なにもかもめちゃくちゃになっていた。彼女は鏡の方を向いていたけど、自分の姿がそこにあることを知らなかった。彼女はなにも、部屋中をめちゃくちゃにひっくりかえして壊したいわけではないんだなと僕は思った。
けれど片付けをしているようにも思われない。とにかくそこにないはずのものを、意図的に並べていってるのかもしれない。
なぜなら彼女の顔は暗く沈んでもいなければ、ヒステリックに歪んでもいなくて、いつもの顔をしていたし、どちらかといえばボンヤリ呆けているようにも見えたから。
それでも時々急にイライラしたように大きな声を出したり物音をたてて自分でびっくりしたりしていた。僕の水槽の中だけは静かで、何ひとつ動かない。
僕は彼女が気でも違えたのかしらと考えてみる。
一応僕は彼女と生活を共にしている身なので、どうして彼女がこんなことをしているのか考えなければならない。僕は半冬眠中のままなので体をななめに浮かしたまま、なるべく動かないように注意して彼女を見ていた。
僕からすればこんなにムダに体力を使ってイライラしているなんてどうにも理解しかねるのだけど、と急に部屋が静かになった。
どうやら終わったようだ。彼女はやっと一息ついて部屋を見回しながらゆっくり床に腰を下ろした。
「私はこわい。部屋の中の物が動かないことが。いつも同じ場所にいて私のいない間もずっとずっと同じで。テレビの横に机がいることを忘れてそれでもずっと動かずに死んでゆくのがこわい。私の知らない間に部屋の中で何かが不動のものになってしまうのがこわい。その中に私が食べられてしまってそれさえも気づかなくなってしまうことがこわい。私はきっと私のことを忘れてしまう。」
僕はあぶくをひとつもらす。水槽の水が少し揺れた。
黙って彼女の言ったことを考えていた。なるほど、と思う。
彼女は部屋に帰ってくるたび、部屋の中の物がまるで違った位置にいれば安心するのか。しかし、そうなってしまうのはきっと彼女が別なところで間違ってしまっているから、とつぜんそんなおかしなことがフツウになってしまうのだ。
大体、今いる場所やまわりや自分のしていることやそんなすべてが突然どうにかなるなんてことはないと僕は思う。
物事の全ては順を追ってゆけば、そうなった道のりは必ずひとつしかないのだから。変わってゆくことも、変わらないことも、当たり前なことは当たり前なのだ。
彼女のように、時々大きな間違いを気づかないうちにしながら生きていると、つじつまが合わなくなって、部屋の物なんかが勝手に動いてないと安心できないようなおかしなことになってしまう。
僕は僕なりに少し彼女の人生を心配してあげた。
部屋中全てが彼女で、僕はその中に生きている。
部屋はやがてだんだん元通りになって僕はゆっくりと眠ることができる。彼女もまるで何もなかったように元通りになって鼻歌を歌う。笑う。時々は僕を見つめながら。
僕の水槽は静かで、小石が三ついつも黙っている。小石は、いつ見ても違うようには見えないけど、同じようにも思わない。
(1999著)