プチ連載小説「こどもの家」第4章
「トシくんのこと」
生意気で元気なジジやマコと違って、一番上のトシくんは気が弱くて優しい性格でした。
前歯が飛び出ているので、毎日と言っていいほど二人の弟に「デッパデッパ」とからかわれていました。とてもシャイで、私とお話するときも、私の名前を呼ばなくちゃいけないところにくると「あ、あ、あんたは」と吃ってしまうのです。そんな照れ屋のトシくんが初めて恋に落ちたのです。
相手はマコよりまだ年下の女の子。ショートカットでとても勝気そうなみかちゃんという名前の子です。私とジジとマコとマユちゃんは大喜び。こどもの家は大騒ぎになりました。
ジジとマコは。なんとかしてからかってやろうと、何かの度に「みかちゃん」の名前を出してトシくんをからかうのです。
トシくんのあだ名は「デッパ」から「ロリコン」になりました。それでもジジはまるでキューピッド気取りで、二人をひっつけようとあれこれ作戦を考えました。私とマユちゃんが女性がわの意見役として駆り出され、トシくんは聞いてないふりをしながらも「それはいかんろう」とか「こっちのほうがいい」とか首をつっこんでニコニコしています。
夜、ジジの部屋で一人でいたら、下の階で三兄弟のはしゃぎ声が聞こえました。シーンとなったなと思ったら、火をつけたように三人一度にしゃべり出して大笑いしているのです。
それから音楽が大音量で流れ出し、大声で誰かが歌いだし、「違う違う」といってまた誰かが歌う、というふうに、かわりばんこの歌のお稽古みたいなのも聞こえました。うるさくてちっとも眠れません。「なにやりゆうがよ」とだんだん腹が立ってきたとき、階段をダンダンダンっと誰か上ってきて、ジジの部屋をノックしました。(ノックなんてへんなの)と思いつつ、返事をすると思いっきり戸が開きました。
「ハ~イカノジョ」と気色悪い声。(はあ?)
よくよく見るとトシくんじゃないか。私は目が点になりました。だっていつもはツンツンのトシ君の髪の毛はテカテカに固められてオールバックになっているし、着ているものといったら、ジジの派手派手シャツをしかも前をはだけて。片腕で斜めに立って、もう片方の手を腰に当てて、ウインクとかしてるんですから、呆れかえります。
私の反応がないので、トシくんは今度は大声で歌いだしました。腕を大げさに動かしてそれがまたものすごい音痴です。私が耳をふさいで「うわーわかったわかった!」と叫ぶとトシくんはニコニコしてやめました。そしてしばらく沈黙。
ぼーっとトシくんの変わり果てた姿を見ていたら、私はだんだんおかしくなって、とうとう笑ってしまいました。だって、ものすごく変!だったし、どう見てもセンスなし!だし。トシくんはよく分からないという顔でつったっていました。それがまたおかしくておかしくて、もう止まりません。ジジとマコがドヤドヤと上がってきて、「ジャーン!」と登場。それもおかしくておかしくて、私はクッションや服をつかんで三人目掛けて投げました。
「あほ!バカ兄弟!」
洗面所でトシくんが整髪料を洗い落としている間、周りでフラフラ踊っているジジとマコをバシバシっと叩いてやりました。でも二人ともヘラヘラしてヘッチャラの顔で部屋に戻って行きました。髪を拭き拭き出てきたトシくんに「あのね、そっちの方がね、ぜんぜんえいと思う」と言うと、トシくんは「あ、あり、ありがとう」と照れ笑いしました。絶対フツウのトシくんがいいのです。
次の日、昼近くになってトシくんはソワソワと出かけて行きました。ジジがひと言何か声をかけていました。私は窓からトシくんのヘッポコ自転車を見送って手を振りました。
人を好きだと思うこと。なんだかトシくんはだれにも秘密の宝物を持ってるように思えました。いくらみんながトシくんがみかちゃんを好きなことを知っていても、黙っているトシくんを見ていると、「誰にも秘密の宝物」をもっているように思うのです。なんかいいな、と思います。ジジが黙っているときは、果てしない草原を持っているように思えます。マコが黙っているときは、暗い森の一滴を持っているように思えます。
その日は、夜も遅くなるまで、こどもの家はしんとしていました。マユちゃんはとっくに眠って、時々堤防を走る車のライトがブワンブワンと窓を照らして行きました。
突然玄関が騒がしくなって、急いで降りてゆくと、そこには安物のサラリーマンみたいにグニャグニャになっているトシくんと、ジジも一緒でした。「酔っ払い?」と聞くと「ううん、でもフラレた」とジジが言いました。トシくんを見るとシャキンと素に戻っています。でも肩がガックリ。「ねぇ散歩行こう。そんでマコが帰ってきたらみんなでご飯食べよう」と私が提案すると、二人とも「おう!」と元気よく返事してくれました。「先いっちょってね」といって私は急いで上にあがりました。
服を着替えながらトシくんの落ち込んだ顔を思い出した。胸がギュウっとするような感じがした。だれでもいつも、という訳でなくて、時々だれか、知らない人に見えることがあります。傷を持っていることが見えても、その深さはわかりません。笑っていても、その喜びがどのくらいなのか知りません。泣いていたら、もっとわかりません。私はただただ想像するだけです、胸をギュウっとさせて。
それから何日か経てば、もうみんなみかちゃんのことなんて忘れてしまいました。トシくんは相変わらずヘッポコ自転車でしたし、「デッパデッパ」とからかわれてもめげずに「なにをいうか」と笑っています。でも、いつの間にか、私の名前を呼んでくれるようになっていました。たまに「ちびこ」なんてからかう時もありましたけど、私は「なにをいうか」と前歯をぐっと出して笑いました。
(2000年著)