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わたしの人生を変えたサイコーの選択

私は立派なアラフィフです。
立派な人間になったアラフィフということではなく 笑
立派に歳くっちゃったアラフィフです。

人生を長く歩いているとターニングポイントはいくつかあるもので。
その中でも、この選択なしでは、今の自分はいないと思う"わたしの人生を変えたサイコーの選択"についてお話しようと思います。

やりたくない仕事でグルグル巻きだった30~40歳

私は関西の某アパレル会社で生産管理の仕事をしていました。
今から10年ほど前。
アパレルの市場は飽和状態となり、百貨店SPAというアパレル企業は莫大な在庫を抱え、縮小していく市場に対して、ドンドン商品を生産し、負のスパイラルに陥ってました。
私の勤めていた会社も例外なく状況は悪化していく中で、人員を絞り、1人で担当する業務が膨らんでいきました。
(そのあと、もっとヒドイことになるんですけど)

その頃の私はの毎日は、
朝、始発から何本目かの電車に乗り、毎日、事務所のカギを開け、会社から日の出を見て、一日中走り回るけど、仕事が追いつかず、ミスが出て、営業さんから怒られる…の繰り返し。
私が乗っている真っすぐに伸びたレールはトンネルの中を走っていて、前方に光は見えないのに、そのレールから飛び降りることが怖くて怖くて、ただ、前に進むだけ。
40歳だったし。
次の仕事なんてみつからないと思い込んでいた。

伏線

その頃、私はちょっと変わったお華のオケイコに通っていた。
(ちょっと変わったお華のオケイコはまたの機会に記事にしたいな)
そのお華教室は東京教室もあり、ある時、東京教室の生徒さんが島根県の石見銀山(←世界遺産)に本社をかまえるユニークなアパレルに就職し、移住することになった。

センセイにその会社のHPを見せてもらった私は、
「ちゃんと縁をもっている人は、ステキな会社と巡り合うんですね~。
いいなー。いいなー。」
と素直な感想をセンセイに伝えた。
里山で志と理念をもって事業されているその会社は、私にとってはキラキラ眩しく、遠い世界から「ステキや~」と憧れるだけの存在でした。

エイプリールフールに棚からボタモチ降ってきた

そして、時は3ヶ月ほど流れ、忘れもしない消費税UPでさらにピリピリした2014年3月末をなんとか乗り越え、プシューとなっていた4月1日のエイプリールフールの日。
知らない人からmailが1通入った。

な、な、なんと。
島根に移住したお華の東京教室の生徒さん。
転職した先の島根の会社で生産管理の人が辞めるので、島根に来て、一緒に会社を盛り上げませんかというお誘い。

えぇぇぇぇぇぇ!!!
興味はある。
ステキやと憧れていた。

だけど。だけど。
島根に移住?
石見銀山って島根のどこ?
ココから何時間かかるの?

あまりにも今の世界とかけ離れた話過ぎて、正常に判断できない。
だけど、自分のキモチがワクワクしていることは間違いなかった。
エイプリールフールのウソじゃないよね?

はじめての石見銀山

mailをもらったその週の週末。
会社が経営する宿の蔵BarのOPEN記念でjazzのLIVEにおじゃますることになった。
"何も知らない場所"の"何も知らない会社"に履歴書を出すことはできなかったので(←まじめ)、"旅行"として自分の目で確かめたかったのです。

41歳の誕生日の次の日に、私は島根に飛んだ。
正確には高速バス+電車で行ったので、飛んではない 笑。
住んでいた神戸と島根を両方楽しみたいと欲張りなことを考えていたので、経済的な距離感と時間的な距離感を計りたかったのです。

遠かった…

どこに連れて行くのか?と不安になるほど、遠かった…

神戸と島根を両方楽しむのはムリかもしれないと不安に思いました。
(実際は車で行ったり来たりで楽しめたのですが 笑)

不安な気持ちで到着した町は、大切にはきこんだデニムのように、古いけれど、手入れの行き届いた"綺麗"ではない、"美しい"町でした。
その日の夢のようなできごとを文章にすると、読むのに3日ぐらいかかりそうなので、またの機会にしようと思います 笑

1%だけ決断できない

夢の世界からグルグル巻きの現実の生活に戻ってきた。
99%行きたいと思うのに、1%だけ決断できない。。。
決断できない理由はたくさんあった。

41歳だし。
母が認知症の疑いが出てきたタイミングだったし。
その頃住んでいた環境がとても気に入っていたし。
その他、たくさん…

でも、一番の理由は、
転職したとして。
島根に移住したとして。
"私は毎日どんな暮らしをするのか"想像ができないことでした。
どんなステキな会社でも、給料がよくても悪くても、毎日心地よく暮らすことが一番大切だと思っていたので。

2度目の訪問

そんな思いを当時の会長に率直に伝えました。
欠員が出ているし、決断できない私を採用することはできないかもしれないと思っていたのですが、「もう一度来てから、考えてみてはどうだ」と提案を頂きました。
社員がどんな暮らしをしているか見てから決めればよいと。
(懐が深い…涙。感謝!)

初めて訪れてから、1ヶ月ちょっと経ったGWにもう一度、石見銀山に訪れました。
ふわふわしていた前回よりは、ちょっと落ち着いた気持ちで 笑

その時に思ったんです。

ココは神戸よりも、洒落ていると。
ココで目を覚まして、息をして、生きていけたら、とてもステキだと。

ありきたりの店やもので溢れかえり、なんでもすぐに買えて、すぐに捨てて、便利で簡単に生きていける都会よりも、その町は潔くてカッコイイと思いました。

決断。

やっとココロが決まった瞬間でした。
わたしの真っすぐに伸びたレールがカクンと90°方向を変えた瞬間でした。


その後

進むべき方向に進む時、すべてはパズルのようにスムーズに決まっていくのですね。
勤めていた会社を6月末で退職し、移住、入社まで驚くほどスムーズにコトが進みました。
イロイロ心配はありました。
チチハハのこととか。
でも、何か起きたら、その時、また考えようと思いました。

あの時、決断したことが、わたしの人生で最大の選んでよかったこととなりました。

その後の島根での暮らしは、何モノにも替えがたい体験となり、わたしの価値観を180°変化させました。
あの時、ちゃんと選んだ自分を褒めてあげたい。

この体験から得たこと

この決断から、とてもたくさんのことを学びました。

  • 人生は自分のチカラではない何か大きなチカラが働いていて、BIG WAVEが来た時に、怖がらずに乗れるように準備しておくことの大切さ。

  • 自分の思い込んでいる脅迫概念は、自分が作り出している"マヤカシ"だということ

  • いいなと思ったり、こうしたいと思ったことは、言葉にして発信することが大切。思ってもみないところでキャッチしてくれる。

  • 自分の直感を信じること

  • 変化することは怖いことじゃないということ

今振り返っても、40歳のわたしは、光の見えないトンネルを走るレールを降りることがなんであんなに怖かったのだろう。

怖くないよ。だいじょうぶ。

変化することへの怖れがなくなった私は、その後も、いくつもの決断を繰り返し、この7月にフリーランスとして独立することを決めました。
前の会社のみんなも応援してくれます。

コッチ!コッチ!と呼ばれるほうへ。

何年後かに、また、"自分で選んでよかったこと"の企画があったら、ココから始まるチャレンジのことを書けたら最高デス。

初めての長文 笑
ヘタクソな長い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

See you again!

#自分で選んでよかったこと


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