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47歳専業主婦、夢を語る

英語を猛烈に勉強していたここ数年、身に付けた英語スキルを引っ提げて社会に出たいと思っていました。仕事をしていた時代は営業としてクライアントと日々やり取りしながら仕事をしていたので、オフィスで英語を使って対外交渉をする自分を思い描いていました。

それが、世の中が風邪で揺るがされるようになり、組織で働くことに魅力を感じなくなり、縁あって日本語音読指導者になり、私の働くイメージはだいぶ変わりました。

子どもたちと声を合わせて古典を音読したい。子供はとても耳がよく、声も生き生きとしています。息子や甥っ子と音読をしたとき、私を一心に見つめ真似をしてくれた、あの信頼に応えたい、教えるというより主導権は子供たちの手に。伴走したいという感覚があります。あ、もちろんはじめは教えますよ。

松永先生はテキストで次の古典になると、その文章の背景などいろいろなことを解説してくださいました。毎度地図帳を持ってくるように言われ、その古典の舞台を地図で確かめたり、とても実りある話をしてくれました。一つの古典を音読するだけにとどまらず、その文章から地理的歴史的な要素を取り上げて深める。学習って限りないと思いました。

子供たちが習いに来たら、古典の音読をして、そこから派生する私なりの小話をしたいです。例えば昨日書いたような、古今和歌集仮名序→言の葉→葉っぱ→森を守った牡蠣漁師といった具合です。これについて私の感動は昨日書いた通りですが、子供は他のことに着目するかもしれません。例えば「赤潮ってなんだろう」、「植樹に行ってみたい」など。そんなきっかけがあったら子供は知りたいことを調べ、より詳しいことを知るために博物館に行ったり、専門家に聞きに行くような行動を起こし、十分な知識を得たらそれを周りの人に伝えたいと思うのではないか。それを後押ししてあげたい、特に「行動」に関しては大人だから調べられる情報があるだろうから、「こんなイベントあるけど行ってみたら?」などとアシストしたいです。
息子と日々接していて思うのですが、情報の末端を見て「ふむふむ」と知ったような気になるのではなく、その上流をとらえ、その道の専門家や専門の場所(博物館など)から直接伝授されることを試みることが本人の記憶にも色濃く残るのではないか。

40代後半でうっとりと夢を語るとは想像していませんでした(^^;
子供が疑問を感じ、それらについて行動してほかの人に伝えていくということは結構大変なことです。
実際私の息子が資料を作って発表をするというのを見守っていても、調べても正確にその情報を理解できなかったり、プレゼン資料も表現がおかしかったり。日本語力が足りないのを痛切に感じます。

古典音読で日本語を鍛え、その日本語能力でインプットからアウトプットをする。その流れを整える手伝いをしたいと最近強く思います。
そのためには、私も勉強しなくては。古典の理解を深め、いろんな小話をできるように知識を広げていくぞ~!


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